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今の私に、彼女を罰する権利はない
しおりを挟む今から医務室に戻ったところで、おそらく間に合わないだろう。ここに来るまでにかなり時間を使ってしまったから、今頃ゾフィーは迎えの馬車に乗って、伯爵邸へ向かっているはずだ。
「すみませんが、生徒会長のオリバー先輩、もしくはジョシュア殿下を呼びに行って頂けませんか。おそらく生徒会室にいると思うので」
後ろで呆然と事の成り行きを見ていた管理人の女性に声をかける。
彼女は慌てた様子で部屋を飛び出していった。
それから改めて、取り乱して泣き崩れるマーガレット先輩に向き合った。
「落ち着いてください、マーガレット先輩」
私はおもむろに、ジョシュアからもらった指輪を外した。
「手を出して頂けますか?」
「何をするつもりなの」
「……試したいことがあるので」
おずおずと差し出された手は小さくて、同じ指だとサイズが余ってしまう。
それでも指輪を嵌めた瞬間、石は真っ赤に染まり、マーガレット先輩は意識を失った。
そして目を覚ました時、彼女はマーガレット先輩ではなくなっていた。
「……エメリン――よくもっ」
彼女はすぐさま状況を把握すると、私に掴みかかってきた。
「あと少しだったのにっ。あと少しでっ、あの男のところへ行けたのにっ」
「ゾフィー……戻ったのね」
「どうしてあたしの邪魔をするのっ。貴女には関係ないことでしょっ」
激高した彼女にぶたれても、私は甘んじてその行為を受け入れた。
頬が熱い。じんじんする。口の中を切ったらしく、錆の味がした。
「関係ないこと、ないわ」
「まだ友達ヅラするつもり?」
「そうよ」
「友達だったら何をしてもいいの?」
血走った目で睨みつけられて、
「貴女こそ、復讐のためなら、何をしてもいいの?」
私も負けじと睨み返す。
「貴女は、マーガレット先輩を陥れようとした。先輩に罪を着せるつもりだったのでしょう?」
「……あの男に近づくために、彼女の身体が必要だっただけよ」
「なら、屋上の件はどうなるの? 間接的に伯爵を苦しめたかったから?」
ゾフィーは反論せず、ぎゅっと拳を握り締めている。
「エメリンには分からないわ、あたしの気持ちなんて」
「相手を傷つけるだけが復讐じゃないわ。偉い魔法使いになって伯爵を見返すと、言っていたじゃない」
「その程度で、あいつが自分の行いを反省するもんですかっ」
「……ゾフィー」
こちらに向かってくる足音が聞こえて、私は口を閉じた。
現れたのはジョシュアだった。
管理人の女性から事情を聞いたのか、油断ならない目をゾフィーに向けている。
「副会長のところへは会長が向かってる。もう、言い逃れはできないよ」
ゾフィーは「はっ」と笑うと、チャンスとばかり私を見た。
「王子様からもらった指輪を外すなんて、馬鹿なことをしたわね、エメリン」
咄嗟に頭の中で警報が鳴ったものの、時既に遅く、
「貴女にもあたしと同じ気持ちを味あわせてあげるわ」
次の瞬間、私はゾフィーの目から視線を逸らせなくなった。
焦げ茶色の大きな瞳――彼女の瞳はなんて……なんて美しいのかしら。
「ねぇ、エメリン。あたしのこと好き?」
「ええ、もちろんよ、ゾフィー」
「友達だから?」
「友達以上よ」
「だったら、殿下とあたし、どっちを優先してくれる?」
「考えるまでもないわ、ゾフィー。貴女よ」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
考えていることとは別の言葉が口から出てくる。
「なら、殿下を今すぐ貴女の魔法で氷漬けにして。できるわよね?」
できるわけがない。
それなのに身体が勝手に動いて、ジョシュアの前で呪文を唱えていた。
「エマに何をした?」
「見て分からない? 魅了魔法をかけたの。エメリンはもう、あたしの言いなりよ」
心の中で、ジョシュアに向かって「逃げて」と叫んでいた。
けれど彼は逃げずに、それどころか反撃する気配すらない。
ただ悲しげな笑みを浮かべて、「君を傷つけるくらいなら」と諦めたように目を閉じる。
「愛してるよ、エマ」
みしみしと音を立てて、ジョシュアの身体が氷に包まれていく。
自分で自分のやっていることが理解できず、私は心の中で悲鳴を上げていた。
「いい気味っ」
頭まで氷漬けとなったジョシュアを前にして、ゾフィーは高笑いしていた。
「貴女が悪いのよ、エメリン。あたしの邪魔をするから」
「……そんなに、わたくしのことが嫌い?」
生まれて初めて、心から誰かを憎いと思った。
苦しめてやりたいと。
「ええ、嫌いっ。大嫌いよっ」
「だったらどうして、まだそのネックレスを付けているの?」
指摘されて、初めて気づいたようだ。
ゾフィーは一瞬、惚けたような顔をした。
彼女の首もとで、雪の結晶がきらっと光る。
よほど動揺したのか、魅了魔法の効果が弱まった隙に、私は彼女に近づいた。
「わたくしのことが嫌いなら、そんなもの、壊してしまえばいいのに」
ネクレスに手を伸ばそうとした瞬間、ゾフィーはそれを守るように両手で隠した。
私の手が、彼女の手に触れる。ゾフィーの手は、かすかに震えていた。
『指輪の石の部分に魔力を注ぎ込むだけだから』
ジョシュアの声が聞こえた気がして、私は苦笑した。
――ええ、そうね。今の私に、彼女を罰する権利はない。
木陰で抱き合う二人を見た時、私はゾフィーに嫉妬した。
彼女にジョシュアを奪われたくなかった。
だから彼女のようになろうとした。そもそもそれが間違いだったのだ。
「ごめんなさい、ゾフィー。貴女を苦しめて」
魅了魔法によるものではなく、心からの言葉だった。
「わたくしたち、友達になるべきではなかったわね」
ゾフィーは戸惑うような顔をして、私を見上げている。
「貴女は貴女のしたいようにすればいい」
マーガレット先輩のそばにはオリバー先輩がいる。それにジョシュアも。
だからきっと大丈夫。
私は指をずらして、指輪の石の部分に触れた。
今ある全ての魔力を、その石に込める。
青く冷たい光が全身を包み込み、広がっていくのを感じた。
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