46 / 93
続き
涙の再会
しおりを挟む
驚くことに、卯京が働いているという店「浅き夢見し」はそれほど遠くない場所にあった。和国随一の繁華街、夜でも明かりが絶えない#銀街_ぎんまち__#――富裕層向けの高級店や高級料理店が軒を連ねる一角に、ひっそりとその店はあった。
「ここに卯京兄さんがいるのね」
「会ったらすぐに帰りましょう」
「……一眞さんったら、そればっかり」
お佳代には、一眞にドライブに連れて行ってもらうのだと、嘘をついて出てきてしまったので、多少の罪悪感はあったものの、胡蝶は構わず店に入る。
「いらっしゃいませー」
早速、可愛らしい女給さんがパタパタと出迎えてくれる。
年の頃は15、16だろうか。化粧で大人びて見えるものの、ずいぶんと若い女給さんねと胡蝶は内心びっくりしていた。それにお店の雰囲気も、以前行ったことがあるカフェーとはまるで違う。ハイカラというよりは大衆向けの可愛らしい内装だし、女給の制服も派手で胸元が露出しており、目のやり場に困ってしまう。
「あらやだ、男前のお客さん、また来てくださったのぉ?」
続いて現れたのは、長身の目を見張るような美女――それにしては見覚えのある顔立ちだと、胡蝶は一眞の背に隠れて、しげしげと彼女を見た。
「兎羅々嬉しい~。もうサービスしちゃうんだからっ」
声も女性にしては低めで、違和感を覚える。
「さあさ、VIP席にご案内~」
「今日は客として来たわけじゃない。君に会わせたい人がいるんだ」
二人の女給に挟まれながらも、一眞は毅然とした態度を崩さない。後ろで隠れるようにして立っている胡蝶の手を引いて、兎羅々に紹介する。
「彼女の名前は花ノ宮胡蝶様、さあ、胡蝶様。この方がそうですよ」
胡蝶……とその名を聞いて、兎羅々がたじろぐ。
そんな兎羅々をじっと見つめて、胡蝶は目に涙を浮かべた。
「卯京兄さん、やっぱり、卯京兄さんだわ」
「ちょっ、ここでその名前は禁句なんですけどっ」
卯京は慌てたように胡蝶の手を引くと、「美々ちゃん、あとお願い」と言って、店の奥にある座敷へと連れて行く。そこは女給用の休憩室らしく、お茶やお菓子がちゃぶ台の上にちょこんと置かれていた。すかさず一眞も追ってきて、少し離れた場所で足を止める。
「私、知らなかったわ。卯京兄さんが女性になっていたなんて」
「……生きていくために仕方なく女のふりをしているだけよ」
苦笑いを浮かべながら言い、困ったように頬を掻く。
胡蝶にはよく分からなかったが、16歳の頃から独りで生きてきた兄の苦労を思えば、それも仕方がないことなのだろう。
「まずいとこ見られちゃったな」
「あら、とても綺麗よ」
「それを言うのはあたしのほうだよ。いい女になったねぇ、胡蝶」
まさか卯京にお世辞を言われるとは思わず、胡蝶ははにかむようにして笑う。
「あたしのことを捜してくれたのかい?」
「ええ、卯京兄さんが家出したって聞いたから。父さんと何があったの?」
卯京はすぐには答えなかった。
じっと見つめて答えを待っていると、弱ったなぁとばかりに口を開く。
「親父に楯突いて、殴られただけのことさね」
「父さんが……兄さんを殴ったの?」
あの穏やかで優しい父が?
