雪のしずく

優木悠

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 グレウスは久しぶりの実家に肉の串を届けると、そのまま急いで帰宅した。
 先程のフードの人物がオルガならば、まだ家に帰りついてはいないはずだ。人通りがまばらになるや、すぐさま馬に跨って家路を急ぐ。
 貴族の邸宅の間を縫うようにして屋敷の門まで帰り着いたグレウスは、門番をしているロイスが慌てた様子で駆け寄ってくるのに気づいた。
「お帰りなさいませ、旦那様! あの……!」
 何か言おうとするロイスを制して、グレウスは問いかけた。
「オルガは外出中か? それとも中にいるのか?」
「え……奥方様ですか? 奥方様は本日もご在宅で、お出かけのご用命は伺っておりませんが……」
 意外なことを聞かれたかのように、ロイスは戸惑いを隠さない様子で返答した。
 やはりあれは別人だったのかと思いつつも、どうしてもあそこにオルガが居たように思えて仕方がない。
 グレウスの屋敷には正面の門の他に、屋敷の裏手に使用人用の通用門もある。用があるとき以外は鍵が掛かっているはずだが、もしかするとそちらから出入りしているのかもしれない。
 それを確かめるために馬の足を裏手に向けようとした時、正門横の通用口から老執事が姿を現した。
「旦那様、こちらへ」
 老人とは思えない素早い動作で、マートンはグレウスの馬の轡を取った。
 辺りを憚るように見回して、グレウスの馬を壁際の人目につかない所へ誘導する。
 屋敷の中で何事かあったようだと察して、グレウスは馬上から身を屈めて執事に顔を寄せた。
「何かあったのか」
 日頃にない鋭い眼光で正門の方を見据えながら、老執事はしわがれた声を出した。
「ラデナ王国のゼフィエル・ラデナ殿下が、旦那様とのご面会を求めてお越しになっておいでです」
 思いもかけない名前に、グレウスは目を見開いた。






 マートンから話の概要を聞いたグレウスは、愛馬に騎乗したまま門を潜った。屋敷の正面にある車寄せに一台の馬車が停まっているのが見える。
 その馬車の全容を見て、グレウスは唖然と口を開いた。
 えらくゴテゴテと飾り立てられた、派手な馬車だった。
 馬車の車両はカボチャか何かのように大きく膨らんだ曲線を描き、色は白。
 場違いなほど巨大な車輪や扉には、眩しい金の装飾。車両のてっぺんにも金の王冠が鎮座している。
 窓もやたらと大きく、中が丸見えだ。防寒も防衛もあったものではない。さぁここに金持ちが乗っています、襲撃どうぞと言いふらしているような馬車だった。
 アスファロスは魔法が発達し、偽証や犯罪の隠蔽が難しいため比較的治安はいい。が、そうだとしても、個々に鎮座する馬車は一欠けらの危機感も見当たらない乗り物だった。
 正気を疑って思わずマジマジと眺めながら近づくと、グレウスの帰宅に気づいた御者が馬車の扉へと駆け寄った。
 少し離れた場所で馬を降り、グレウスは高貴な客人が馬車から出てくるのを待った。
 中から出てきたのは同年代と思しき青年だったが、その姿にグレウスは二度唖然とした。
 

 身分を誇示する華美な馬車から現れたのは、予想通りと言うかなんと言うべきか、さすがこれだけの馬車を走らせるだけのことはあると唸るような人物だった。
 初めにグレウスの目に入ったのは、光沢を放つ白い絹の靴と、染み一つない真っ白なズボン。それから宝石で飾り立てた腰のベルトと黄金造りの細身の剣。
 金の房飾がこれでもかと付いた真紅の上着の下は、金の刺繍がびっしりと入った真紅のベスト。
 中のシャツは白だったが、呆れるほど大きな襟にレースの装飾までついている。
 肩に掛かるのは丁寧に巻かれた蜂蜜色の巻き毛だ。赤い宝石が嵌まった黄金の宝冠が、その頭のてっぺんに乗っている。
 目のいいグレウスは、その宝冠が馬車のてっぺんに飾られているのと同じ意匠であることに気づいた。
 極めつけに、肩から垂らした真紅のマントには、巨大なラデナ王国の紋章が金糸と宝石で描き出されていた。
 初対面であっても、ラデナ王国の王族以外には見間違えようのない出で立ちだ。
 金・赤・白・赤・金・金・金……。
 近づくと目がチカチカするのを感じながら、一応の礼儀としてグレウスは名を名乗った。
「グレウス・ロアでございます。え、え……と、ゼフィエル・ラデナ殿下でいらっしゃいますか?」
 貴族の屋敷を訪問するには、事前に先触れの使者を出して訪問の可否を問うのが常識だ。
 もしやこの出で立ちで王子ではなくだたの使者だったらどうしようと思っていると、馬車から地面に降り立った貴人はグレウスを一瞥して、雄弁な溜息を吐いた。
 芝居がかった仕草で巻き髪の房を後ろに払いのけると、青年は尊大な調子で言ってのける。
「お前がグレウス・ロア侯爵か。私はゼフィエル・ラデナ。ラデナ王国王太子の第三王子である」





 来客であるゼフィエル・ラデナについては、門の外でマートンが手短に教えてくれていた。
 現在の国王の孫にあたる王族で、王太子の三番目の王子。
 グレウスと同じ二十六歳で、ディルタス皇帝が即位した際の祝賀に、ラデナ国王名代としてアスファロスを訪れた。それ以来オルガに執心なのだという。
 王子からの求婚は、本人が国外への降嫁を拒否しているという理由で退けられたようだが、そうでなくともまったく想像がつかない組み合わせだ。
 片や眩しいほどの金ぴか王子、片や黒ずくめの皇弟――。
 そう思いかけて、自分とオルガも十分想像できない組み合わせだということに、グレウスは思い至ってしまった。
 どんな奇妙な組み合わせであっても、あり得ないということはない。自分たちがいい例だ。
 世が世ならば、この王子とオルガが夫婦になる可能性もあったのだろうか。
 グレウスは眩しい衣装に身を包んだ王子を見下ろした。


 アスファロスとラデナは王族同士の婚姻の歴史もあり、様々な条約を結んだ友好国でもある。
 その国の都に来て、貴族の屋敷を先触れもなく訪れ、挙句にこの態度である。下手をすると外交上の問題になりかねないのに、お付きの従者たちは止めなかったのだろうか。
 従者たちを見渡して、グレウスは溜息を呑み込んだ。王子の奇行にはとっくに慣れているのか、諫めるどころか顔色一つ変えていない。何とも言えない痛々しさだ。
 とにかく顔を合わせないように帰れと命じた騎士団長の気持ちがわかった気がした。
 言葉で説明されていても、実物を見るまできっと理解できなかったに違いない。国民性の違いなのかもしれないが、とても話し合いが可能な相手とは思えなかった。
 何の用で来たかは知らないが、さっさと用件を聞いて追い返すに限る。


「お待たせして申し訳ございません。ひとまず中にお入りください」
「無礼者め……! 私はラデナの王族。このような怪しげな屋敷に入る気はない」
 そう言って中に入ろうとしないことはマートンからも聞いていたので、グレウスはあっさりと諦めた。
「では御用をお伺いしてよろしいでしょうか」
 嫌な用事は早く済ませて、オルガと話がしたい。屋台で見かけた相手は、オルガだったのかそうでなかったのか。それに、子どもの頃に街で出会った時のことも詳しく話がしたかった。
 面倒そうな気配がでてしまったのだろうか、ラデナの王子が眉を吊り上げた。その口から剣呑な言葉が飛び出す。
「盗人がここに居ると聞いたのでな。我が手で成敗しに来たのだ」
「盗人」
 思わずオウム返しに呟いて、グレウスは装飾の激しい馬車に目をやった。
 いくらアスファロスの治安がいいからと言って、あんな馬車で往来すれば盗人の一人や二人は出てもおかしくない。大方目を離したすきに、馬車の装飾品でも盗られたのだろう。
 慰めの言葉でもかけるべきかと思ったが、ゼフィエルの言いたいことは違ったようだ。
「そうだ! 我が婚約者にして麗しの皇子オルガ・ユーリシス殿をよくも寝取ったな! この盗人侯爵が!」
 白い手袋に包まれた指が、糾弾するようにグレウスを指し示した。


 頭一つ低いところにある王子の顔を、グレウスは思わず凝視した。
 顔を真っ赤にして睨みつけてくる王子の顔は、自分の正義を信じて疑いすら持っていないようだ。
 馬鹿馬鹿しい主張だが、今まで誰もこの王子の言うことを否定したり諫めたりはしなかったのだろう。挙句の果てに隣国まで押しかけて、既婚者となった相手を奪い返そうとでも言うのだろうか。
 物の道理もわかっていないような、尊大な口調と表情。まるで駄々をこねる小さな子どものようだ。
 だが――、とグレウスは考える。
 カボチャのような馬車もやたらと煌びやかな衣装も、グレウスの目には少々滑稽に映るほどだが、本人やお付きの従者にとってはこれが当たり前のことなのだろう。
 大勢に傅かれて育ったのだと察せられる、傍若無人な振る舞い。
 髪は過剰なくらいに手入れが行き届いており、肌は日焼けも知らない。白い手袋が真っ白なままでいられるのは、その手で何もすることがないからだろう。
 巨大な窓を持つ馬車を走らせても、少しの危機感も覚えない。
 装飾過多な衣装を重いとも感じずに身に着けて、上等な絹の靴を汚した時には新しいものに履き替えるだけ。
 身の回りの世話はすべて下々に任せて、ただ思うがままに振舞うことだけを許される存在。
 ――これが王族というものだ。
 不意にグレウスは理解した。
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