湖水のかなた

優木悠

文字の大きさ
上 下
29 / 62
第三章 路のとちゅう

三の八

しおりを挟む
 清彦はお結を右腕にかかえて、ひたすら走った。普段ののっそりした彼の動作を知っている人がみたら、きっと驚くほど俊敏に、彼は走った。
 左脇の、ひびがはいった肋骨がずきずきと痛んだ。だがけっして、それを我慢しているわけではなく、興奮で感覚が麻痺してしまっていて、まるで気にもとめないのだった。
 ――やった、やったぞ。
 清彦は狂喜していた。
 とうとう、おゆいを取り返すことができた。あの桐野という男のもくろみが完璧なまでに図に当たった。
 あの新選組隊士は云った、私の云うとおりに行動すれば必ず娘をとりかえせる、と。
「おゆいは、わたしのものだ、わたしのものだ」
 清彦は、こみあげる喜悦をそのまま言葉にして、つぶやくのだった。
 この数日、一生懸命に自分を押し殺し、お結をなでまわしたい衝動をこらえ、あの善人ぶった川井という愚か者に頭をさげつづけた成果を、やっとこの手につかむことができたのだ。
 その時、右腕に激痛が走った。悲鳴をあげて立ちどまる。
 みると、かかえたお結が、腕に噛みついている。
 きいきいと、甲高い悲鳴をあげつづけながら、清彦が強引におゆいをひきはがした。そして、街道脇の草むらに、彼女を投げ飛ばした。
 お結はすぐに立ちあがり、西にある雑木林にむかって逃げ出した。
「おゆい、おゆい、どこへいく、まて、まつんだ」
 息をきらしながら、清彦は叫び、お結を必死の形相で追いかける。
 雑木林の手前で、お結に追いついた彼は、彼女の衿をつかんで引き倒した。
「悪い子っ、人を噛むなんて、とっても悪い子っ」
 叱りながら、清彦は噛まれた傷を舐めた。それは、痛みをやわらげようと無意識に傷を舐めてしまう本能の動作というより、腕に付着したお結の唾液を丹念に舐め、悦楽にひたっているようであった。
 這って逃れようとするお結を、清彦は、反対向きに、つまり、彼女の尻が彼の正面になるように抱え込んだ。
 もがいて逃げようとするお結を、片膝をついた姿勢でしっかりと抱えてはなさない。もう、絶対にはなすものかというくらいの執念のこもった腕力で、お結の腹を締めつけるのだった。
「いけない子っ、おまえは、いけない子、ぺんぺんですよっ」
 赤ちゃんを叱責するように叫びながら、清彦は、お結の尻を、手のひらで叩いた。何度も、何度も、叩いた。お結の尻の柔らかさを堪能するように、いくども叩きつづけるのだった。ひとつ叩くたびに彼は陶酔していった。必死に苦痛と羞恥を耐える彼女の口からもれでる喘ぎ声に、彼女の身体の熱に。
 その耽溺のひと時を邪魔するように、どこかから人が叫ぶ声がする。
「お結、どこだ、お結」
 首をまわすと、街道の雑木林に囲まれた一角から、馬にまたがって川井という男が飛びだしてきた。
「おじちゃんっ」
 お結が叫んだ。
 清彦は彼女をくるりとひっくりかえすと、後ろから抱きしめて、地面に押し倒し、口を手でふさいだ。
 こうして草の陰に隠れていれば、みつかることはないだろう。
 そして隠れながら、彼は、信十郎に嫉妬した。
 あの男は、お結の心の扉を開いていた。清彦の前ではけっして出すことのなかった、感情のこもったお結の叫び声を耳にして、それを察した。
 そして彼は信十郎をうらんだ。お結を連れ去り、自分を散々殴打し、人生を、未来を無茶苦茶にした男を、凄絶に怨んだ。
 お結が清彦の手ひらを噛んだ。
「痛いっ」
 噛まれた痛みで、完全に逆上した清彦はお結の背中にまたがった。腕で頭を押さえつけ、彼女が息ができなくなるほど、思いっきりすべての体重を小さな身体にのせ、
「いけない子、いけない子、おちおきですよっ」
 云いながら、あいた手でまたお結の尻をぶちはじめた。
 ぴしりぴしりと、尻を叩くたびに響く音色が、彼の耳に心地よくしみわたってくるのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夕映え~武田勝頼の妻~

橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。 甲斐の国、天目山。 織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。 そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。 武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。 コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

壬生の花

優木悠
歴史・時代
新選組の若き隊士の物語。 園田又四郎たち三人の仲間は、大志を胸に新選組に入隊した。 だが、親友だった半助が切腹したことにより、又四郎の歯車がじょじょに狂いはじめる。 この小説は、遠い昔、私がまだ若かった頃に構想していた物語を小説化しました。 文字数としましては、本来、3、4倍の分量になるはずでしたが、執筆にあたり、まだ長編を描ききる自信がありませんでしたので、物語の中盤を抜き出す形で短編として書きました。 また、この小説は、カクヨムから転載したものです。そのさい、多少の加筆、修正をおこないました。

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)
歴史・時代
 少女は市村鉄之助という少年と入れ替わり、土方歳三の小姓として新選組に侵入した。国を離れ兄とも別れ、自分の力だけで疾走したいと望んだから。  次第に少女は副長である土方に惹かれていく。 (私がその背中を守りたい。貴方の唯一になりたい。もしも貴方が死を選ぶなら、私も連れて行ってください……)  京都から箱館までを駆け抜ける時代小説。信じた正義のために人を斬り、誠の旗の下に散華する仲間たち。果たして少女に土方の命は守れるのか。 ※史実に沿いながら物語は進みますが、捏造だらけでございます。 ※小説家になろうにも投稿しております。

処理中です...