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続き

我がまま皇子VS我がまま親子

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 麗子の部屋を飛び出した胡蝶は、そのまま自室には戻らず、外へと続く出入口へ向かった。外部との連絡手段が絶たれた今、一刻も早くこの屋敷から出なければと思った。


 けれど、


「胡蝶様、いけません」


 外へ出ようとした途端、使用人たちに囲まれてしまい、身動きがとれなくなってしまう。


「旦那様より、胡蝶様の外出は禁じられております」

「どうかお部屋へお戻りください」

 
 このままでは部屋に連れ戻されて、閉じ込められてしまうと思ったその時だった、


「あーやだやだ、相変わらず陰気臭い場所だなぁ、ここは」


 急に扉が開き、彼が現れた。

 鼻歌を口ずさみながら上機嫌な態度でずかずかと中に入ってくると、


「やあ、姉さん。可愛い弟が会いに来ましたよ」


 胡蝶に向かって手を振る。

 今この時ほど、紫苑に会えて嬉しいと思ったことはない。


 咄嗟に一眞の姿を探すが、彼はいないようだった。

 そのことに落胆しつつ、近づいてきた紫苑に視線を戻す。


「これは……皇子殿下っ」


 呆気にとられていた使用人たちが慌ててその場に跪く。

 ニコニコ顔の紫苑にエスコートされるように手をとられた胡蝶は、


「どうして貴方がここに?」

「それはもちろん、姉さんの手料理を食べに来たに決まっているじゃないですか」


 この言葉を間に受けていいものか、胡蝶が頭を悩ませていると、


「まあ、誰かと思ったら、紫苑じゃないのっ」


 異変に気づき、二階から摩璃子が顔を覗かせていた。

 紫苑を見た瞬間ぱっと顔を赤らめ、嬉しそうに階段を降りてくる。


「お出迎えもしないでごめんなさい。お母様は……皇后陛下はお元気かしら」


 猫撫で声を出して近づいてくる摩璃子を見、紫苑は今にも吐きそうな顔をした。


「……一番会いたくない奴が来た」

「何ですって?」

「お久しぶりです、楔形くさびがた伯爵夫人」

「他人行儀な挨拶はやめて、摩璃子でいいわよ、紫苑」


 紫苑を前にすると、摩璃子の態度はがらりと変わる。彼女は昔から紫苑の美貌に夢中で、自身の年齢も立場も忘れて、彼を追いかけ回していた。それは結婚し、子どもを生んだ今でも変わらず、恋する乙女のような顔で紫苑を見つめている。



 一方の紫苑は、「馴れ馴れしいな」と嫌悪感を隠そうともしない。



「相変わらず礼儀がなっていませんね、貴女は。僕のことを敬称もなしで呼ぶなんて。不敬罪で侯爵に言いつけますよ」



「でも……胡蝶には許しているじゃない」



 摩璃子は唇を噛むと、恨みがましい目を胡蝶に向ける。



「どうして私はダメで、胡蝶はいいの? 同じ従姉なのに」



 紫苑は「はぁ」とこれ見よがしにため息をつくと、



「お前と姉さんを一緒にするな、この陰気ババァ」

「い、陰気ババァ……?」



 目を白黒させる摩璃子に、紫苑は続ける。



「もっと言ってやろうか? 他人の善意に甘えるのもいい加減にしろ、この自己中女」



 ショックと怒りのあまり、摩璃子は口をパクパクさせていた。



「言いたいことがあるなら言えよ。ただし、言葉は慎重に選べ。さもないと、楔形家はお前の代で潰れることになるぞ」



 笑顔で脅し文句を口にする紫苑に、「この子ってこんな子だったかしら」と胡蝶は驚きを隠せなかった。幼少期は癇癪持ちで我がままなところはあったものの、こんな乱暴な口の利き方をするような子ではなかった。「もしかして一眞さんの影響で?」とつい心配してしまう。



