愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

文字の大きさ
上 下
80 / 93
その後の話

黒須七穂のたぬき丼

しおりを挟む

「あーあ、かつ丼が食いてぇなぁ」

 昼食時、そうぼやきながら蕎麦屋へ入った七穂だったが、迷うことなく鳥そばを注文した。
 店で一番安い品だからだ。

 ――頼むから給料上げてくれねぇかなぁ。

 しかし文句を言ったところで、あの鬼畜上司のことだ。
 命があるだけ感謝しろと、さらに仕事を押し付けてくるだろう。

 ――暇さえあれば、自分は姫さんとイチャイチャしまくっているくせに。

 それを見せつけられる自分の身にもなれというのだ。
 いや、あれは絶対わざとやっているに違いない。

 自分をけん制するために。

 ――いつか姫さんを寝取ってやる。

 そんな度胸もないくせに、脳内でシミュレーションをしていると、

「おまちどうさま。熱いから気を付けて」

 熱々の鳥そばが出てきた。
 早速とばかり七味と天かすをたっぷりかけていただく。

 店で一番安いとはいえ、ダシがきいていて、上にのった鳥肉が地味にうまい。
 ズズッと音を立てながら蕎麦をすすり、時たま汁を口にする。

 さすがにそば一杯では腹は満たされなかったが、まだ仕事が残っているため長居はできない。
 残った汁を一気に飲み干して、立ち上がる。

「おばさん、ごちそうさま。お代はここに置いとくよ」
「あら、いつもありがとう。そうだ、良かったらこれ、持っていきなよ」

 袋に入った大量の天かすを、半ば強引に手渡される。

「色々と料理に使えるから、奥さん喜ぶよ」
「……悪いけど独身なんだよね、俺」
「だったら恋人にでも渡して、何か作ってもらいなよ。あんた、いい男だもの。いるんだろ、恋人くらい?」

 またもや胡蝶の顔が脳裏に浮かんだが、余計に惨めな気持ちになっただけだった。

「ほら、天つゆもつけてあげるから」

 それはありがたい。

 ――久しぶりに作るか、あれ。

 その日の夕方、さっそく家に帰ると、いそいそと台所の前に立つ。
 
 鍋に水と天つゆを入れて、沸騰したら薄く切った玉ねぎを入れる。
 ごはんも珍しくうまく炊けたし、卵も忘れずに買っておいた。

 玉ねぎに火が通ったら、鍋に溶き卵と天かすを加えて、弱火で少し煮る。
 それをどんぶりに入れた熱々のごはんの上にかければ、天かす丼――たぬき丼の完成だ。

 地域によっては、ごはんに天かすをのせて、その上から天ゆつをかけたもののことを指すらしいが、

「この味だよ、懐かしいなぁ」

 鶏や豚といった肉は入っていないものの、ごはんにまで味が染みてうまいし、それなりに腹にも溜まる。
 昔、妹がよく家族のために作ってくれた。

 
『お兄ちゃん、あたし、大きくなったら料理屋の女将さんになる。そしたら毎日かつ丼を食べさせてあげるからね』


 ふと、妹の声が聞こえた気がして、鼻の奥がツンとした。


『お兄ちゃん、あたし、遊女になんてなりたくない』
『あたしがいなくなったら、誰が弟たちのごはんを作るのよ?』


 貧乏子沢山。
 親が子どもを売るのはよくある話。

 仮にあのまま家に残ったところで、いずれ飢え死にするのは目に見えていた。
 それほどまでに困窮していた。
 
 混ざり者でなければとっくの昔に命を落としていただろう。

 
『親を恨むなよ。誰だって好きで貧乏やってるわけじゃないんだから』


 そう言ったのは誰だったか。
 けれど妹は怒っていた。

 両親は貧乏と戦おうともしなかった。
 はなから諦めて、ただ楽な手段を選んだだけだと。

 
『お前は器量良しだから、きっといいところに身請けされるさ』
『馬鹿ねぇ、お兄ちゃんは。世の中そんなに甘くないわよ』

 
 もっと他にもかける言葉があったはずなのに。
 いつものようにへらへら笑って、妹を見送った自分が憎くてたまらない。


『お兄ちゃん、嘘でもいいから、いつか迎えに来るって言ってよ』


 言葉にはできなかったが、心の中ではいつもそう思っていた。
 俺も頑張るから、お前も頑張れと。

 
『言わねぇ、俺なんかよりマシな男はごまんといるさ』
『……そうね、そうだといいけど』


 最後は笑って手を振る妹の姿が目に焼き付いて離れない。


『あたしがいなくても、ちゃんとご飯食べなよ』


 ちゃんと食べてる。
 だから心配するなと空になったお椀を見下ろして、手を合わせた。



「ごちそうさま」



 
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

一番悪いのは誰

jun
恋愛
結婚式翌日から屋敷に帰れなかったファビオ。 ようやく帰れたのは三か月後。 愛する妻のローラにやっと会えると早る気持ちを抑えて家路を急いだ。 出迎えないローラを探そうとすると、執事が言った、 「ローラ様は先日亡くなられました」と。 何故ローラは死んだのは、帰れなかったファビオのせいなのか、それとも・・・

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

私の手からこぼれ落ちるもの

アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。 優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。 でもそれは偽りだった。 お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。 お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。 心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。 私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。 こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 作者独自の設定です。 ❈ ざまぁはありません。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...