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第二章 ふたりのゆくえ
二の八
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――御堂たちまでが、追っ手に加わっていたのか。
信十郎は、背筋に寒気が走るような気がした。
御堂たちは、同じ新選組の者たちからも眉をひそめられるほど、残虐なおこないで悪名をはせる三人組だった。
彼らは六番隊に属し、隊長の井上という人が温厚な人柄なのをいいことに、ずいぶん派手に暴れまわっていた。
信十郎は、屯所で顔を見たことがあるくらいで、所属も違うし、直接のかかわりはなかったが、それでも彼らの悪行が意識せずとも耳に入ってくるほどであった。
あるとき、某という、長州藩士がなりすましている仕立て屋がいることが発覚した。その間者は町人に変装し、夫婦で店をいとなむことで幕府方の目をあざむいて、京の情勢や情報を藩に流していたわけだが、その捕縛に、御堂たち三人が選ばれた。店にむかった彼らは、まず男を半殺しにし、その前で妻を凌辱し、その後、ふたりともを無残に斬殺したのだった。
そんな男たちが、今、おゆいと、世話になった経国夫婦を人質にとり、信十郎を待ち構えているという。
息はきれ、脚だけでなく、腕までもが棒のように疲れはて、それでも信十郎はひた走りに走った。
信十郎の隣で寝息をたてて寝ていたおゆいの赤い頬とか、握った手の温もりとか、背負ったときの身体の感触とか、この数日間、おゆいとともに過ごした経験が、頭の中につぎつぎによみがえってくるのだった。
「おゆい、おゆい」われ知らずつぶやいていた。「待ってろ、おゆい。すぐに行くからな」
一刻(二時間)かけて歩いてきた道のりを、小半刻で駆け抜けた。
やがて、研師の家が見え、その門に飛びこむように走り込んだ。
庭に入って、右側にある母屋の縁側にいた人々が信十郎をみとめていっせいに振りむいた。
御堂は縁側に腰かけて、膝の上におゆいを抱き、みちに酌をさせて杯をあおっている。
そのかたわらには、巨躯の坂井五郎左衛門が十文字槍を抱えるようにして立っていて、反対側に痩身で青白い顔をした正木仙が、虚ろな表情で柱によりかかっている。
そして三人とも、新選組のだんだら羽織を身につけていた。こういう捕縛任務のときには、追っ手に気づかれやすいので、派手な羽織は着ないことが多いが、彼らは新選組の威勢を誇示するかのように、それを身につけているのであった。
信十郎は、庭のふちを弧を描くように、彼らの前に回り込んだ。
三人は、何も言わず、ただあざけるような笑みを浮かべ、信十郎が庭の真ん中までくるのを眺めていた。
おゆいが、驚いたような顔で、信十郎を見ている。
「おゆいっ」
信十郎は悲鳴のように叫ぶ。
こちらへ走ってこようともがくおゆいを、御堂が後ろから抱きとめていた。すると今度は、その背後から、
「ばか野郎、なんで戻ってきたっ」
経国が叫ぶ声がきこえた。ほとんど罵倒に近い云いかただった。彼は、居間の隅の暗がりに縛られて転がされていたのだが、西陽の照りさかる外からでは、その姿がよく見えなかった。
「お前が戻らなけりゃ、こいつらは、そのうち退散したんだ」
「ははは、その通り」経国の言葉を受けて、御堂が口をひらいた。「まあ、ひと晩くらい奥方にお付き合いを願ったかもしれませんがね」
「下種め。下種どもめ」信十郎は心の底から御堂たちを憎んだ。
「下種はひどい。私たちはいつも死と隣り合わせの生活を送っているんだ。女性に慰労してもらうくらい、当然の権利じゃないか。それに、この研師夫婦は、逃亡者をかくまった罪人だ。ちょっとくらい、お仕置きが必要だろう」
「その夫婦は関係ない。俺を倒すのが目的なら、直接俺を狙ってこい」
「ばかを云うんじゃないよ」御堂は口をゆがめ甘ったるいような云いかたをした。「そんな芸のないことをしたって、面白くもなんともないでしょう」
「遊びでやってるのか」
「まあ、人生、楽しまなくてはねえ」御堂の顔が、卑劣な笑みで満たされた。杯をわきにおいた手で、おゆいの頭をなでまわしている。
信十郎は、刀の柄を握った。
三人は、予期していたように、すぐに臨戦態勢を整えた。
坂井が数歩こちらに歩いてきつつ、十文字槍をその頭のうえでうなりをあげて一回転させると、穂先を信十郎につける。
正木は、ゆらりと身体を立てて小太刀を抜き、精気のない目で不気味にこちらをみつめる。
御堂が膝のおゆいをおろすと、みちがすぐにかかえこむようにして、奥に引っこんだ。
彼は縁側からすべるようにしておりて、抜いた刀を左手に持ち、右手はだらりと下げたままだった。竹村流の手裏剣術の使い手だと、信十郎は聞いたことがあった。おそらく手のひらにはなにかしらの得物が隠されているのだろう。
広い庭に、冷たい殺気が満ちた。
信十郎は、鯉口を切って、ゆっくりと、心を落ちつかせるように刀を抜いた。
