愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

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胡蝶、帰る

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 その後、すぐさま病院に運び込まれた侯爵だったが、命は助かったものの脳に後遺症が残り、日常会話が困難となってしまった。そのため田舎の療養施設に移ることになり、息子である伊久磨が正式に花ノ宮家当主の座を譲り受けたわけだが、



「まさか母上も一緒に行くなんて思わなかったよ」



 そうこぼす異母兄に、胡蝶も驚いたように同意する。



「麗子夫人はずっと、お父様のことを嫌っておられるのだとばかり思ってましたわ」

「だからこそ、ついて行ったのかもしれないな。復讐するために」



 考えるとぞっとしないと、伊久磨は苦笑いを浮かべる。



 そろそろ時間だと思い、胡蝶が腰を上げると、伊久磨また席を立つ。



「もう行くのか?」

「はい、迎えの車が来たようなので」

「お前と殿下には感謝している。結果的に助けられた」



 この恩はけして忘れないと、彼はぎこちなく手を差し出す。



「悪かったな、兄らしいことは何一つしてやれなくて」



 そんなことはないと、胡蝶はかぶりを振る。



「お父様に言いたいことが言えて、胸がすきました」

「僕もだ」



 伊久磨は笑って、差し出した手を引っ込める。



「初めて父上に反抗したが、これほど気分の良いものだとは思わなかった」



 それからおもむろに胡蝶に近づくと、何度も決まり悪そうに両腕を上げ下げしているので、



「まあ、お兄様ったら……」



 その意図を察して、胡蝶のほうから彼の腕の中に飛び込んでいく。

 すると軽く受け止められ、優しく抱きしめられた。



 婚約者の一眞に対するものとは違う、家族としての抱擁だ。

 じっとしていると胸が温かくなって、目頭まで熱くなってきた。



「私がお父様に言ったこと、覚えていらしたのね」

「当然だ。僕が今日からお前の父親代わりだからな」



 照れくさそうに言い、抱擁を解く。



「さあ、行け。外で婚約者殿がお待ちだ」









 ***









  

 久しぶりに会う婚約者を前にし、胡蝶は胸を高鳴らせていた。迎えに来たのは運転手付きの車で、後部座席に座る一眞の隣にいそいそと乗り込む。車はすぐさま動き出し、屋敷が瞬く間に遠ざかっていくのが見えた。



「迎えに来るのが遅くなって申し訳ありません」

「いいえ、おかげで兄とじっくり話ができました」



 じりじりと距離を詰めていき、彼の肩に頬を寄せる。

 すると腕を回され、優しく頭を撫でられて、なんだかくすぐったい気分だった。



「紫苑をこちらに寄越してくれたこと、感謝しますわ。一眞さんが頭を下げて頼んでくださったとか」



「本当は俺が行きたかったのですが……」



 事情は分かっているとばかり胡蝶は鷹揚に頷く。



「それで、どうなりまして? あの男は……」

「俺がこの手で捕らえました」



 苦虫を噛み潰したような顔で言い、疲れたように息を吐く。

 

「厄介な相手で、さすがに骨が折れました。何せ殺しても死なない――失礼、今の言葉は忘れてください。ともかく、取り調べが終わり次第、混ざり者専用の収容施設に送られることになるでしょう」



 胡蝶は咄嗟に不安になり、「お怪我は?」と訊ねる。



「心配しないで。無傷ですよ。俺は強いですから。胡蝶……のほうはどうでしたか?」

「お父様に言いたいことを言えてスッキリしました。でも、一眞さんに会えなくて寂しかったわ」



 一眞はちらりを運転手のほうを見ると、



「俺もです」



 上体をかがめ、胡蝶の顔を隠すようにして覆いかぶさってくる。優しく顎をすくい上げられ、キスされて、胡蝶は目を閉じてため息をついた。再び重なってきた柔らかな感触にうっとりしていると、





「おーい、ご両人。自分たちの世界に入ってるとこ悪いっすけど、イチャイチャするのは二人きりの時だけにしてくれませんかねぇ。これでも俺、半分は人間なんで、ムカつくやら腹立つやらで、事故るかもしんないっすよ」





 この、人を小馬鹿にしたような声には聞き覚えがある。

 まさか運転しているのが黒須七穂だとは思わず、胡蝶は慌てて一眞を突き放した。



「どうして彼がここにいるの? 一眞さん、説明して」

 

 裏切り者として蛇ノ目に処分されそうになった彼があまりにも不憫で可哀想だったので、助けて雇うことにした、という一眞の話を聞いて――七穂は不満そうにぶつぶつと文句を言っていたが――「さすがは一眞さん」と胡蝶は感心する。



 久しぶりの逢瀬を楽しんでいると、瞬く間に時間が過ぎていく。



 いつの間にか車は停まり、家からお佳代が飛び出してくるのが見えた。ようやく我が家に帰ってきたことを実感しながら胡蝶は、愛し愛される喜びを噛み締めていた。



 

 

 <終わり>
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