愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

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本編

元妻VS元愛人?

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「奥様、見たところお一人のようですけど、お連れの方はいらっしゃるの?」



 図々しい態度で胡蝶の正面を陣取ると、瑠璃はタバコに火をつけた。



 垂れ目勝ちの大きな瞳に、愛らしい面立ち――童顔で実年齢はわかりにくいが、かなりの年上だと胡蝶は踏んでいた。タバコの煙を極力吸わないよう席をずらすと、胡蝶は慎重に口を開く。



「ええ、もうすぐ戻ってくると思うわ。貴女こそ、待ち合わせか何か?」



 瑠璃はキッと胡蝶を睨みつけると、その顔にふうとタバコの煙を吹きかける。



「ずいぶんと能天気なことをお聞きになるのねぇ。清春様が亡くなって、まだ日も浅いっていうのに、もう新しい男を捕まえているなんて、奥様も隅に置けませんわ」



 どうやら一眞と一緒にいるところを既に見られていたらしい。タバコの煙を吸ってしまい、軽く咳き込みつつも、胡蝶は負けじと言い返す



「清春様が亡くなって一番悲しいのは貴女じゃなくて? そうは見えませんけど」

「葬式にも出なかった奥様に言われたくありませんわ」

「私だって、夫の愛人だった貴女に責められるいわれはないわ」

「まあ、奥様ったら、もしかしてあたくしに嫉妬してらしたの?」



 瑠璃は勝手に胡蝶の珈琲に手をつけると、美味しそうにそれを飲み干した。続いて彼女の視線がチョコレイトに向けられているのに気づき、胡蝶は、我ながら食い意地が張っているなと反省しつつも、先にそれを飲み干す。胃袋に入ればこっちのものだと勝ち誇った視線を送ると、ちっと舌打ちされてしまった。



「無理もありませんわ。夫に求められない妻ほど、惨めなものはありませんもの」



 単なる嫌がらせか、それとも自分を挑発しているのかは不明だが、ここで冷静さを失えば相手の思うツボなので、深く息を吸って怒りを鎮める。



「思うに、奥様には女としての魅力が欠けているのですわ」



 だから清春に離縁され、捨てられたのだと正面切って嘲笑され、



「捨てられたのは貴女も同じでしょう? それで無理心中しようとした……」



 同じように馬鹿にした笑みを返すと、瑠璃の顔がぴくりと引きつった。よく見ればずいぶんと厚化粧しているらしく、それで実年齢が読めないのかと納得する。



「黙って泣き寝入りする女よりはマシだと思いますけど?」

「貴女には、女としてのプライドがないの?」



 瑠璃はすっと目を細めると、



「ろくに男も知らないくせに。ガキが舐めた口きくんじゃないよ」



 灰皿にタバコを押し付けながら、ガラリと口調を変える。

 胡蝶は耳を疑いながらも、これこそが彼女の本性だと思い、息を飲んだ。

 

「男に泣きすがる女はみっともない? 捨てられるのも自業自得? そもそも男に期待するのが間違い? どうせあんたもそう言いたいんだろ?」



「いえ、さすがにそこまでは……」



「好みの男に優しくされたら、誰だって惚れるに決まってるだろ。一緒に過ごした時間が長ければ長くなるほど、どんどん好きになっていくってもんだ。だのに相手の男は徐々に冷たくなって、いつも最後は捨てられちまう。一体、あたいの何が悪いってんだ……」



 確かに、それはあまりにも気の毒すぎる。 



「このことを弟たちに話したら、姉さんは悪くない、単に男を見る目がないだけだって慰めてくれるんだけどねぇ」



 不意に話を振られて、「はあ」と相槌を打つ。

 けれど彼女にも兄弟がいると知った途端、急に親近感を覚えた。



「弟さんたちにものすごく慕われているんですね」

「まあ、稼いだ金はほとんど家に入れてたからねぇ。あいつらも現金なもんさ」



 それを聞いた瞬間、胡蝶の、瑠璃を見る目が変わった。



「でもそれだけじゃ足りないから、客に高価なもん買わせてさ、それを売って金に変えたりしてねぇ」

 

 ――この人、それほど悪い人じゃないみたい。



 愛らしい顔立ちと婀娜っぽい雰囲気から、性悪で心の醜い女性だと決めつけていたけれど、とんだ間違いだった。蓋を開ければ家族思いの優しい女性だ。きっとやむを得ない事情――親が早死したとか、家が貧乏だからとか――から芸妓の道に飛びこんだのだろう。



 私にはとても真似できないわ、と素直に感心してしまう。何せ生まれてこの方、自力でお金を稼いだことがないのだから――自覚したら、何だか恥ずかしくなってきた。



 ――それなのに私ったら、女としてのプライドはないのか、だなんて偉そうに。



 穴があったら入りたいというのは、このことを言うのだろう。



「瑠璃さんはご立派ですわ」

「……なんだい、急に。気味が悪いねぇ」



「本心です。私にも兄弟がいますから、家族を大切に思う気持ちはわかります。それに、独立心があって、仕事のできる女性ほどダメな男に引っかかりやすいと、よく母が申していますわ」



「そうかい……あたいもたぶんそれだね。クズと分かっていてもほっとけなくてさ」

「情が深いんですのね、瑠璃さんは」

「よしとくれよ、照れるじゃないか」



 ピリピリとした空気が、いつの間にかしんみりとしたものに変わっていた。

 そこで瑠璃はハッとしたように辺りを見回すと、



「しまった、こんなことしている場合じゃなかった」

「……瑠璃さん、どうかなさったの?」



 彼女はふうと息を吐くと、

 

「悪いけど、奥様。あたいの目を見てくれるかい?」

「瑠璃さんの目?」



 すると瑠璃の瞳孔が瞬く間に細くなって、一瞬だけきらりと光った気がした。

 まるで猫みたいだとぼんやり考えていると、



 ――何? ……なんだか、急に眠気が……。 

 

「あんな助平オヤジのところにあんたを連れて行くのは気が引けるけどさ。これも仕事でね、恨まないでおくれよ」



 瑠璃の声が徐々に遠くなっていく。

 まぶたが重い。



「……る、りさん?」



「あたいのくだらない愚痴に付き合ってくれてありがとう、奥様。無愛想だけど、あんたが気立てのいい娘だってことは前から気づいてた。だからせめて……いい夢を」



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