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第五章 長浜の女
五の三
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女は季恵と名乗った。
見た目や言葉づかいから察して、この辺りの者とは思えない――、おそらく江戸から流れてきた女だろう。だが、私事にかかわることでもあり、信十郎はためらって何も訊かなかった。
季恵は、家にふたりをあげると手早く布団を敷いて、お結をそのなかに寝かせた。桶に水を入れたのを用意して、その水で濡らした手ぬぐいをお結の額におく。それから、まだ朝晩は冷えるから、と長火鉢も持ってきて、枕元においた。最初から頭で予想していたように、流れるようにすべてを手際よく整えていったのだった。
家は、町の中心からはずいぶん離れていて、喧騒が伝わってくることもない、閑静な一角にあった。敷地はそこそこ広く、戸口を入って土間があり、その脇には十畳ほどの板の間があって、奥に八畳の居間と、お結が寝かされた四畳半と、さらに、奥にもふた部屋ほどあるようだった。
縁側の向こうに見える庭は、一間半に三間といったところか。
この辺りの平均的な住まいがどのようなものかはわからなかったが、暮らし向きにさほど不自由はしていないことはあきらかだった。
通ってきた板の間には、鑿や鉋などが置いてあって、作りかけとみえる小箪笥や文机などがいくつかおかれていた。
「去年死んだ亭主が指物師でね。今は残してくれた品を少しずつ売りさばいて、何とか食っている、ってありさまさ」
季恵は、居間で茶をいれながら、話してくれた。
「それももう、底をつきかけているからね、この先どうするかね」
ひとりごつように云って、お結の横に座る信十郎に茶を持ってきてくれた。
「ああもう、手ぬぐいはもっとよくしぼってからのせるんだよ。まったく、べとべとじゃないか」
季恵は信十郎がのせた、お結の額の手ぬぐいをとって、また水につけると力を入れずにしぼったようにみえたが、しかし、うまい分量で水をふくませたのを、またお結の額に置いた。
「きっと汗をかくだろうから、着がえを用意しなくちゃね」
季恵は大きな目を細めて、ほほえむようにして、奥に引っこんでいった。
その時、お結の目が、少しひらいた。
「お結、大丈夫か、頭は痛いか、苦しくはないか」
信十郎は、ひと息に訊いた。
お結は、うめくように、うんと云ったようだったが、それが返事だったのか、ただうなっただけだったのか。
「ああもう、そっとしとかなきゃだめだろう」
季恵は、何枚かの襦袢を布団の横に置いて、
「余計なことをするんじゃないよ」
眉をとがらせるようにして、信十郎をにらむのだった。
「おや、ずいぶん汗をかいてるね。着がえさせてあげるからね。そら、兄さんはそっちに行ってな」
旦那がいつの間にか兄さんになっていたのが、なんとなく納得できない気がしたが、信十郎は命じられるままに、居間へと移動した。
ちらっと横目でようすをうかがうと、とたんに、
「こっちを見るんじゃないよ」
叱声が飛んできた。
今までお結の着がえは何度も手伝っていたし、風呂もいっしょに入っていたし、今さら裸をみたからといって、どうのこうの思うわけもないのだが。
しばらくして、
「これで、しばらくは大丈夫だろう」
溜め息をつくように云って、信十郎の前にきて座った。
お結はもう、寝息を立てて、眠っていた。
「兄さん、そういえば名前を聞いてなかったね」
「川井信十郎だ。あの子はお結」
「まあ、ふたりの関係は訊かないことにするよ。どこへ行くのに旅してんだい」
「国の福井へ帰るところなんだ」
「あ、そうだ」と訊いておいて無視するように、「ご飯があたしの分しかないんだわ。なにか買ってくるからね。食べたいものはあるかい。ない。お酒はいるかい。いらない。そう。じゃ、行ってくるね」
季恵はまた忙しそうにぱたぱたと用意をして、でていった。
えらく自分本位の速さで物事を進める女だったが、あけっぴろげでまっすぐな気性だし、喋りかたから身のこなしまで、見ていても接していても、気持ちのいい女だと信十郎は思ったのだった。
