愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

文字の大きさ
上 下
37 / 93
本編

作戦実行

しおりを挟む
「底なし沼なんて実在しないと思っていたが、本当にあるもんだな、兄貴」

「俺らみたいな妖怪の混ざりもんが存在するんだから、そりゃあるだろうよ」



 鬱蒼と草木が生い茂る山中で、五倫と六津は待機していた。七穂の指示を守って、沼のそばの茂みに身を隠しているのだが、一向に獲物が現れないので暇を持て余していた。



「けど兄貴、底がねぇっていうのは嘘だぜ。一度潜ってみたら、普通にあったもんよ」



「馬鹿だなぁ、お前。底がないわけじゃなくて、一度でも落ちたら抜け出せねぇって意味なんだよ。深く考えんな」



 兄弟二人きりの時だけ、五倫は流暢に喋る。

 六津は彼にとって半身みたいなものだからだ。



「でも俺たちは普通に抜け出せたぜ? やっぱり嘘じゃん」

「お前なぁ……沼で溺れる河童がどこにいるよ」

「河童の川流れって言葉、兄貴は知らねぇのか?」

「……知ってるよ、常識だろ。けど俺ら、今は沼の話をしてんだぞ」

「そっか、川と違って沼は流れねぇもんな」

「だろ?」

「にしても遅いなぁ、七穂の奴」



 いい加減、しびれを切らした六津が立ち上がると、



「馬鹿っ、立つなっ。それじゃあ目立って奇襲攻撃できないだろっ」

「そんなに怒んなよ、兄貴。少し足を伸ばしただけじゃないか」

「早くしゃがめっ。そんなに暇ならきゅうりでもかじってろっ」

「やったっ、きゅうりだっ」



 上機嫌できゅうりにかじりつく弟に、五倫はホッとしつつ、温かな眼差しを向ける。孤児院育ちで兄弟は多かったが、六津だけは唯一血の繋がった、無二の家族だ。筋肉隆々で図体ばかりデカく成長しているものの――三十代半ばの立派な大人だが――中身は純粋無垢な子ども同然。この弟だけはどんなことをしてでも守ろうと心に決めていた。



 ――それにしても本当に遅い。



 計画通りなら今頃、七穂が龍堂院一眞を連れて現れ、沼に突き落としているはずだが。



「びびって逃げちまったとか?」

「いや、七穂は普段へらへらしているが、やる時はやる男だ」



 仲間の弟分を信じて待つこと五分後、



「やっと現れたか。ようやく俺らの出番だな、兄貴」

「いや、まだだ。合図を待とう」



 こういう時こそ慎重に行動しなければと五倫は表情を引き締める。







 ***









「悪いな、龍堂院、こんなところまで付き合わせて」

「この沼で君の妹が亡くなったのか?」

「……ああ、家族に隠れて、こっそり遊んでいたらしい」



 用心深い龍堂院一眞を、言葉巧みに騙してなんとかこの場所までおびき寄せたものの、七穂の心は早くもくじけかけていた。



 ――相変わらず隙がないというか……怖いというか。



 そう、七穂は一眞のことが昔から怖かった。多少の威圧感は覚えるものの、見た目が恐ろしいわけではない。喧嘩を売られたわけでも、いじめられたわけでもないのに、ただそこにいるだけで恐怖を感じる、それが龍堂院一眞だった。もっとも、そう感じているのは自分だけではないようで、彼は常に周囲の人たちに遠巻きにされ、士官学校でもプライベートでも孤立していた。



 ――混ざり者の中でも、こいつは異質なんだ。



 上位種の妖怪の血を受け継いでいるから、先祖返りだから、理由は色々と考えられるものの、弱い者が強い者を恐れるのは本能で、とりわけ混ざり者たちはその傾向が強かった。普通の人が相手の体格の大きさ、腕力の強さで力量を測るように、野生動物並みに感覚の鋭い混ざり者たちは、相手に恐怖を感じるか否かで判断する。



 ――俺はたぶん、一生こいつには勝てない。



 だからこそこの作戦を考えたのだが、



 ――本当にこいつを沼に突き落とせるかな。



 土壇場で不安になってきた。

 失敗したら、おそらくその場で八つ裂きにされてしまうだろう。



 ――とりあえず、ぎりぎりまで沼のそばに引きつけて……。



「妹は泳げないのに、誤って沼に落ちて……それきり上がってこなかったそうだ」



 そこで目に涙を浮かべて、隠すように顔を背ける。

 我ながらわざとらしい演技だと思ったが、



「悪い、こんな話、お前にしても迷惑だよな」

「遺体は?」



 自分の嘘を龍堂院一眞は完全に信じきっているようだ。

 根が素直なのだろう。



「まだ見つかってない。可愛い妹が今も沼の底で眠っていると思うと、夜も眠れなくて……」

「わかった、少しここで待ってろ」



 そう言うと、一眞は上着を脱ぎ捨て、何のためらいもなく沼の中へと入っていく。まさかここまでしてくれるとは思わず、七穂は呆気にとられた。



 ――こいつって、こんなにお人好しだったか?



 人心掌握術に長けていると一眞に指摘された通り、それが七穂の能力であり、武器だった。その上、何をしても好意的に受け取られてしまう愛され体質――せめて女に生まれていれば玉の輿も夢ではなかっただろうが、男に生まれてしまった以上、この能力を生かして仕事をするしかない。何より、蛇ノ目には恩があったため、除隊して彼の仕事を手伝うことにしたのだ。



 ――俺のことも覚えてたし。



 この男は自分のこと以外、興味がないのだと思い込んでいたが、その認識は間違っていた。士官学校時代、地味でビビリで目立たない生徒だった自分を覚えていたのだから。



 もっともそんなことで絆されるほど、自分も世の中も甘くない。とりあえず、やれることはやった。どんな形であれ、奴が沼に入ればこっちのものだと、七穂は片手を上げて合図を送る。



「兄さん方、あとは任せましたよ」



しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

〖完結〗その愛、お断りします。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚して一年、幸せな毎日を送っていた。それが、一瞬で消え去った…… 彼は突然愛人と子供を連れて来て、離れに住まわせると言った。愛する人に裏切られていたことを知り、胸が苦しくなる。 邪魔なのは、私だ。 そう思った私は離婚を決意し、邸を出て行こうとしたところを彼に見つかり部屋に閉じ込められてしまう。 「君を愛してる」と、何度も口にする彼。愛していれば、何をしても許されると思っているのだろうか。 冗談じゃない。私は、彼の思い通りになどならない! *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

拝啓 私のことが大嫌いな旦那様。あなたがほんとうに愛する私の双子の姉との仲を取り持ちますので、もう私とは離縁してください

ぽんた
恋愛
ミカは、夫を心から愛している。しかし、夫はミカを嫌っている。そして、彼のほんとうに愛する人はミカの双子の姉。彼女は、夫のしあわせを願っている。それゆえ、彼女は誓う。夫に離縁してもらい、夫がほんとうに愛している双子の姉と結婚してしあわせになってもらいたい、と。そして、ついにその機会がやってきた。 ※ハッピーエンド確約。タイトル通りです。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

処理中です...