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第一章 たそがれの女助け人

一の五

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 日が暮れると、吹く風はまだ冬の冷たさをはらんでいて、小源太は腕を組んでひとつ身震いし、向かいの店の軒下で玉木屋を見張っていた。

 外から見る玉木屋は小さい。
 表通りに看板を出しているとはいえ、間口は三間ばかりだし、狭い店内には古着がぎっしりと並べられている。庭なぞはないし裏口を開ければすぐ裏長屋である。であるが、店主一代で掛け小屋での商売からはじめて、二十年ばかりでこれほどの店を営んでいるのは、そうとう血のにじむような苦労と努力を重ねてきたに違いない。

 周りの店はもう店じまいをしはじめている所もあったし、そろそろ閉めようかどうしようかと店先から人通りを確かめている店主もいた。このあたりは、大店などはなく、ひとつひとつがこぢんまりとした店構えで、家族だけで細細と営んでいるような店ばかりだった。店から漏れるか弱い灯明かりが、そこに生きる人人の生命の証のようであった。

 と、旦那様、旦那様、と玉木屋のなかからつんざくような叫声が聞こえてきた。おための声である。そのただならぬ様子に、小源太は通りを横ぎって店に飛び込んだ。
「旦那様、投げ文です、旦那様っ」
 そう叫びながら奥へと駆けこんでいくおための後ろ姿が見えた。
 その背中に何か引っかかりをおぼえたが、それが何かはわからぬまま、小源太も後に続いた。
「投げ文、ついにきたか」
 居間で香流と打ち合わせでもしていたのだろう、玉木屋はあたふたとしたようすで文を受け取った。
 その文は石に巻かれていたせいでくしゃくしゃで、もどかしそうに紙を広げて、行灯の明かりに照らして玉木屋は読んだ。
「娘は無事。三百両用意しろ。おって連絡」

 玉木屋は香流に文を渡し、それをのぞきこんで小源太も読んだ。女が書いたような柔らかい印象を受けたが、他にはこれといった特徴のない筆致で、漢字混じりに書かれているところから察しても、それなりの教養を身につけている者の手筆であった。

「三百両だなんて、うちにそんな大金があるわけがない。いったいどうしろと……」
 完全にうろたえてしまっている玉木屋をよそに、小源太は、
「おためさん、これを投げ入れた者の姿は見たかい?」
「い、いえ、もう外は暗かったし、はっきりとは」
「どんな人間でした?」
「さあ、町人風の男としか」
「町人ふうの……」

 小源太は思い返していた。
 ――そんな者がいただろうか。
 小源太が店を見張っている間に、たしかに何人もの町人の男が店の前を通り過ぎた。だが、その誰もが、投げ文を投げ入れたようなそぶりはみせなかったのだ。
 ――はて、見落としたか。

「おため、喉が渇いた。ちょっと水でもくんできてくれ」
 と香流はおためを追いやった。
「なるほど、馬鹿が書いた文字じゃあねえな。しかし、これは腑に落ちねえ」
「どこがです、香流様」玉木屋が訊いた。
「こういう文には当然書かれていなくてはいけない言葉が抜けている」
「それは?」
「奉行所には報せるな、とかな」
「それが、どうかしましたかな」
「どうもこの一件、はなっから違和感だらけだ」
「しかし、三百両とは法外ですな」
「それもひっかかるな。この店に三百両もたくわえがないことは、外から通りすがりにみたってわかるってもんだ」
「そうはっきり言われては……」
「おい、おとこおんな、お前、うろんな者を見なかったかい」
「おとこおんなはやめてください」
「じゃあ、蝙蝠羽織でどうだい?」
そのあだ名もどうかと思って顔をしかめつつ、小源太は答えた。
「私は親分が出て行ってから、ずっとこの店の前で見張っていたんです、それらしい者は誰もみていないんですよ」
「そうかい」
 と香流は腕組みして考え込んだ。その横顔からは、若くはあるが、町廻り同心としての鋭利な空気を放っていた。
「玉木屋さん」と香流が言った。「とりあえず、三百両に足りなくてもいい、かき集められるだけかき集めてもらいたい」
「わかりました」
そうしてまた、香流はむっつりと口をつぐんで、腕組みをして何か考えこむのだった。
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