見た目や言葉づかいから察して、この辺りの者とは思えない――、おそらく江戸から流れてきた女だろう。だが、私事にかかわることでもあり、信十郎はためらって何も訊かなかった。
季恵は、家にふたりをあげると手早く布団を敷いて、お結をそのなかに寝かせた。桶に水を入れたのを用意して、その水で濡らした手ぬぐいをお結の額におく。それから、まだ朝晩は冷えるから、と長火鉢も持ってきて、枕元においた。最初から頭で予想していたように、流れるようにすべてを手際よく整えていったのだった。
家は、町の中心からはずいぶん離れていて、喧騒が伝わってくることもない、閑静な一角にあった。敷地はそこそこ広く、戸口を入って土間があり、その脇には十畳ほどの板の間があって、奥に八畳の居間と、お結が寝かされた四畳半と、さらに、奥にもふた部屋ほどあるようだった。
縁側の向こうに見える庭は、一間半に三間といったところか。
この辺りの平均的な住まいがどのようなものかはわからなかったが、暮らし向きにさほど不自由はしていないことはあきらかだった。
通ってきた板の間には、鑿や鉋などが置いてあって、作りかけとみえる小箪笥や文机などがいくつかおかれていた。
「去年死んだ亭主が指物師でね。今は残してくれた品を少しずつ売りさばいて、何とか食っている、ってありさまさ」
季恵は、居間で茶をいれながら、話してくれた。
「それももう、底をつきかけているからね、この先どうするかね」
ひとりごつように云って、お結の横に座る信十郎に茶を持ってきてくれた。
「ああもう、手ぬぐいはもっとよくしぼってからのせるんだよ。まったく、べとべとじゃないか」
季恵は信十郎がのせた、お結の額の手ぬぐいをとって、また水につけると力を入れずにしぼったようにみえたが、しかし、うまい分量で水をふくませたのを、またお結の額に置いた。
「きっと汗をかくだろうから、着がえを用意しなくちゃね」
季恵は大きな目を細めて、ほほえむようにして、奥に引っこんでいった。
その時、お結の目が、少しひらいた。
「お結、大丈夫か、頭は痛いか、苦しくはないか」
信十郎は、ひと息に訊いた。
お結は、うめくように、うんと云ったようだったが、それが返事だったのか、ただうなっただけだったのか。
「ああもう、そっとしとかなきゃだめだろう」
季恵は、何枚かの襦袢を布団の横に置いて、
「余計なことをするんじゃないよ」
眉をとがらせるようにして、信十郎をにらむのだった。
「おや、ずいぶん汗をかいてるね。着がえさせてあげるからね。そら、兄さんはそっちに行ってな」
旦那がいつの間にか兄さんになっていたのが、なんとなく納得できない気がしたが、信十郎は命じられるままに、居間へと移動した。
ちらっと横目でようすをうかがうと、とたんに、
「こっちを見るんじゃないよ」
叱声が飛んできた。
今までお結の着がえは何度も手伝っていたし、風呂もいっしょに入っていたし、今さら裸をみたからといって、どうのこうの思うわけもないのだが。
しばらくして、
「これで、しばらくは大丈夫だろう」
溜め息をつくように云って、信十郎の前にきて座った。
お結はもう、寝息を立てて、眠っていた。
「兄さん、そういえば名前を聞いてなかったね」
「川井信十郎だ。あの子はお結」
「まあ、ふたりの関係は訊かないことにするよ。どこへ行くのに旅してんだい」
「国の福井へ帰るところなんだ」
「あ、そうだ」と訊いておいて無視するように、「ご飯があたしの分しかないんだわ。なにか買ってくるからね。食べたいものはあるかい。ない。お酒はいるかい。いらない。そう。じゃ、行ってくるね」
季恵はまた忙しそうにぱたぱたと用意をして、でていった。
えらく自分本位の速さで物事を進める女だったが、あけっぴろげでまっすぐな気性だし、喋りかたから身のこなしまで、見ていても接していても、気持ちのいい女だと信十郎は思ったのだった。
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