「信じられないだろ? それだけのことをあたしが言ったのさ」
「何を言ったの?」
「さぁ、もう忘れちまったよ」
嘘だと思ったが、苦しげな表情を浮かべる卯京を見たら、何も訊けなかった。
「胡蝶様、そろそろ」
長居はできないと言った一眞の言葉を思い出しつつも、「もう少しだけ待って」と手を合わせてお願いする。軽くうなずく一眞を見、卯京は「胡蝶のいい人かい?」とからかうように言った。
「龍堂院一眞さん、私の婚約者よ。兄さん、私、再婚するの。まだずっと先のことだけど」
「よかったじゃないか、幸せにおなりよ」
優しく微笑む卯京の顔を見ると、なんだか悲しくなってきて、
「兄さん、このまま私と一緒に帰りましょう。母さんが待ってるわ」
思い切って言った。
けれど卯京は困ったように首を振る。
「こんな姿、おふくろが見たら腰抜かして倒れちまうよ。親父だって何て言うか」
「兄さん、落ち着いて聞いてね。父さんは亡くなったの、五年前に」
卯京は顔を伏せると、「そうか」とつぶやいた。
「……いい気味だ」
「兄さんっ」
卯京の投げやりな言葉を聞いて、胡蝶は黙っていられず、
「そんな言い方ってないわ。父さん、卯京兄さんに悪い事をしたって後悔していたのよ」
「嘘だァ。そんなん、面と向かって言われなきゃ、信じられないね」
「面と向かって言えるわけないじゃない、兄さんは家にいなかったんだから」
「出て行けと言ったのは親父のほうだ」
卯京の口調がいつの間にか昔の口ぶりに戻っていて、はっとする。
「二度と俺にその生意気なツラ見せるんじゃねぇっつってな。俺のことなんぞ、追いかけもしないで、部屋で酒飲んでたよ。それが何だ、俺に悪いことをした? 後悔している? おふくろにそんな弱音を吐くなんて、男らしくねぇじゃねぇか。こちとら、恥もプライドも投げ捨てて必死に生きてきたっつうのに、俺はがっかりだよ」
まくし立てるように言うと、やりきれないとばかりにため息をつく。
「胡蝶、もう帰りな。ここはお前のような人間が来るところじゃねぇんだ」
「私のような人間って?」
気丈に言い返す胡蝶に、「はっきり言わねぇと分からないか?」と卯京も口調を強くする。
「この店はなぁ、行き場のない女たちが、生きてくために必死に日銭を稼ぐ場所なんだ。お前みたいに綺麗なべべ着て、立派なお貴族様を従えているようなお姫さんにいられちゃあ、皆のやる気が失せちまう。自分が惨めに思えて仕方ねぇ。そんなことも分からねぇのか」
そのまま、野良犬を追い払うように裏口から追い出された胡蝶だったが、落ち込んではいなかった。むしろ兄の元気な姿を見られてほっとし、連れて来てくれた一眞に感謝する。
「一眞さん、兄の無礼をお許し下さい」
「いいえ、胡蝶様が謝ることでは……」
「でも一眞さんも悪いのよ。私のことを呼び捨てにしてくださらないから。従えるだなんて……まるで私が悪者みたい」
「……すみません」
「次は気をつけてくださいね」
「分かりました……ってどこへ行かれるのですか?」
「店の中に戻ります。渡しそびれたものがあるから。一眞さんはここで待っていて」
「ここに卯京兄さんがいるのね」
「会ったらすぐに帰りましょう」
「……一眞さんったら、そればっかり」
お佳代には、一眞にドライブに連れて行ってもらうのだと、嘘をついて出てきてしまったので、多少の罪悪感はあったものの、胡蝶は構わず店に入る。
「いらっしゃいませー」
早速、可愛らしい女給さんがパタパタと出迎えてくれる。
年の頃は15、16だろうか。化粧で大人びて見えるものの、ずいぶんと若い女給さんねと胡蝶は内心びっくりしていた。それにお店の雰囲気も、以前行ったことがあるカフェーとはまるで違う。ハイカラというよりは大衆向けの可愛らしい内装だし、女給の制服も派手で胸元が露出しており、目のやり場に困ってしまう。
「あらやだ、男前のお客さん、また来てくださったのぉ?」
続いて現れたのは、長身の目を見張るような美女――それにしては見覚えのある顔立ちだと、胡蝶は一眞の背に隠れて、しげしげと彼女を見た。
「兎羅々嬉しい~。もうサービスしちゃうんだからっ」
声も女性にしては低めで、違和感を覚える。
「さあさ、VIP席にご案内~」
「今日は客として来たわけじゃない。君に会わせたい人がいるんだ」
二人の女給に挟まれながらも、一眞は毅然とした態度を崩さない。後ろで隠れるようにして立っている胡蝶の手を引いて、兎羅々に紹介する。
「彼女の名前は花ノ宮胡蝶様、さあ、胡蝶様。この方がそうですよ」
胡蝶……とその名を聞いて、兎羅々がたじろぐ。
そんな兎羅々をじっと見つめて、胡蝶は目に涙を浮かべた。
「卯京兄さん、やっぱり、卯京兄さんだわ」
「ちょっ、ここでその名前は禁句なんですけどっ」
卯京は慌てたように胡蝶の手を引くと、「美々ちゃん、あとお願い」と言って、店の奥にある座敷へと連れて行く。そこは女給用の休憩室らしく、お茶やお菓子がちゃぶ台の上にちょこんと置かれていた。すかさず一眞も追ってきて、少し離れた場所で足を止める。
「私、知らなかったわ。卯京兄さんが女性になっていたなんて」
「……生きていくために仕方なく女のふりをしているだけよ」
苦笑いを浮かべながら言い、困ったように頬を掻く。
胡蝶にはよく分からなかったが、16歳の頃から独りで生きてきた兄の苦労を思えば、それも仕方がないことなのだろう。
「まずいとこ見られちゃったな」
「あら、とても綺麗よ」
「それを言うのはあたしのほうだよ。いい女になったねぇ、胡蝶」
まさか卯京にお世辞を言われるとは思わず、胡蝶ははにかむようにして笑う。
「あたしのことを捜してくれたのかい?」
「ええ、卯京兄さんが家出したって聞いたから。父さんと何があったの?」
卯京はすぐには答えなかった。
じっと見つめて答えを待っていると、弱ったなぁとばかりに口を開く。
「親父に楯突いて、殴られただけのことさね」
「父さんが……兄さんを殴ったの?」
あの穏やかで優しい父が?
