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第三章 まもるやつら
三ノ五 種まき
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季武が山田屋敷の門をくぐってずかずかいくと、突如庭にあらわれた闖入者に、縁側にいた女房とみえる女が目を丸くして、ひっと小さな悲鳴をあげた。
季武は得意の、京のすべての女をとろけさせると豪語する流し目をつっと送って、
「ご心配無用です、お内儀。旦那様にいいつかってまいりました。なに、すぐに帰りますよ。離れはどちら?あっち?はいどうも」
と女房が指さした建物に向かっていった。
見張りとみえる男が縁側に座っていたが、山田に教えてもらった合言葉を伝えると、疑いもせずに通してくれた。
そのまま上にあがり込んで簾をあげると、男が書類の山に埋もれるようにして座って、書き物をしている。
その背中にむけて、
「いやはやご精がでますな、新庄氏」
と声をかけると、はじめて人がいることに気づいたらしい、新庄は驚いた顔で後ろを振り返った。
「ど、どなたですか」
「山田大丞の使いです。あいや、妹御のさかえ殿の使いでもあります」
「はあ、すみませんが手短にお願いします。あと三日のうちにこの膨大な書類の書き写しをしあげてしまわないといけませんので」
「帳簿の改ざんですな」
「いやそんな」
「あなた、この帳簿の改ざんを終えたら口を封じられる、ということに気づかれていないのですか?」
「口を?」
「ひらたく言えば殺されるんですよ」
「いやまさか。山田さんは、この帳簿をうつし終えたら、家に帰してくれると約束してくれています」
「その言葉を鵜呑みになさっているのですか。こういっちゃあなんですが、あなた、よっぽどお人よしですな」
「そう申されまして、これも仕事のうちですし」
「ははは、そうお思いならそれでけっこう。こちらはこちらで話を進めさせてもらいます」
「はあ」
「それでですね、ちょっと帳簿のほうはわきに置いておいてですね、二通ばかり書簡をしたためていただきたい。両方とも妹のさかえさんに当てて書いてください。一通は、仕事の用事で京を離れているというような内容で。もう一通は、ここに監禁されて帳簿の改ざんをさせられている。仕事が終わったら殺されるからどうにかして欲しい、というような内容です」
「はあ」
「最初の方は、山田氏に見せるものです。いわば山田氏をたぶらかすためのニセ手紙ですな。もう一通はそのまま妹さんにお渡しします」
「はあ」
と新庄はまったく危機意識が欠如しているようである。
山田が新庄を口封じに始末するというのは、季武の創作ではあるが、あながち嘘というわけでもない。
山田のような気の小さな男は、思いつめると何をしでかすかわかったものではない。
あの小人物に、自分の隠悪のすべてを知っている人間を、放っておけるほどの豪胆さはないだろう。
「ちなみに、脱出するなら、仕事が終わった直後がよろしい。その時にあなたは命を奪われるおそれがありますが、逆に山田氏の油断も隙も生じやすい時点でもあります。仕事を終えるのは三日でしたな。三日目の夜に助けに来て欲しい、と手紙に書いてください」
そうして、まだ納得しきれない顔の新庄をあおりにあおって手紙を書かせると、山田屋敷を出た。
すぐに路地の影から現れた飄に、一通の手紙をわたし、
「それは助けを求める手紙だ。さかえ殿にうまく手渡してくれ」
「間違いなく」
飄は建物の陰に、すっと消えていった。
そして、季武は大蔵省の役所にもどって、ニセの手紙を山田に見せて安心させた。
「こここ、これで新庄の妹はあきらめてくれるでしょうな」
「さよう。あとはあの新庄という男の口を封じるだけですな」
「あ、そんなことはこれっぽっちも」
「ははは、ま、お好きなように」
そう言って、目の前の心底安堵したような顔をしている小悪党を、季武は冷ややかにほほ笑みながら思うのだった。
――さてさて、種はばらまいた。あとは実がなるのを待つだけだ。
季武は得意の、京のすべての女をとろけさせると豪語する流し目をつっと送って、
「ご心配無用です、お内儀。旦那様にいいつかってまいりました。なに、すぐに帰りますよ。離れはどちら?あっち?はいどうも」
と女房が指さした建物に向かっていった。
見張りとみえる男が縁側に座っていたが、山田に教えてもらった合言葉を伝えると、疑いもせずに通してくれた。
そのまま上にあがり込んで簾をあげると、男が書類の山に埋もれるようにして座って、書き物をしている。
その背中にむけて、
「いやはやご精がでますな、新庄氏」
と声をかけると、はじめて人がいることに気づいたらしい、新庄は驚いた顔で後ろを振り返った。
「ど、どなたですか」
「山田大丞の使いです。あいや、妹御のさかえ殿の使いでもあります」
「はあ、すみませんが手短にお願いします。あと三日のうちにこの膨大な書類の書き写しをしあげてしまわないといけませんので」
「帳簿の改ざんですな」
「いやそんな」
「あなた、この帳簿の改ざんを終えたら口を封じられる、ということに気づかれていないのですか?」
「口を?」
「ひらたく言えば殺されるんですよ」
「いやまさか。山田さんは、この帳簿をうつし終えたら、家に帰してくれると約束してくれています」
「その言葉を鵜呑みになさっているのですか。こういっちゃあなんですが、あなた、よっぽどお人よしですな」
「そう申されまして、これも仕事のうちですし」
「ははは、そうお思いならそれでけっこう。こちらはこちらで話を進めさせてもらいます」
「はあ」
「それでですね、ちょっと帳簿のほうはわきに置いておいてですね、二通ばかり書簡をしたためていただきたい。両方とも妹のさかえさんに当てて書いてください。一通は、仕事の用事で京を離れているというような内容で。もう一通は、ここに監禁されて帳簿の改ざんをさせられている。仕事が終わったら殺されるからどうにかして欲しい、というような内容です」
「はあ」
「最初の方は、山田氏に見せるものです。いわば山田氏をたぶらかすためのニセ手紙ですな。もう一通はそのまま妹さんにお渡しします」
「はあ」
と新庄はまったく危機意識が欠如しているようである。
山田が新庄を口封じに始末するというのは、季武の創作ではあるが、あながち嘘というわけでもない。
山田のような気の小さな男は、思いつめると何をしでかすかわかったものではない。
あの小人物に、自分の隠悪のすべてを知っている人間を、放っておけるほどの豪胆さはないだろう。
「ちなみに、脱出するなら、仕事が終わった直後がよろしい。その時にあなたは命を奪われるおそれがありますが、逆に山田氏の油断も隙も生じやすい時点でもあります。仕事を終えるのは三日でしたな。三日目の夜に助けに来て欲しい、と手紙に書いてください」
そうして、まだ納得しきれない顔の新庄をあおりにあおって手紙を書かせると、山田屋敷を出た。
すぐに路地の影から現れた飄に、一通の手紙をわたし、
「それは助けを求める手紙だ。さかえ殿にうまく手渡してくれ」
「間違いなく」
飄は建物の陰に、すっと消えていった。
そして、季武は大蔵省の役所にもどって、ニセの手紙を山田に見せて安心させた。
「こここ、これで新庄の妹はあきらめてくれるでしょうな」
「さよう。あとはあの新庄という男の口を封じるだけですな」
「あ、そんなことはこれっぽっちも」
「ははは、ま、お好きなように」
そう言って、目の前の心底安堵したような顔をしている小悪党を、季武は冷ややかにほほ笑みながら思うのだった。
――さてさて、種はばらまいた。あとは実がなるのを待つだけだ。
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