29 / 72
第二章 たすけるやつら
二ノ十一 脱出
しおりを挟む
渡辺綱が、囲んだ屋敷を眺めて言う。
「これほど十重二十重に兵で囲んでおけば、まさに、猫の子一匹這い出る隙もない」
「さてさて、慢心は禁物だぜ、綱サンよ」と隣にいた卜部季武は懐疑的である。「相手はなにしおう盗賊土蜘蛛一味だ。そう簡単にはいかんと思うがね」
「そのために、おぬしの手下の忍衆を配置して見張らせてもいるのであろうが」
「まあ、俺自身、忍衆の実力は自慢してはばからんところだが、完璧じゃあないんだな、これが」
「ふん、土蜘蛛も朱天一味も、まとめて成敗してくれる。やれッ!」
綱が手を振った。
隠れ家の四方を取り囲む兵たちが、いっせいに矢を射かけた。
矢が、屋敷の裏庭に次次と突き刺さり、瞬く間に竹林の様相をていした。
「星よ」降りしきる矢の雨を眺めながら、あやめが呼んだ。「朱天殿たちを連れて抜け道から落ちのびよ」
「はい」
星は小さく答えて、朱天達をいざなった。
「あやめ、あんたはどうする?」
「荷物をまとめたら後を追うよ、朱天殿。例の掛け軸は捨てるには惜しかろう?」
「わかった。無事でな」
朱天達は星の後に続く。
星は、納戸と見える部屋の戸をあけると片膝ついて床を手のひらで叩いた。
と、床が跳ね上がり、地下へと続く階段があらわれた。
星が手招きし、朱天達は階段を下りて行った。
あやめは部下たちに必要な物だけ持ってすぐに館をでるように指示し、自分は釈迦如来像の掛け軸を隠し戸のなかから取り出した。
そこへ、どたどたと床板を踏み鳴らす、無数の音がせまる。
「ちっ、思うたより敵も動きがはやい」
掛け軸を抱えて、部屋を飛び出すと、廊下を走ってきた綱とぶつかりそうになって足をとめた。
綱が、じっとこちらを凝視している。
何者か判断つきかねているようにも、あやめの美貌に一瞬見とれたようにも見えた。
「女、何者だ」綱が誰何した。
「人の家に土足で踏みこんでおいて、何者かもないものよのう、渡辺綱殿」
「むっ!?」
瞬時に自分を渡辺綱と見破った女に、綱は不穏なものを抱き、抱いた瞬間には太刀を抜いて斬りつけていた。
さっとあやめが飛びのいた。
が、着地した拍子に足がちょともつれ、抱えた掛け軸が滑り落ちてしまった。
「ちっ」
と舌打ちしつつ手を伸ばしかけたあやめであったが、綱が太刀を振り上げつつ一歩踏み込んでくるのを見、身をひるがえして脱兎のごとく駈けだした。
それを手下に追わせ、綱自身は掛け軸を拾った。
「こんなものをなぜ、大事そうに抱えて逃げようとしたのか、あの女」
その時、綱の脳裏に、先日頼光邸で季武とかわした会話がよぎった。
「これが、中納言様の家から持ち出された掛け軸かもしれんな。中納言様もお困りであろう。あとで返してさしあげねば」
そうして、手下たちの後を追った。
館の廊下をいくつか曲がると、そこかしこで兵たちが右往左往している。
「いかがした」
「綱様、それが、賊徒の姿がまるで見当たりません」
「そんな馬鹿なことがあるか。じっさい、ついさっき女がひとりおったではないか」
「それが、霧か霞のようにふっと消えていなくなったんです」
「夢でも見ているのではあるまいな。人間が霧や霞に変じるなどあろうか。館のすみずみまで探せ、どこかに抜け穴かなにかあるに違いない」
「はい」
兵たちは、さっと散っていった。
抜け穴のトンネルは百メートルちかくも伸びていて、出口とみえるふさいだ板を持ちあげると、そこは見慣れぬ寺の……。
「くせえな、おい」茨木がそとに飛びだすと途端にぼやいた。
「厠の脇のようだな」朱天が辺りを見回す。「しかし、どこだここは」
「六波羅蜜寺の中」星が答えた。
「まさか、寺のうちに抜け道がつうじているとは、渡辺綱たちも気がつくまいな」
朱天が本堂とみえる巨大な建物を眺めた。
「さて、ここであやめを待つか」
「いえ、逃げるのが先決」
「そうか、星がそういうなら、この場を去ろう。さ、みんな、我が家まで走るぞ」
と、走りかけた朱天に、
「出口はどこだな」
熊八が訊くのだった。
「これほど十重二十重に兵で囲んでおけば、まさに、猫の子一匹這い出る隙もない」
「さてさて、慢心は禁物だぜ、綱サンよ」と隣にいた卜部季武は懐疑的である。「相手はなにしおう盗賊土蜘蛛一味だ。そう簡単にはいかんと思うがね」
「そのために、おぬしの手下の忍衆を配置して見張らせてもいるのであろうが」
「まあ、俺自身、忍衆の実力は自慢してはばからんところだが、完璧じゃあないんだな、これが」
「ふん、土蜘蛛も朱天一味も、まとめて成敗してくれる。やれッ!」
綱が手を振った。
隠れ家の四方を取り囲む兵たちが、いっせいに矢を射かけた。
矢が、屋敷の裏庭に次次と突き刺さり、瞬く間に竹林の様相をていした。
「星よ」降りしきる矢の雨を眺めながら、あやめが呼んだ。「朱天殿たちを連れて抜け道から落ちのびよ」
「はい」
星は小さく答えて、朱天達をいざなった。
「あやめ、あんたはどうする?」
「荷物をまとめたら後を追うよ、朱天殿。例の掛け軸は捨てるには惜しかろう?」
「わかった。無事でな」
朱天達は星の後に続く。
星は、納戸と見える部屋の戸をあけると片膝ついて床を手のひらで叩いた。
と、床が跳ね上がり、地下へと続く階段があらわれた。
星が手招きし、朱天達は階段を下りて行った。
あやめは部下たちに必要な物だけ持ってすぐに館をでるように指示し、自分は釈迦如来像の掛け軸を隠し戸のなかから取り出した。
そこへ、どたどたと床板を踏み鳴らす、無数の音がせまる。
「ちっ、思うたより敵も動きがはやい」
掛け軸を抱えて、部屋を飛び出すと、廊下を走ってきた綱とぶつかりそうになって足をとめた。
綱が、じっとこちらを凝視している。
何者か判断つきかねているようにも、あやめの美貌に一瞬見とれたようにも見えた。
「女、何者だ」綱が誰何した。
「人の家に土足で踏みこんでおいて、何者かもないものよのう、渡辺綱殿」
「むっ!?」
瞬時に自分を渡辺綱と見破った女に、綱は不穏なものを抱き、抱いた瞬間には太刀を抜いて斬りつけていた。
さっとあやめが飛びのいた。
が、着地した拍子に足がちょともつれ、抱えた掛け軸が滑り落ちてしまった。
「ちっ」
と舌打ちしつつ手を伸ばしかけたあやめであったが、綱が太刀を振り上げつつ一歩踏み込んでくるのを見、身をひるがえして脱兎のごとく駈けだした。
それを手下に追わせ、綱自身は掛け軸を拾った。
「こんなものをなぜ、大事そうに抱えて逃げようとしたのか、あの女」
その時、綱の脳裏に、先日頼光邸で季武とかわした会話がよぎった。
「これが、中納言様の家から持ち出された掛け軸かもしれんな。中納言様もお困りであろう。あとで返してさしあげねば」
そうして、手下たちの後を追った。
館の廊下をいくつか曲がると、そこかしこで兵たちが右往左往している。
「いかがした」
「綱様、それが、賊徒の姿がまるで見当たりません」
「そんな馬鹿なことがあるか。じっさい、ついさっき女がひとりおったではないか」
「それが、霧か霞のようにふっと消えていなくなったんです」
「夢でも見ているのではあるまいな。人間が霧や霞に変じるなどあろうか。館のすみずみまで探せ、どこかに抜け穴かなにかあるに違いない」
「はい」
兵たちは、さっと散っていった。
抜け穴のトンネルは百メートルちかくも伸びていて、出口とみえるふさいだ板を持ちあげると、そこは見慣れぬ寺の……。
「くせえな、おい」茨木がそとに飛びだすと途端にぼやいた。
「厠の脇のようだな」朱天が辺りを見回す。「しかし、どこだここは」
「六波羅蜜寺の中」星が答えた。
「まさか、寺のうちに抜け道がつうじているとは、渡辺綱たちも気がつくまいな」
朱天が本堂とみえる巨大な建物を眺めた。
「さて、ここであやめを待つか」
「いえ、逃げるのが先決」
「そうか、星がそういうなら、この場を去ろう。さ、みんな、我が家まで走るぞ」
と、走りかけた朱天に、
「出口はどこだな」
熊八が訊くのだった。
1
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

金蝶の武者
ポテ吉
歴史・時代
時は天正十八年。
関東に覇を唱えた小田原北条氏は、関白豊臣秀吉により滅亡した。
小田原征伐に参陣していない常陸国府中大掾氏は、領地没収の危機になった。
御家存続のため、選ばれたのは当主大掾清幹の従弟三村春虎である。
「おんつぁま。いくらなんでもそったらこと、むりだっぺよ」
春虎は嘆いた。
金の揚羽の前立ての武者の奮戦記 ──
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
戦国三法師伝
kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。
異世界転生物を見る気分で読んでみてください。
本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。
信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
柿ノ木川話譚4・悠介の巻
如月芳美
歴史・時代
女郎宿で生まれ、廓の中の世界しか知らずに育った少年。
母の死をきっかけに外の世界に飛び出してみるが、世の中のことを何も知らない。
これから住む家は? おまんまは? 着物は?
何も知らない彼が出会ったのは大名主のお嬢様。
天と地ほどの身分の差ながら、同じ目的を持つ二人は『同志』としての将来を約束する。
クールで大人びた少年と、熱い行動派のお嬢様が、とある絵師のために立ち上がる。
『柿ノ木川話譚』第4弾。
『柿ノ木川話譚1・狐杜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/905878827
『柿ノ木川話譚2・凍夜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/50879806
『柿ノ木川話譚3・栄吉の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/398880017
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる