湖水のかなた

優木悠

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第三章 路のとちゅう

三の七

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 桐野は大きく両腕を広げた。それは、まるでとおせんぼをするようでもあり、猛禽が翼を広げ獲物を威嚇しているようでもあった。
 桐野の右腕が動く。
 腕だけでなく、腰をまわし、舞うように剣が薙ぎはらわれる。
 信十郎は後ろに飛びのいた。
 桐野が追って、さらに舞う。信十郎はさらに飛びのく。桐野の剣は、右まわりに何度も回転していたと思うと、ふいに左の回転に変わる。
 桐野はまさに舞っていた。剣術というよりも、舞踊と云ったほうが、その一連の動きを端的にいいあらわしているようだった。太刀筋は見とれてしまうほど美しく、しかし、腕がまるで鞭のようにしなって襲ってきて、恐怖をも内包していた。
 ――この男、鏡心明智流きょうしんめいちりゅうだったはずだ。
 信十郎は、新選組にいた鏡心明智流の隊士と、何度か手合わせをしたことがあった。だが、こんな舞をまうような、優雅な太刀筋ではなかった。
 横に回転していた刀が、とつぜん、袈裟懸けさがけに変わった。それでも回転はとまるわけではなく、上から下へと振りおろされた刀が、身体ごと斜めに一回転して、また上から襲ってくるのだった。
 信十郎は、飛び、はじき、その攻撃を防いでいた。
 まるで型にとらわれない桐野の攻撃に、信十郎は、いらだちをおぼえた。
 お結の身も心配だった。
 桐野は、信十郎の動揺を誘うために、清彦を指嗾しそうしたのだろう。攻撃をしかけるのと同時にお結を連れ去る手はずだったに違いなかった。
 不意に、桐野の回転がとまる。ふっとひといきつくまもない。今度は、突きが連続で繰り出された。右方向からの突き、左方向からの突き、さらに上下からも切っ先が飛んできて、まるでその軌道が信十郎には読めない。
 ただ、反射神経だけで、必死にかわしていた。
 信十郎は刀をふって、突きだされる刀をはじいた。強くはじいた衝撃で、桐野がちょっとよろけたようにみえた。それを見のがさず、信十郎は攻撃に転じた。
 正眼から、刀を振り上げ、袈裟懸けに振りおろす。
 桐野は、ふわりと身をよじってかわす。
 信十郎は剣を斬り上げる。
 また桐野はふわりとかわす。攻撃だけでなく、かわすさまも、舞踊のようだった。
 かわした桐野の身体を追って、信十郎の刀が走る。
 その攻撃を、桐野はかわしつつ、自らの剣ではじいた。
 しかも、はじきかたが巧妙で、信十郎の刀の切っ先をからめるように受けとめ、受けとめつつ脇へと振り払う。
 払われた信十郎の刀は、大きく左へと押し流された。自然、右手がはずれ、左手だけで、柄をつかむ格好になった。
 桐野は戦いのあいだじゅうずっと右腕一本しか使っていない。にもかかわらず、凄まじい衝撃が信十郎の腕をはじきとばしたのだった。腕力はさほどでもないのに、なにか身体の均衡を崩させるような、秘訣があるようだった。
 桐野の唇が、愉悦をうつしておおきくゆがんだ。戦いに陶酔している人間の顔だった。
 彼の刀が、うなりをあげて、信十郎に向かってきた。
 たまらず、信十郎は、後ろ向きに倒れて、それをかわした。
 追って、桐野の刀が振りおろされる。
 信十郎は横にころがってかわす。さらに桐野の刀が突いてくる。ころがって、かわす。突かれる、かわす。
 突如、視界が急激に下から上へと流れた。
 そこは、いつの間にか松並木を抜けていて、岸沿いの、段差になっている場所だった。
 まるで湖岸と街道を隔てるためにわざと削りとったような、ほんの二尺程度の段差だったが、まったくの予想外のことで、信十郎は受け身もとれずに、背中をしたたかに地面に打ちつけ、一瞬息がとまった。だが身体をとめることはせず、信十郎はさらに一間ほど転がった。
 段差のうえから、桐野の身体が躍りあがった。
 全体重をのせた刀が、転がった信十郎に向けて迫ってくる。
 よけることもできず、苦し紛れに、信十郎は、刀を突きあげた。
 意表をつかれて、桐野が空中で身体をよじる。そのまま着地したものだから、全身の平衡がくずれて、信十郎の身体をまたぎこえると、湖岸のほうへたたらをふむようによろめいた。
 信十郎は立ちあがる。
 桐野が振り返る。
 信十郎は正眼にさっと構え、切先を右に動かすと見せかけて左へ動かし、さらに右へと動かした。
 つられて桐野は、切先を目で追い、追いつつ、反射的に信十郎の刀を払いとばそうと動いた。
 だが、その左から右へと振り払った刀は、空を斬った。
 桐野が動揺した瞬間、信十郎は飛びこんでいた。桐野の身体は、まったく無防備に正面をこちらにさらけだしていた。その胸に、信十郎の斬り上げる刀が食いこんだ。
 信十郎はそのまま振り上げるように刀を振る。
 刃は、右脇から左肩まで、一直線に桐野を切り裂さいた。
 桐野は悲鳴をあげた。
 だが、それは、苦痛の悲鳴でも負けた悔しさの悲鳴でもなかった。なにか恍惚とした、斬られたことが快感でもあるかのような、不気味な悲鳴だった。
 しばらく続いた悲鳴が、突然とまった。
 叫びながら絶命した桐野は、あおむけにばたりと倒れたのだった。
 信十郎は、息をととのえる間もなく、走り出した。
 街道へもどると、桐野の乗ってきた馬が、所在なさげにうろうろしているのを見つけた。
 信十郎はその背に飛び乗り馬腹を蹴った。
「お結、お結っ」
 彼の悲痛な想いは言葉となって、口からもれだしていた。
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