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本編

稲荷神社で狐に化かされる

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「どうしよう、さっきから同じ場所をぐるぐる回っている気がするのだけど」



 裏山を歩き回って疲れ果てた胡蝶は、樹木の幹にもたれかかって、座り込んでしまう。いつも家の中にこもっていては身体がなまるからと、お佳代に連れられて散歩に出かけたはいいが、山道に入ってすぐ、前を歩く彼女を見失い、迷子になってしまったのだ。



「私が家にいないことが、もし、花ノ宮家の誰かに知れたら……」



 監視役のお佳代は罰せられ、今度こそ、地下牢に閉じ込められてしまうかもしれない。胡蝶は慌てて立ち上がると、再びお佳代を捜して歩き出した。「かあさん、かあさん、どこにいるの?」できる限り声を張り上げる。



 すると、しばらくして、



「あの、もしかして道に迷われたのですか?」



 おずおずといったように声をかけられて、顔を向けると、着物姿の少年がぽつんと立っていた。なぜ狐のお面をつけているのかは分からないが――縁日のお祭りで買って、よほど気に入ったのかもしれない――おそらく地元の子だろう。胡蝶はほっと胸をなで下ろした。



「そうなの。かあさんとはぐれてしまって……」

「近くに神社があるので、そこにいるかもしれませんよ」



 山に登る人たちは、必ずそこで参拝するのだと教えられ、はっとした。

 そういえばお佳代もそんなことを言っていたような気がする。



「その神社って、どこにあるの?」

「こっちです」



 当然のように案内されて、申し訳ない気持ちになる。

 しかも大の大人が子どもに保護されるなんて。



「迷惑をかけてごめんなさい」

「いえいえ、ちょうど私も、神社に用があったので」



 口調までしっかりした子だ。

 これではどちらが大人か分からない。



 まもなく赤い鳥居が見え、神社に到着した。

 敷地内に入ってすぐ、そこが稲荷神社と知って、胡蝶は笑い出してしまう。



「昨日から、お狐様には助けられてばかりね」

「……昨日?」

「黒い狐が蛇を退治してくれたのよ。おかげで噛まれずに済んだわ」

「それって、こんな奴ですか?」



 いつの間にか少年の姿は消えていて、目の前にはちょこんと狐が座っていた。

 黒い毛並みに、片方だけ潰れた目――間違いなく、昨日の狐だ。



 呆気に取られている胡蝶の前で、狐はコンっと鳴くと、煙のように消えてしまう。

 一体何が起きたのかわからず、その場に突っ立って、長いことぼうっとしていると、



「お嬢様っ、良かった、ここにいらしたんですねっ」



 血相を変えて駆け寄ってくるお佳代に、胡蝶は言った。



「かあさん、私、狐に化かされたみたい」 







 ***







「もしかするとその子、混ざり者かもしれませんわ」



 混ざり者なら、胡蝶も知識としては知っていた。

 でもどうしてこんなところに? と不思議に思ってしまう。



 昔こそ忌避されていたものの、特異な能力を持つ彼らは、国の至るところで重宝され、活躍している。戦時中に功績を上げ、爵位を得た者もいるくらいだ。歴史の古い名家の貴族や高位貴族の中には、彼らを成金呼ばわりして馬鹿にする輩も多くいるが、胡蝶は一度くらい、会ってみたいと思っていた。



 ――単なる好奇心だけど……。



 もっとも花ノ宮家に引き取られてからというもの、交友関係は制限され、婚約者や親族以外の異性と話すことすら許されなかったため、そんな機会はついぞ訪れなかったが。



「だったらもっと、あの子と話をしてみたかったわ」

「お嬢様ったら……もし危険な相手だったら、どうするおつもりですか」

「あら、あの子は命の恩人よ。二度も助けられたもの」

「よくよく用心なさいませ。お嬢様に懸想した、どこぞの殿方が寄越したのかもしれませんわ」

「それはそれでロマンチックじゃないこと?」



 冗談混じりに答えると、お佳代は神経質そうに眉をひそめる。



「散歩はこのくらいにして、家に戻りましょう」

「せっかくだから、帰りに無人販売所に寄って、お野菜を買いたいわ」



 田舎では、キズモノの野菜がタダ同然で売られているので、子どもの頃から川で冷やしたきゅうりをかじったり、トマトを頬張ったりと、おやつ代わりによく食べていた。



「ええ、ええ、昔から不格好なお野菜がお好きですものね、お嬢様は」

「普通の野菜と味は変わらないし、個性があっていいと思うけど」



 そそくさと山を降りて、平坦な道を歩く。



 気つけばもう日が傾いていて、胡蝶は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。汗ばんだ肌に風が当たって、ひんやりと気持ちいい。お佳代とゆっくり並んで歩きながら、時たま振り返って、伸びた影を眺める。子どもの頃は当たり前に感じていた風景を横目に、胡蝶は昔を思い出して、幸せを噛み締めていた。

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