「信じられないだろ? それだけのことをあたしが言ったのさ」
「何を言ったの?」
「さぁ、もう忘れちまったよ」
嘘だと思ったが、苦しげな表情を浮かべる卯京を見たら、何も訊けなかった。
「胡蝶様、そろそろ」
長居はできないと言った一眞の言葉を思い出しつつも、「もう少しだけ待って」と手を合わせてお願いする。軽くうなずく一眞を見、卯京は「胡蝶のいい人かい?」とからかうように言った。
「龍堂院一眞さん、私の婚約者よ。兄さん、私、再婚するの。まだずっと先のことだけど」
「よかったじゃないか、幸せにおなりよ」
優しく微笑む卯京の顔を見ると、なんだか悲しくなってきて、
「兄さん、このまま私と一緒に帰りましょう。母さんが待ってるわ」
思い切って言った。
けれど卯京は困ったように首を振る。
「こんな姿、おふくろが見たら腰抜かして倒れちまうよ。親父だって何て言うか」
「兄さん、落ち着いて聞いてね。父さんは亡くなったの、五年前に」
卯京は顔を伏せると、「そうか」とつぶやいた。
「……いい気味だ」
「兄さんっ」
卯京の投げやりな言葉を聞いて、胡蝶は黙っていられず、
「そんな言い方ってないわ。父さん、卯京兄さんに悪い事をしたって後悔していたのよ」
「嘘だァ。そんなん、面と向かって言われなきゃ、信じられないね」
「面と向かって言えるわけないじゃない、兄さんは家にいなかったんだから」
「出て行けと言ったのは親父のほうだ」
卯京の口調がいつの間にか昔の口ぶりに戻っていて、はっとする。
「二度と俺にその生意気なツラ見せるんじゃねぇっつってな。俺のことなんぞ、追いかけもしないで、部屋で酒飲んでたよ。それが何だ、俺に悪いことをした? 後悔している? おふくろにそんな弱音を吐くなんて、男らしくねぇじゃねぇか。こちとら、恥もプライドも投げ捨てて必死に生きてきたっつうのに、俺はがっかりだよ」
まくし立てるように言うと、やりきれないとばかりにため息をつく。
「胡蝶、もう帰りな。ここはお前のような人間が来るところじゃねぇんだ」
「私のような人間って?」
気丈に言い返す胡蝶に、「はっきり言わねぇと分からないか?」と卯京も口調を強くする。
「この店はなぁ、行き場のない女たちが、生きてくために必死に日銭を稼ぐ場所なんだ。お前みたいに綺麗なべべ着て、立派なお貴族様を従えているようなお姫さんにいられちゃあ、皆のやる気が失せちまう。自分が惨めに思えて仕方ねぇ。そんなことも分からねぇのか」
そのまま、野良犬を追い払うように裏口から追い出された胡蝶だったが、落ち込んではいなかった。むしろ兄の元気な姿を見られてほっとし、連れて来てくれた一眞に感謝する。
「一眞さん、兄の無礼をお許し下さい」
「いいえ、胡蝶様が謝ることでは……」
「でも一眞さんも悪いのよ。私のことを呼び捨てにしてくださらないから。従えるだなんて……まるで私が悪者みたい」
「……すみません」
「次は気をつけてくださいね」
「分かりました……ってどこへ行かれるのですか?」
「店の中に戻ります。渡しそびれたものがあるから。一眞さんはここで待っていて」
2
お気に入りに追加
1,042
あなたにおすすめの小説



永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……
矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。
『もう君はいりません、アリスミ・カロック』
恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。
恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。
『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』
『えっ……』
任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。
私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。
それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。
――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。
※このお話の設定は架空のものです。
※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ
紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか?
何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。
12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる