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冬に咲く花

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「冗談じゃない!!!」


 カダンのお腹を、足で思いっきり蹴り上げた。

 しかし、孝宏の筋力不足か、もしくはカダンが強靭過ぎたのか、カダンは少し呻いただけで、孝宏の腕を拘束する手は緩みもせず、涼しい顔で孝宏を見下ろしている。


「俺は言ったよ!蝶が飛んできて、全部燃えたって!誰も信じてくれなかったじゃないか!」


 一見繋がっていない会話に、今度はカダンが狼狽えた。


「火事?蝶って何のこと?」


「何ってんだよ。俺がカダンに助けてもらった次の日の夜。傷が治らなくて、台所で寝ている俺が騒ぐから、皆出てきたろ?腹の痣が火傷だって言うなら、きっとその時にできたんだ」


「それって俺が隣町に行ってた時?でもルイ達は何も言わなかった。」


 拘束されていた両手が緩んだ。カダンが上体を起こすの同時に、孝宏の両手が自由になる。


「だって、あいつら夢だって言ってさ。信じてくれなかったから。……俺もだんだんそうかもって思って……」


「それにしたって、この痣があるのを知っていたら、言ってくれたっていいじゃないか。鳥の形だって言ったよね?」


 カダンが孝宏の上から退いた。

 孝宏は差し出されたカダンの手を取立ち上がった。地面に転がっていたため、孝宏は全身が草と土まみれだ。

 服と体を叩き汚れを落としながら、自身の腹にあるらしい痣を確認した。

 確かに右脇腹あたりに茶色の大きい痣がある。今まで気が付かなかったのが不思議な程に存在感を放っている。

 孝宏はカダンを睨み付けた。


「痣は今言われて気が付いたんだよ。それにこれのどこが鳥だよ。どっちかというと蝶に見える」


 脇腹からヘソのあたりにかけて、あるコゲ茶色の痣は、丸いフォルムが重なりあい、頭に当たる部分から二本の線が伸びていた。

 子供用にデフォルメされた蝶の絵によく似ており、ちょうど羽を折りたたみ休んでいるように、孝宏には見えた。

 信じられないとカダンが首を横に振った。


「どう見てもマルッコォイドリの影にそっくりだよ。地球にはこんな形の蝶がいるの?」


「さあ、あんまり見ない気がするけど………でもこんな形の鳥もいないよ」


 立ちはだかる世界の壁。こういうのもカルチャーショックというのだろうか。

 二人の間に苛立ちばかりが募っていく。

 孝宏はため息を吐いた。めくれたシャツを直し、ずれたジャケットを正した。シャツをズボンの中に入れながら、横目でカダンを盗み見る。

 カダンはだまったまま視線を下へ落とし、不機嫌なのを隠そうともしない。
 唇を噛み目を細め、眉を顰める。腕を胸の前で組み、足を肩幅に開いたまま片足に体重を乗せていた。


(カダン……怒ってる…………よなぁ、これ……)


 カダンが冷気をまとった視線をこちらに投げた。

 トントントントントン、カダンが指が規則的に腕を叩くと、聞こえないはずの音が、孝宏の脳を打ち鳴らした。



「俺、もっとちゃんと聞くべきだった。ごめん」


 今度は素直に頭を下げた。

 正直痣は鳥には見えないが、奇妙で比較的大きな痣なのだから、気が付いても良かったのだ。

 それに、痣の話をいつされたのか、さっぱり思い出せないのだから、カダンの怒りは全てが的はずれでもない。


「もういいよ。とにかく食事の用意をしよう。もうすぐ正午だろうし」


 カダンは抑揚のない声でさらりと言った。そのまま正面ではなく勝手口へと向かう。

 孝宏の左肩をかすめて通り過ぎる時、孝宏は反射的に≪ゴメン≫と口から出た。

 だがそれだけだ。声をかけようしたが何も言えず、背中を恨めしげに眺めるだけ。


 こういう時バシっと、はっきりモノを言えたら、少しはらしくなるのだろうか。

 《手伝うよ》の一言が言えれば、何かが変わるのかしれないのにと思っても切り出す勇気が出ない。


 と言うのもこの世界に来て、彼らに世話になってすでに一か月以上。

 軽口を叩くくらいには打ち解けたが、カダンと言葉を交わし回数は、ほかの誰よりも明らかに少ない。

 他の人には感じなくなった緊張感が、カダンに対してだけは孝宏の中には未だに残る。

 カンギリの樹液に塗れた自分を助けてくれたあの日、確かにカダンに感じた安心感は、どこへやら消えてしまっていた。

 孝宏は家の角を曲がって姿が見えなくなったカダンを、小走りで追いかけた。


「ま、待って。……わっ!?」


 角を曲がってすぐの所で、カダンがこちらに背中に向け、壁に寄りかかっていた。

 孝宏はもっとずっと向こうにいると思い込んでいた為に、ぶつかりそうになり驚いた。しかし、カダンが自分を待っていたように思えば、内心嬉しくなった。


(これはきっとドラマなんかで、男同士の友情が芽生えるきっかけになるアレだ)
 

「あのさ……俺……」


 孝宏に声を掛けられカダンが振り返った。腕を組んだまま、先程と同じ冷たい視線を向けてくる。


(あ、これ違う)


「ご飯の用意は別に気にしなくて良いよ。魔力を操作できないんじゃ台所使えないし。そんな事よりも魔法の訓練した方が良いと思う」


 カダンの言葉が孝宏の心の恥ずかしい部分をを容赦なく抉る。

 ドラマとは違う、現実なんてこんなものだ。友情どころか亀裂が入りそう。


(いや、初めから友情すら芽生えてなかったんじゃ……それなら亀裂が入りようがないよねぇ……)


 軒並み年上ばかりの環境で唯一同じくらいの男の子。仲良くなれるのではないかと期待していた頃が、今ではすでに懐かしい。


(いや、今だって仲が悪いわけではないし、これはちょっと怒らせたから……)


「大丈夫。タカヒロならできるよ」


 俯いていたので孝宏からは、カダンの表情は見えなかったし抑揚のない冷めた声だった。ハッとして顔を上げた時には、カダンは台所に通じる裏口に手をかけていて、孝宏はドアの向こうに消える背中を見送る。


「頑張るよ!」


 声が彼に聞こえたかどうかは解らないが、孝宏はフンと大きく息を吐いて気合いを入れた。

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