43 / 93
本編
その後の話
しおりを挟む「姉さん、ご無事ですか? あの冷血漢がやらかしたと聞いて、飛んできたのですが」
久しぶりに顔を見せたと思ったら、急に何を言い出すのかと胡蝶は呆れた。
「元気そうで良かったわ、紫苑。ところで一眞さんは? 一緒ではないの?」
「姉さんに合わせる顔がないと言って、どこぞに隠れていますよ。自分がヘマしたせいで、姉さんを危険な目に遭わせたのだから、それも当然かと。この際、あんな男とは別れて、僕と結婚しましょう、姉さん」
直後に後ろで「はっ」と息を飲むお佳代の気配を感じて、胡蝶はため息をつく。
「今は貴方の冗談に付き合っている余裕はないの。一眞さんはどこ?」
「……そんなにあの男に会いたいですか? 久しぶりに会いに来た可愛い弟を蔑ろにしてまで?」
蔑ろにしているつもりはなかったものの、ひどく落ち込んだ顔をされて、胡蝶は慌てて彼を家に招き入れた。体調を崩して部屋に閉じこもっているはずの彼が、わざわざここまで足を運んでくれたのだ。よほど自分のことを心配してくれたに違いない。
「良かったら何か作りましょうか? ちょうど里芋が沢山余っていて、困っていたの」
「……里芋……」
「あら、里芋は嫌いだったかしら?」
「味が淡白だし、食感もあまり……」
いい年をして子どもみたいなことを言う紫苑に呆れつつ、
「揚げ里芋の甘辛煮でも?」
「それなら食べます」
皮付きの里芋に片栗粉を付けて揚げたものを、砂糖、醤油、みりん等で作った甘辛タレにからめるだけの、簡単な料理だが、食べだすと止まらない、野菜が苦手なお子様に人気の一品である。以前、里芋の代わりに皮を剥いた山芋で試したこともあったが、それはそれで美味しかった。
「お嬢様、あたくしの分もお願いします」
「俺も、俺も」
奥の部屋から顔をのぞかせるお佳代と辰之助に軽く頷いてみせながら、胡蝶は大量の里芋を抱えて台所へ入った。後ろから当然のように紫苑もついてくる。
「姉さん、僕も手伝います」
「だったら里芋を皮ごと綺麗に洗ってくれる? それからお湯を沸かして……」
料理が出来上がり、それを完食すると、紫苑は上機嫌で帰っていった。「姉さんには僕がついていますから、あの男のせいで窮地に陥ったら、迷わず僕を頼ってくださいね」と頼もしい言葉を残して。
後片付けが終わると、お佳代は再び食べ過ぎたと言って散歩に出かけて行き、留守を任された辰之助は居間で寝転がっていびきをかいていた。胡蝶は割烹着を脱ぐと、お茶の用意をして、いそいそと縁側に向かう。
「一眞さん、一眞さん」
庭に出て小声で呼ぶが、応じる声はない。いつものならすぐに出てきてくれるのにとがっかりしながら、家の中に戻ろうとするが、
――そうだわ。
いいことを思いついた。
彼を騙すようで気が引けるけれど、
「い、痛っ」
試しに大きめの声を出すと、「胡蝶様っ」とすぐに一眞が現れて、駆け寄ってきてくれる。
「どこかお怪我を?」
「い、いいえ、気のせいだったみたいです」
嘘をついた気まずさから両手を後ろに隠しつつ、ほっと胸を撫で下ろす。
「気のせい、ですか」
「一眞さんに会えなくて胸が痛かったのは本当よ」
本音を明かせば、今度は彼が決まり悪そうな顔をした。
「……申し訳ありません」
黙って首を傾げる胡蝶に、彼は苦しげな表情で続ける。
「俺のせいで、貴女を怖い目に遭わせた」
だったら、と胡蝶は勇気を出して告げる。
「私を強く抱きしめてください」
びっくりした顔をする一眞に近づいて、自分から彼の胸に飛び込んでいく。
「抱きしめて、私を安心させてください。貴方がそばにいてくれたら、何も怖くありませんもの」
沈黙は長かった。
気恥しさのあまり、胡蝶が気絶しかけた頃、一眞の腕がおずおずと背中に回されて、どきっとした。強く抱きしめるどころか壊れ物に触れるような手つきだったので、胡蝶は自分から手を回して、ぎゅうぎゅうに抱きしめ返す。
顔が熱く、心臓が高鳴り、安心感からは程遠い状態だったが、胡蝶は幸せだった。
「嵯峨野勘助が死んだことはご存じですか?」
「ええ、新聞で知りました」
「……俺が殺したと言ったら?」
「正当防衛ですわ」
そう断言して、彼の頬にそっと触れる。
「ご無事で良かった」
「それは俺の台詞ですよ」
苦笑しつつ、優しく頭を撫でられて、胡蝶はそっと目を伏せた。心臓の高鳴りが激しく、今にも気を失ってしまいそうだったが、少しでもこの時間を長引かせたくて、懸命に足に力を入れる。
「あの男が貴女に手を出していたら、俺はきっと……」
その時、一眞の眼帯から黒い煙のようなものが出てきた気がして、胡蝶は目を瞬かせる。けれど気のせいだったらしく、煙はすぐに見えなくなり、代わりに柔らかな感触が頬を掠めた。いつの間にかすぐ近くに一眞の顔があって、胡蝶は直視できずにぎゅっと目を閉じる。柔らかなそれは、胡蝶の唇に優しく触れたかと思うと、すぐに離れていってしまった。そのことを残念に思いつつ、胡蝶は背伸びをして、今度は自分から彼の唇に自分の唇を重ねた。
途端、強く抱きしめられて、めまいを覚える。
「息をするのが難しいわ」
「……そう……ですね」
「一眞さん、大好きよ」
「…………俺もです」
夜風が吹いて、外は寒いくらいだったが、二人はいつまでもそこに立って、温もりを分け合っていた。
5
お気に入りに追加
1,042
あなたにおすすめの小説


【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ
紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか?
何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。
12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい
春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。
そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか?
婚約者が不貞をしたのは私のせいで、
婚約破棄を命じられたのも私のせいですって?
うふふ。面白いことを仰いますわね。
※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。
※カクヨムにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる