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第一章 たそがれの女助け人
一の七
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高札場には、高札を囲んで柵があって、その前でおためが不安そうにきょろきょろと辺りを見回しながら立っていた。
三百両の金の重さはそうとうなものになるので、女のおためは風呂敷に包んで背にしょっている。
小源太はその姿を、一区画ほど離れた場所から見守っていた。
もう日の光は黄色味をおび、人通りも多く、気をゆるめるとすぐに見失ってしまいそうなほど、その姿ははかなげですらあった。
――明日の夕刻、女中に金を持たせて日本橋高札場に来い、追って指示。
そう書かれた第二の文が投げ込まれたのは、今日の正午過ぎであった。
この時も投げた者の姿を誰も見ていなかった。
先の投げ文から三日かけ、玉木屋が友人知人、取引先を駆けずり回って三百両かき集めたのを見計らったような頃合いであった。
――たとえ傷物にされていても、命さえ無事で帰ってくるなら……。
玉木屋はそう涙ながらに言って、その金をおためにわたした。
正確な刻限が決められていないものだから、七つ(午後四時)からおためは待っていたが、四半刻たっても犯人からの接触はなかった。
だが、ふと、立ち止まった旅姿の商人ていの男が、おために話しかけている。
すぐに動こうとした小源太に、筋向こうで見張っている同心の香流が手を振った。まだ動くな、ということだろう。
やがて動き出した男を、見習い御用聞き卯之助が追った。
卯之助が人波に紛れ込んだころ、今度はおためが動き出した。
香流はそれをつける。
その香流の跡を小源太が追う。
計画はこうであった。
――とにかく、女中のおためは信用できない。
香流は小源太にそう話しはじめた。
――お前もうさんくさいが、ここは信用するしかない。おためが動きだしたら俺が跡をつけるが、俺はいったんまかれたふりをする。そうしたら、お前はおためを追いつづけろ。今度は俺がお前の跡を追う。
おための単独での犯行とは考えられないが、他の仲間とすぐに接触を図るかはわからないから状況しだい、随時判断しろ、ということであった。
おためは、日本橋から東海道を、南へ南へとまっすぐ歩き続ける。
日本橋、伝馬町、新両替町……。
――まだとまらない。
日がだんだんと暮れていく道のなか、小源太はなにか不安なものが体を包み始めた気がした。同時に、おために対する疑念がさらに濃さを増していくのを感じていた。おためは十数年来玉木屋で働き続けてきた。玉木屋一家も家族として接している。そんな従順で生真面目な女が、はたして主人を裏切り、自分の子供のようにかわいがっていたというお了をかどわかすのに加担するものだろうか。
そしてとうとう、三十町(三キロちょっと)も歩き続けたころ、増上寺の寺域に沿うように西へと曲がり、寺やら学寮やらの間を路地から路地へと折れ曲がり進んでいく。土地勘がなくては歩けない道筋であった。
さらに進んで、おためは名も知れぬ寺の脇に建つ、一軒の小さな寮(別荘)風の家屋に入っていった。本来は空き家のようで、壁や戸のあちこちが傷んで、羽目板が割れているところもあった。まるで迷いもなく入っていったのを見ると、かねてより知っている家であろう。小さいながらも門があって、狭いが庭もある。雨戸が一枚だけ残してあとはすでに立ててあって、そこは居間なのか人の気配はするが人数まではわからなかった。
玄関に入ると、おためが言った。
「来ましたよ。持ってきました」
「おお、でかした。つけられていないだろうな」と胴間声の男が答えた。
「ええ、人に道を尋ねられたのを折に立ち去りました。御用聞きは、まったく無関係の旅人を追って行ったに違いありません。同心は私をつけてきましたけど、途中でまいてきましたよ」
「ははは、お前さんももうわしらと一蓮托生、というわけだ」
辺りにはばからず声高に話すのが、路地のほうまで聞こえてきた。すっかり油断している様子だ。小源太がつけて来ていたなど夢にも思ってはいないだろう。
「おい」
と小源太の肩をつかむ者があった。香流である。
その時ふっと気がゆるんだのを感じた。自分でも気がつかないうちに緊張で、がちがちに体がこわばっていたようである。
どうだ、と訊いてくるのに、小源太は、
「香流さんの推理通りですよ。おためも人さらいの一味のようです」
卯之助も香流に寄り添って立っている。まだ、はあはあと息があがっているのを見ると、そうとう走って追ってきたに違いなく、ついさっき追いついたようだ。
「卯之助が日本橋の男を問い詰めたが、ただの旅人だった」
と香流は小さな木組みの門の向こうの、すでに閉じられた玄関を見つめていた。何か思案しているようだ。おそらく、乗り込むか、さらに相手の出方を見るか、考えているのだろう。
「乗り込みましょう」小源太が後押しするように言った。「金が下手人の手に渡った以上、顔を知られているお了さんは、口封じに消されるかもしれません」
香流が小源太をみた。意見を取られてむっとしたという顔であった。
「蝙蝠羽織、お前も手をかせよ。だが、誰も斬るなよ」
三百両の金の重さはそうとうなものになるので、女のおためは風呂敷に包んで背にしょっている。
小源太はその姿を、一区画ほど離れた場所から見守っていた。
もう日の光は黄色味をおび、人通りも多く、気をゆるめるとすぐに見失ってしまいそうなほど、その姿ははかなげですらあった。
――明日の夕刻、女中に金を持たせて日本橋高札場に来い、追って指示。
そう書かれた第二の文が投げ込まれたのは、今日の正午過ぎであった。
この時も投げた者の姿を誰も見ていなかった。
先の投げ文から三日かけ、玉木屋が友人知人、取引先を駆けずり回って三百両かき集めたのを見計らったような頃合いであった。
――たとえ傷物にされていても、命さえ無事で帰ってくるなら……。
玉木屋はそう涙ながらに言って、その金をおためにわたした。
正確な刻限が決められていないものだから、七つ(午後四時)からおためは待っていたが、四半刻たっても犯人からの接触はなかった。
だが、ふと、立ち止まった旅姿の商人ていの男が、おために話しかけている。
すぐに動こうとした小源太に、筋向こうで見張っている同心の香流が手を振った。まだ動くな、ということだろう。
やがて動き出した男を、見習い御用聞き卯之助が追った。
卯之助が人波に紛れ込んだころ、今度はおためが動き出した。
香流はそれをつける。
その香流の跡を小源太が追う。
計画はこうであった。
――とにかく、女中のおためは信用できない。
香流は小源太にそう話しはじめた。
――お前もうさんくさいが、ここは信用するしかない。おためが動きだしたら俺が跡をつけるが、俺はいったんまかれたふりをする。そうしたら、お前はおためを追いつづけろ。今度は俺がお前の跡を追う。
おための単独での犯行とは考えられないが、他の仲間とすぐに接触を図るかはわからないから状況しだい、随時判断しろ、ということであった。
おためは、日本橋から東海道を、南へ南へとまっすぐ歩き続ける。
日本橋、伝馬町、新両替町……。
――まだとまらない。
日がだんだんと暮れていく道のなか、小源太はなにか不安なものが体を包み始めた気がした。同時に、おために対する疑念がさらに濃さを増していくのを感じていた。おためは十数年来玉木屋で働き続けてきた。玉木屋一家も家族として接している。そんな従順で生真面目な女が、はたして主人を裏切り、自分の子供のようにかわいがっていたというお了をかどわかすのに加担するものだろうか。
そしてとうとう、三十町(三キロちょっと)も歩き続けたころ、増上寺の寺域に沿うように西へと曲がり、寺やら学寮やらの間を路地から路地へと折れ曲がり進んでいく。土地勘がなくては歩けない道筋であった。
さらに進んで、おためは名も知れぬ寺の脇に建つ、一軒の小さな寮(別荘)風の家屋に入っていった。本来は空き家のようで、壁や戸のあちこちが傷んで、羽目板が割れているところもあった。まるで迷いもなく入っていったのを見ると、かねてより知っている家であろう。小さいながらも門があって、狭いが庭もある。雨戸が一枚だけ残してあとはすでに立ててあって、そこは居間なのか人の気配はするが人数まではわからなかった。
玄関に入ると、おためが言った。
「来ましたよ。持ってきました」
「おお、でかした。つけられていないだろうな」と胴間声の男が答えた。
「ええ、人に道を尋ねられたのを折に立ち去りました。御用聞きは、まったく無関係の旅人を追って行ったに違いありません。同心は私をつけてきましたけど、途中でまいてきましたよ」
「ははは、お前さんももうわしらと一蓮托生、というわけだ」
辺りにはばからず声高に話すのが、路地のほうまで聞こえてきた。すっかり油断している様子だ。小源太がつけて来ていたなど夢にも思ってはいないだろう。
「おい」
と小源太の肩をつかむ者があった。香流である。
その時ふっと気がゆるんだのを感じた。自分でも気がつかないうちに緊張で、がちがちに体がこわばっていたようである。
どうだ、と訊いてくるのに、小源太は、
「香流さんの推理通りですよ。おためも人さらいの一味のようです」
卯之助も香流に寄り添って立っている。まだ、はあはあと息があがっているのを見ると、そうとう走って追ってきたに違いなく、ついさっき追いついたようだ。
「卯之助が日本橋の男を問い詰めたが、ただの旅人だった」
と香流は小さな木組みの門の向こうの、すでに閉じられた玄関を見つめていた。何か思案しているようだ。おそらく、乗り込むか、さらに相手の出方を見るか、考えているのだろう。
「乗り込みましょう」小源太が後押しするように言った。「金が下手人の手に渡った以上、顔を知られているお了さんは、口封じに消されるかもしれません」
香流が小源太をみた。意見を取られてむっとしたという顔であった。
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