鶏が、こちらの緊迫した空気などそしらぬふうに鳴いている。
信十郎は、背筋に寒気が走るような気がした。
御堂たちは、同じ新選組の者たちからも眉をひそめられるほど、残虐なおこないで悪名をはせる三人組だった。
彼らは六番隊に属し、隊長の井上という人が温厚な人柄なのをいいことに、ずいぶん派手に暴れまわっていた。
信十郎は、屯所で顔を見たことがあるくらいで、所属も違うし、直接のかかわりはなかったが、それでも彼らの悪行が意識せずとも耳に入ってくるほどであった。
あるとき、某という、長州藩士がなりすましている仕立て屋がいることが発覚した。その間者は町人に変装し、夫婦で店をいとなむことで幕府方の目をあざむいて、京の情勢や情報を藩に流していたわけだが、その捕縛に、御堂たち三人が選ばれた。店にむかった彼らは、まず男を半殺しにし、その前で妻を凌辱し、その後、ふたりともを無残に斬殺したのだった。
そんな男たちが、今、おゆいと、世話になった経国夫婦を人質にとり、信十郎を待ち構えているという。
息はきれ、脚だけでなく、腕までもが棒のように疲れはて、それでも信十郎はひた走りに走った。
信十郎の隣で寝息をたてて寝ていたおゆいの赤い頬とか、握った手の温もりとか、背負ったときの身体の感触とか、この数日間、おゆいとともに過ごした経験が、頭の中につぎつぎによみがえってくるのだった。
「おゆい、おゆい」われ知らずつぶやいていた。「待ってろ、おゆい。すぐに行くからな」
一刻(二時間)かけて歩いてきた道のりを、小半刻で駆け抜けた。
やがて、研師の家が見え、その門に飛びこむように走り込んだ。
庭に入って、右側にある母屋の縁側にいた人々が信十郎をみとめていっせいに振りむいた。
御堂は縁側に腰かけて、膝の上におゆいを抱き、みちに酌をさせて杯をあおっている。
そのかたわらには、巨躯の坂井五郎左衛門が十文字槍を抱えるようにして立っていて、反対側に痩身で青白い顔をした正木仙が、虚ろな表情で柱によりかかっている。
そして三人とも、新選組のだんだら羽織を身につけていた。こういう捕縛任務のときには、追っ手に気づかれやすいので、派手な羽織は着ないことが多いが、彼らは新選組の威勢を誇示するかのように、それを身につけているのであった。
信十郎は、庭のふちを弧を描くように、彼らの前に回り込んだ。
三人は、何も言わず、ただあざけるような笑みを浮かべ、信十郎が庭の真ん中までくるのを眺めていた。
おゆいが、驚いたような顔で、信十郎を見ている。
「おゆいっ」
信十郎は悲鳴のように叫ぶ。
こちらへ走ってこようともがくおゆいを、御堂が後ろから抱きとめていた。すると今度は、その背後から、
「ばか野郎、なんで戻ってきたっ」
経国が叫ぶ声がきこえた。ほとんど罵倒に近い云いかただった。彼は、居間の隅の暗がりに縛られて転がされていたのだが、西陽の照りさかる外からでは、その姿がよく見えなかった。
「お前が戻らなけりゃ、こいつらは、そのうち退散したんだ」
「ははは、その通り」経国の言葉を受けて、御堂が口をひらいた。「まあ、ひと晩くらい奥方にお付き合いを願ったかもしれませんがね」
「下種め。下種どもめ」信十郎は心の底から御堂たちを憎んだ。
「下種はひどい。私たちはいつも死と隣り合わせの生活を送っているんだ。女性に慰労してもらうくらい、当然の権利じゃないか。それに、この研師夫婦は、逃亡者をかくまった罪人だ。ちょっとくらい、お仕置きが必要だろう」
「その夫婦は関係ない。俺を倒すのが目的なら、直接俺を狙ってこい」
「ばかを云うんじゃないよ」御堂は口をゆがめ甘ったるいような云いかたをした。「そんな芸のないことをしたって、面白くもなんともないでしょう」
「遊びでやってるのか」
「まあ、人生、楽しまなくてはねえ」御堂の顔が、卑劣な笑みで満たされた。杯をわきにおいた手で、おゆいの頭をなでまわしている。
信十郎は、刀の柄を握った。
三人は、予期していたように、すぐに臨戦態勢を整えた。
坂井が数歩こちらに歩いてきつつ、十文字槍をその頭のうえでうなりをあげて一回転させると、穂先を信十郎につける。
正木は、ゆらりと身体を立てて小太刀を抜き、精気のない目で不気味にこちらをみつめる。
御堂が膝のおゆいをおろすと、みちがすぐにかかえこむようにして、奥に引っこんだ。
彼は縁側からすべるようにしておりて、抜いた刀を左手に持ち、右手はだらりと下げたままだった。竹村流の手裏剣術の使い手だと、信十郎は聞いたことがあった。おそらく手のひらにはなにかしらの得物が隠されているのだろう。
広い庭に、冷たい殺気が満ちた。
信十郎は、鯉口を切って、ゆっくりと、心を落ちつかせるように刀を抜いた。
鶏が、こちらの緊迫した空気などそしらぬふうに鳴いている。
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