「どうして……貴方はいつも、私に対して冷たいの? 私が貴方に何かした?」


 しまいにはメソメソと泣き出す摩璃子に、紫苑はうんざりしたように息を吐く。


「そういうところが嫌いなんだ。気味が悪いんだよ。頼むから、これ以上僕や姉さんに近づかないでくれ」


 わーっと泣きながら摩璃子が屋敷を飛び出していと、紫苑は気を取り直し、元気よく歩き出す。


「ど、どこ行くつもり?」

「もちろん、麗子夫人をいじめに……じゃなくて、ご挨拶に伺うんですよ」


 あれよあれよという間に麗子夫人の部屋を訪れた胡蝶は、そこで再び、紫苑の新たな一面を見た。最初こそは礼儀正しく麗子夫人に接していた紫苑だったが――やりすぎて慇懃無礼な気もするが――麗子夫人が胡蝶のことを「役立たずの娘」だの「妾の子にしては……」などと口にした途端、彼は態度を一変させた。



「麗子侯爵人、失礼ですが貴女は我が母上よりも身分が高いのですか?」

「まあ、そんな……答えるまでもありませんわ」


「でしたら、母上が娘のように可愛がっている姉さんに対して、先ほどの発言はあまりにも無礼だと思いませんか?」


 何を言われたのか理解できないのか、それとも理解した上で黙っているのかは分からないが、麗子夫人は忌々しげに唇を噛んだ。


「姉さんを侮辱することは母上を侮辱すること、ひいてはその夫でもある父上を侮辱することにも繋がる――僕の言っていることが理解できますか?」


「…………はい」


 紫苑は不思議そうに首を傾げると、


「国王陛下を侮辱しておいて、「はい」の一言で済むとお思いですか?」


 その時の彼は、弱者をいたぶる強者の目をしていた。

 もっとも麗子夫人を弱者と呼ぶには抵抗があるが。


「も……も、申し訳ございません」

「誠意が感じられないなぁ。もう一度」


 麗子夫人は青くなったり赤くなったりしながら、「申し訳ございません」と繰り返す。


「僕じゃなくて、姉さんに謝ってくれないと」

「紫苑、もういいから、早く行きましょう」


 紫苑があまりにも楽しそうな声を出すので、胡蝶は途中で怖くなってしまい、彼の腕を掴んで強引に部屋から連れ出す。


「挨拶はもう十分よ。早く私の部屋へ行きましょう。今、お茶を淹れるから……」

「そうしたいのは山々ですが、まだ従兄殿への挨拶が済んでいません」

「お兄様には夕食の席で会えるわ。ね、今日はこのぐらいにして……」


 けれど時既に遅く、皇子の訪問を聞きつけて、伊久磨のほうからこちらに向かってくるところだった。彼の足音に真っ先に気づいたのは紫苑で、そちらに顔を向けると、


「やあ、兄上。皇宮以外で会うのは久しぶりですね」

「殿下、私の屋敷で好き勝手されては困ります」


 この言葉に、紫苑はにやっと意地の悪い笑みを浮かべる。


「いつからこの屋敷はお前のものになったんだ?」


 口では「兄上」と呼んで、伊久磨のことを慕っているように見えるが、それが本心からではないことを胡蝶は知っていた。例え血が繋がっていても、紫苑は皇子で、伊久磨も侯爵も、彼にとってはただの臣下に過ぎない。


 それを自覚させるためか、はたまた、そう教育されているのか、紫苑はいつも高圧的な態度で彼らに接する。例外なのは胡蝶だけだ。


「僕の質問に答えられないか?」


 伊久磨はぎくりとしたように顔を伏せと、


「それは……」

「訪問に関しては花ノ宮侯爵に許可を得ている。ぜひ今夜の夕食を一緒にと誘われたよ」


 挑発的な紫苑の言葉に、伊久磨は表情を強ばらせる。


「どうした? 侯爵が屋敷に戻ってくると何か都合が悪いのか?」

「とんでもありません、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」


 では夕食の席に、と頭を下げて、伊久磨は踵を返す。


「相変わらず食えない男だな」


 ふんと鼻を鳴らすと、紫苑は呆然としている胡蝶の手をとって言った。


「さ、早く姉さんの部屋に行きましょう。そこで訳を説明しますから」

 

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