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四章 悠久の雨音
四
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玄関のドアがひらく音がする。
その後、泣いているであろう隼人を見て驚いた碧の声が聞こえた。
「どうしたんですか!?…ていうか何で音無さんが…あ、あの悠さんはどこに…」
スタスタと廊下を歩く音がして、項垂れている僕を見つけた碧はまた驚いたような声を上げた。
「悠さん、大丈夫ですか?」
「心配かけてすまない、申し訳ない」
「そんなことはいいんですけど…音無さんも泣いてますし、何があったんですか?」
目を擦り、赤くなった頬を少し隠しながら隼人が口を挟んだ。
「俺が怒鳴ったんだ、病み上がりの悠さんに。
言い合いになって」
「…なるほど、今は落ち着きました?」
碧の問いに、僕も隼人も頷く。
何かを悟ったように僕らを気遣いだす碧。
「それで…落ち着いたところ申し訳ないのですが、これからの事を相談したいなと思って
押しかけてきちゃいました…」
「大丈夫。話そうか」
碧は僕の言葉を聞くなり少し安心したようで、穏やかな声音で話し出した。
「私の勝手な妄想なんですけど、私の歌を聞いてる時の悠さんが苦しそうに感じました。
きっと叶多さんの事がまだ頭に染み付いて離れなくて、前に進んだつもりが思いっきり後ろに引っ張られちゃったんじゃないかと」
「大体あってる」
「そうですか。それにしても、こうなったのはかなり急じゃないですか?何かあったんですか?」
碧の言葉に、少し胸が痛む。紛うことなききっかけ。叶多からの、遺言。
「叶多のお母さんから、叶多が生前僕に宛てた手紙を大量に受け取った。僕に出せなかったけど、毎日のように書いてたみたいだ。
それが、ひたすらに辛くて仕方がなくて
いや、嬉しかったんだけど。上手く言葉にできないんだ。とにかく苦しくて何も出来ない。」
僕の心中を、2人は静かに聞いてくれた。
「………それ、読んでもいいですか」
「そこの大きい箱の中に入ってる」
隼人は近くの箱をそそくさと開けて、ひとつずつ中身を確認していった。
散らかった部屋の中で、2人は無言で手紙を読んでいく。紙を擦る音だけが響いていた。
「叶多さん、ちゃんと遺していってたんですね」
碧は寂しそうにそう言った。
「…こんなに苦しいなら曖昧なままでよかった」
「素直じゃないなあんたは」
いつの間にか"悠さん"では無い、いつもの呼び名に戻っていた。
音無は僕の呟きを鼻で笑って、手紙を元に戻し始めた。
碧は大きな箱に向いていた身体をくるっと回転させて、僕に対して向かい合わせになった。
綺麗な瞳が揺れている。
「悠さん、叶多さんは居場所を遺してくれたんじゃないですか」
「居場所」
思わず碧の言葉を復唱する。
「…悠さんが寂しくならないように、生きていけるようにです。ちゃんと書いてあるじゃないですか。そしてそれを実行してくれた。それだけでも価値のあるものですよ」
「有難いと思ってる。思ってるけど__
ずっと彼女の後を追いながら前を向けって言われてるようなもんじゃないか
そんな器用な事も残酷な事も僕には出来ない」
そう言った途端、碧は僕の頬に触れた。
深夜の冷えたアスファルトのように。凍てついた氷のように冷たい手だった。
しかしそれは、意外と不快な物でもなかった。
「違う。貴方が苦しくても好きな事をずっと続けられるように、"叶多さんのいない現実を受け止めながら生きていけるように"です。」
「…そうか」
「きっと苦しいのは当たり前、なのでしょう。
でも彼女は貴方に生きて欲しかった。だから弱音を吐かずに遺して、貴方の前では手のやける陽気なイタズラっ子でいたんじゃないんですか?」
僕は頬に触れた碧の手に、自分の手を重ねた。
冷たい。冷たいけれど、その奥底にある物はこの世の何よりも暖かく感じた。
気づくと、また涙が零れていた。
苦しいけれど、きっとこの先も苦しいけれど。何も変わらないけれど。
この心の痛みに蓋をして知らないフリをして、忘れて生きるくらいならずっと苦しいままでいい。
僕はこの時、心の底からそう思えた。
僕の情けない嗚咽が部屋の中でこだまする。
碧の揺れる長い睫毛が、その奥にある吸い込まれそうな綺麗な瞳が
目を閉じてもなお、僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。
その後、泣いているであろう隼人を見て驚いた碧の声が聞こえた。
「どうしたんですか!?…ていうか何で音無さんが…あ、あの悠さんはどこに…」
スタスタと廊下を歩く音がして、項垂れている僕を見つけた碧はまた驚いたような声を上げた。
「悠さん、大丈夫ですか?」
「心配かけてすまない、申し訳ない」
「そんなことはいいんですけど…音無さんも泣いてますし、何があったんですか?」
目を擦り、赤くなった頬を少し隠しながら隼人が口を挟んだ。
「俺が怒鳴ったんだ、病み上がりの悠さんに。
言い合いになって」
「…なるほど、今は落ち着きました?」
碧の問いに、僕も隼人も頷く。
何かを悟ったように僕らを気遣いだす碧。
「それで…落ち着いたところ申し訳ないのですが、これからの事を相談したいなと思って
押しかけてきちゃいました…」
「大丈夫。話そうか」
碧は僕の言葉を聞くなり少し安心したようで、穏やかな声音で話し出した。
「私の勝手な妄想なんですけど、私の歌を聞いてる時の悠さんが苦しそうに感じました。
きっと叶多さんの事がまだ頭に染み付いて離れなくて、前に進んだつもりが思いっきり後ろに引っ張られちゃったんじゃないかと」
「大体あってる」
「そうですか。それにしても、こうなったのはかなり急じゃないですか?何かあったんですか?」
碧の言葉に、少し胸が痛む。紛うことなききっかけ。叶多からの、遺言。
「叶多のお母さんから、叶多が生前僕に宛てた手紙を大量に受け取った。僕に出せなかったけど、毎日のように書いてたみたいだ。
それが、ひたすらに辛くて仕方がなくて
いや、嬉しかったんだけど。上手く言葉にできないんだ。とにかく苦しくて何も出来ない。」
僕の心中を、2人は静かに聞いてくれた。
「………それ、読んでもいいですか」
「そこの大きい箱の中に入ってる」
隼人は近くの箱をそそくさと開けて、ひとつずつ中身を確認していった。
散らかった部屋の中で、2人は無言で手紙を読んでいく。紙を擦る音だけが響いていた。
「叶多さん、ちゃんと遺していってたんですね」
碧は寂しそうにそう言った。
「…こんなに苦しいなら曖昧なままでよかった」
「素直じゃないなあんたは」
いつの間にか"悠さん"では無い、いつもの呼び名に戻っていた。
音無は僕の呟きを鼻で笑って、手紙を元に戻し始めた。
碧は大きな箱に向いていた身体をくるっと回転させて、僕に対して向かい合わせになった。
綺麗な瞳が揺れている。
「悠さん、叶多さんは居場所を遺してくれたんじゃないですか」
「居場所」
思わず碧の言葉を復唱する。
「…悠さんが寂しくならないように、生きていけるようにです。ちゃんと書いてあるじゃないですか。そしてそれを実行してくれた。それだけでも価値のあるものですよ」
「有難いと思ってる。思ってるけど__
ずっと彼女の後を追いながら前を向けって言われてるようなもんじゃないか
そんな器用な事も残酷な事も僕には出来ない」
そう言った途端、碧は僕の頬に触れた。
深夜の冷えたアスファルトのように。凍てついた氷のように冷たい手だった。
しかしそれは、意外と不快な物でもなかった。
「違う。貴方が苦しくても好きな事をずっと続けられるように、"叶多さんのいない現実を受け止めながら生きていけるように"です。」
「…そうか」
「きっと苦しいのは当たり前、なのでしょう。
でも彼女は貴方に生きて欲しかった。だから弱音を吐かずに遺して、貴方の前では手のやける陽気なイタズラっ子でいたんじゃないんですか?」
僕は頬に触れた碧の手に、自分の手を重ねた。
冷たい。冷たいけれど、その奥底にある物はこの世の何よりも暖かく感じた。
気づくと、また涙が零れていた。
苦しいけれど、きっとこの先も苦しいけれど。何も変わらないけれど。
この心の痛みに蓋をして知らないフリをして、忘れて生きるくらいならずっと苦しいままでいい。
僕はこの時、心の底からそう思えた。
僕の情けない嗚咽が部屋の中でこだまする。
碧の揺れる長い睫毛が、その奥にある吸い込まれそうな綺麗な瞳が
目を閉じてもなお、僕の脳裏に焼き付いて離れなかった。
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