13 / 62
第二章 ふたりのゆくえ
二の二
しおりを挟む
経国という四十過ぎくらいの研師は、ひどく無愛想な男だった。
これから研ぐ予定の依頼の品であろう、作業場の土間に並べられているのは、土のついた鍬や鎌などの農作業の道具がほとんどだったし、刃物らしい刃物といえば、いま彼が研いでいる包丁と、土間の脇にほんの数本だけ、桶に刀がつっこんであるだけだった。田舎の研師には不釣りあいな、経国という代々うけつがれてきたような、なにか歴史を感じさせる仰々しい名前ではあったが、ささやかに、百姓や職人相手の商売をして食いつないでいるような雰囲気だった。
川井信十郎が、大刀をさしだして研ぎをたのむと、経国は包丁を研いでいた手をとめて、刀を鞘から引きぬくと髭面をゆがめ、舌打ちをしながら云った。
「こんなに錆が浮くまで手入れをしないなんて、お前さん、刀を持つ資格がないな」
そして、刀身から大きな目をはなし、今度は信十郎に冷眼をむける。
「しかも人を斬って、拭いもかけずに鞘にしまうなんぞ、まったくなにを考えているのかね」
上がり框に座って信十郎は、返す言葉もなく、面目なさげにただ苦く笑った。
経国は、ひとつ嘆息して、
「まあ、いいだろう、時間はもらうがね」
ぶっきらぼうに云った。
「それが」と信十郎は、申し訳なさそうに云った。「よんどころない事情で、少々急いでいる。なんとかならないかな」
「しかし、これだけ痛んでいたんじゃなあ。急いでいるんなら、俺の手持ちのと交換するかい」
「いや、その刀は国を出るときに、剣術の恩師からもらったものだから」
「長船の良いのだし、な」
「それと、いささか懐が不如意でな」
頭をかきながら云う信十郎を、研師は白い眼でみた。
「この脇差を研ぎ代としてもらってくれんか」
と云って信十郎がさしだした脇差を経国が取り、引きぬいて、また、はあと大きなため息をついた。
「こっちもひどいな」
「もうしわけない」
「二両」
「うん」
「大きいの一本だけじゃ、腰が寂しいだろう、そこに立ててある脇差から好きなのを持っていっていい。研ぎ代とそれと、あわせた分を引いて、二両でこの脇差を買い取ろう」
「うん、充分だ」
信十郎は立って、土間のすみにある桶のなかに、無造作に数本立てられている刀たちのところへいき、手にとっては鞘からぬいて刀身を調べ、またとって鞘から抜いて、とくりかえして適当なのをみつくろう。どれも無銘のようだったが、研ぎはしっかりとしてあるし、けっしてなまくらというわけではなさそうだ。
「それと、この辺りに私と娘のふたりを泊めてくれるようなところはないかな」
信十郎がもらうと決めた脇差を一本を手に持って、訊いた。
経国は、ふたたび包丁を研ぎはじめていた。
「うちの離れが空いている。好きにつかいな」
「ありがたい」
「研ぎが終わるまで三日。宿賃として、ひと晩一朱もらう」
信十郎は苦笑して、頭をかき、
「ありがたい」
とつぶやいた。
これから研ぐ予定の依頼の品であろう、作業場の土間に並べられているのは、土のついた鍬や鎌などの農作業の道具がほとんどだったし、刃物らしい刃物といえば、いま彼が研いでいる包丁と、土間の脇にほんの数本だけ、桶に刀がつっこんであるだけだった。田舎の研師には不釣りあいな、経国という代々うけつがれてきたような、なにか歴史を感じさせる仰々しい名前ではあったが、ささやかに、百姓や職人相手の商売をして食いつないでいるような雰囲気だった。
川井信十郎が、大刀をさしだして研ぎをたのむと、経国は包丁を研いでいた手をとめて、刀を鞘から引きぬくと髭面をゆがめ、舌打ちをしながら云った。
「こんなに錆が浮くまで手入れをしないなんて、お前さん、刀を持つ資格がないな」
そして、刀身から大きな目をはなし、今度は信十郎に冷眼をむける。
「しかも人を斬って、拭いもかけずに鞘にしまうなんぞ、まったくなにを考えているのかね」
上がり框に座って信十郎は、返す言葉もなく、面目なさげにただ苦く笑った。
経国は、ひとつ嘆息して、
「まあ、いいだろう、時間はもらうがね」
ぶっきらぼうに云った。
「それが」と信十郎は、申し訳なさそうに云った。「よんどころない事情で、少々急いでいる。なんとかならないかな」
「しかし、これだけ痛んでいたんじゃなあ。急いでいるんなら、俺の手持ちのと交換するかい」
「いや、その刀は国を出るときに、剣術の恩師からもらったものだから」
「長船の良いのだし、な」
「それと、いささか懐が不如意でな」
頭をかきながら云う信十郎を、研師は白い眼でみた。
「この脇差を研ぎ代としてもらってくれんか」
と云って信十郎がさしだした脇差を経国が取り、引きぬいて、また、はあと大きなため息をついた。
「こっちもひどいな」
「もうしわけない」
「二両」
「うん」
「大きいの一本だけじゃ、腰が寂しいだろう、そこに立ててある脇差から好きなのを持っていっていい。研ぎ代とそれと、あわせた分を引いて、二両でこの脇差を買い取ろう」
「うん、充分だ」
信十郎は立って、土間のすみにある桶のなかに、無造作に数本立てられている刀たちのところへいき、手にとっては鞘からぬいて刀身を調べ、またとって鞘から抜いて、とくりかえして適当なのをみつくろう。どれも無銘のようだったが、研ぎはしっかりとしてあるし、けっしてなまくらというわけではなさそうだ。
「それと、この辺りに私と娘のふたりを泊めてくれるようなところはないかな」
信十郎がもらうと決めた脇差を一本を手に持って、訊いた。
経国は、ふたたび包丁を研ぎはじめていた。
「うちの離れが空いている。好きにつかいな」
「ありがたい」
「研ぎが終わるまで三日。宿賃として、ひと晩一朱もらう」
信十郎は苦笑して、頭をかき、
「ありがたい」
とつぶやいた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……

壬生の花
優木悠
歴史・時代
新選組の若き隊士の物語。
園田又四郎たち三人の仲間は、大志を胸に新選組に入隊した。
だが、親友だった半助が切腹したことにより、又四郎の歯車がじょじょに狂いはじめる。
この小説は、遠い昔、私がまだ若かった頃に構想していた物語を小説化しました。
文字数としましては、本来、3、4倍の分量になるはずでしたが、執筆にあたり、まだ長編を描ききる自信がありませんでしたので、物語の中盤を抜き出す形で短編として書きました。
また、この小説は、カクヨムから転載したものです。そのさい、多少の加筆、修正をおこないました。
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる