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第一章 たそがれの女助け人

一の一

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 栗栖小源太《くりす こげんた》が女だということは、長屋の連中は誰でもみんな知っている。

 一番奥の部屋に住むほとんど寝たきりの彦六じいさんも、いつも酒臭い息をしている遊び人の熊蔵も、笑いながら路地を駆け回っているお転婆のおひろ・・・坊すら知っている。
 知っていながら、まああんな人間も広い世の中にはいるだろう、ということにいつかなって、長屋の連中は小源太を男として扱うようになっていた。
 小源太が越してきた最初のうちは腫れ物に触るように接していたのに、女でないということになれば、自然、皆の小源太に対する態度はぞんざいになる。

「あらダンナ」
 隣のかみさんのおしま・・・が洗濯の手をとめて、房楊枝を噛みながら井戸端へ近づく小源太をちょっと侮蔑するような目で見た。
「お天道てんと様はとっくに頭の上ですよ。今頃起きてくるなんて、いいご身分ですね」

 井戸端で洗濯しているかみさんたちがどっと笑った。
 小源太は照れたようにうなじをなでながら、そっちへ行って、口をすすいだ。
 着流しで豊かな総髪を後ろで束ねて、どこから見ても男にしか見えない、と彼女自身は信じているのだが、しかし、世間の目というものはそうたやすく欺けるものでもないようだ。

「やあおはよう。いやこんにちは。みんなご精がでるね」

 小源太は房楊枝を口から出して、せいいっぱい男らしく溝にぺっと唾をはいた。
 (本当は紅穂べにほという名であるが)小源太は、丸顔に大きくもなく小さくもない目をしていて、高くもなく低くもない鼻が真ん中にあって、唇はちょっと厚めで、言ってみれば十人並みの顔立ちをしていた。しかしそれは女としてであって、男の姿でいると、なぜかかえって十八という年頃の、女性としての色香のようなものがにじみ出てしまい、ある種異様なまでの、まばゆいような印象を見る者にあたえ、顔の造作も層倍に美しく見えるものらしいのだった。

「昨日はずいぶん遅いお帰りだったみたいじゃないの」「ずいぶん遅いって、もう木戸が開いてから帰って来てたわよ」「あらそ、午前様どころの話じゃないわね」「なんですか、いい人でもどこかにいるんじゃないの、ダンナ」

 かみさん連が勝手なことをお喋りするのへ、小源太は、
「ば、馬鹿を言うんじゃあない。仕事だよ。用心棒の」

「あら、まだ続けてるんですか、どこでしたっけ」
「玉木屋さんでしょ、日本橋の」
「柳原でしょう。太物屋だったわよね」
「古着屋ですよ」
「まあ」小源太はかみさんたちの話に割り込むように、「大家のじいさんが侍らしい仕事を世話してくれたんでな、せっかくの厚意をむげにはできんからな、はりきって努めねばならん」
「ま、侍らしい、ですって」
 あきれたように言ったおしまの言葉に、かみさんたちはいっせいにどっと笑った。

 そのからかうような笑声にむっとしながら、小源太は口をすすいで、部屋に戻った。
 戸を閉めても、まだかみさん達は小源太を肴にしてお喋りに興じている。

 さて、と薄暗い部屋を眺めながら、今日は日本橋まで足を延ばさなくてはならないな、と小源太は思った。

 普段の用心棒の仕事は夕方から玉木屋に詰めることになっているのだが、今日は玉木屋の娘おりょうの琴の稽古の送り迎えに日本橋まで行かなくてはいけない。
 送って行ったついでにその辺りで、また兄を探してみようと考えていた。
 そういうきっかけがあるときばかりではない、小源太は、買い物に行く道すがら、仕事場への行き帰り、とにかく道を歩けば兄を探していた。
 誰それが似ていると聞けば何里でも走り顔を確かめに行ったし、前から歩いてくる牢人ろうにん(浪人)の背格好が兄に似ていれば、無遠慮に笠の下を覗き込んだ。
 仕事先でも近所の八百屋でも、兄の名を伝えてあったし、そうしていれば、噂がどんどん広まっていって、自分が探していることが兄にいつか伝わるかもしれないと一縷の望みをかけていた。

 兄冬至郎とうじろうが、父の仇を捜し、京にある大叔父の道場を出奔してもう四年近く経つ。
 彼を追って小源太が江戸に出てきて三カ月ばかり。
 いっこうに、手がかりの尻尾すらつかめる気配がなく、小源太はいらだっていた。
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