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本編
頼もしい乳兄弟
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それから数日後のこと、
「胡蝶っ、何だお前、帰ってきてたのかっ」
「まあ、辰兄さんっ。辰兄さんなの?」
長男の辰之助たつのすけは胡蝶よりも5つ年上の24歳。短気で喧嘩早いが正義感が強く、いつもいじめっ子から胡蝶を守ってくれた。子どもの頃から日に焼けて、ガキ大将が板についていた辰之助だったが、農家は継がずに警官になったらしい。制服姿が様になっていて、胡蝶は眩しげに目を細めた。
「兄さん、モテるでしょ?」
「おおよ。けどあいにく、寂しい独り身でな」
言いながら一歩後ろに下がって、まじまじと胡蝶を眺める。
「おふくろの様子を見に寄ったら、まさか胡蝶がいるとはなぁ」
「このことは絶対に誰にも言うんじゃないよ。ご近所さんに知られでもしたら大変だからね」
「ご近所さんって言ったって、一キロは離れてるべ。それより胡蝶、いい女になったなぁ」
辰之助はけしてお世辞を言わないので、恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまう。
「さあ上がって、兄さん。今、お茶を淹れるから」
胡蝶が台所でお茶を淹れている間、居間ではお佳代が辰之助に事情を説明していた。
「それにしてもその北小路って野郎は、ホント糞だな。女を見る目が無さ過ぎる」
「本当にねぇ」
「胡蝶の何が不満なんだ。天女みたいに美人じゃねぇか」
「料理上手で気立てもいいし、何が不満なのかねぇ」
「……わかった、あれだ」
「あれって?」
「要するにビビってんだよ。胡蝶は公家の血を引くお#姫_ひい__#さんだし、今まで付き合ったどの女よりも上等で、気がつえーから。一緒にいると下僕みたいな気分になるんだろ」
「よっほど自分に自信がないんだねぇ」
「話を聞いた限りじゃ、北小路は金持ちのボンボンで、顔がいいだけの口先野郎って感じだしな」
「あたしも前から、お嬢様には相応しくないと思ってたんだよ」
「そうだそうだ、胡蝶がもったいねぇ」
元旦那が二人にこき下ろされていることにも気づかず、胡蝶はいそいそとお盆を手に、居間に入った。家族水入らずで過ごすのも久しぶりで、つい頬が緩んでしまう。
「二人とも、お茶が入りましたよ」
緑茶に軽く炙った干し芋とせんべいを添えて持っていくと、辰之助は「ちょうど小腹が空いていたんだ」と言って、瞬く間に食べ尽くしてしまった。その上、干し柿にも手をつけ始めた息子に、「相変わらずよく食べるねぇ」とお佳代もあきれ顔だ。
「うちが農家で良かったよ。いつも腹減った、腹減った、ってそればっかりで……」
「そういえばガキの頃、山に入ってスグリの実をいっぱい取ってたな」
「スグリって、あの酸っぱいやつでしょう?」
見た目はプルッとしていて宝石のように綺麗だが、酸味が強すぎて、あまり美味しくはない。けれど子どもの頃は、なぜか夢中になって食べていた。
「胡蝶はいっつもツツジの花を口に咥えてたよな」
「……だって吸うと甘い蜜が出てくるから」
「毒のあるものもあるから、おやめなさいとあれほど注意しましたのに」
「あら、もちろんちゃんと気をつけていたわよ」
ひとしきり思い出話に花を咲かせると、
「そうだ、胡蝶」
うまそうに干し柿を齧りながら、辰之助がふと思い出したように口を開く、
「再婚する気があんなら、俺が嫁にもらってやろうか?」
「こらっ辰っ。馬鹿なこと言うんじゃないよっ」
「なんでさ? おふくろだって胡蝶が本当の娘になってくれたら嬉しいだろ?」
「そりゃあ……って、侯爵様がお許しになるわけないだろ」
「許しなんか必要ないね。可愛い娘を無理やり嫁がせて、戻ってきたら田舎のボロ屋に軟禁するような男だぞ」
「ボロ屋で悪かったねっ」
「ということで、全部お前の気持ち次第だからな、胡蝶。お前が一言「うん」と言ってくれたら、お前とおふくろを連れて、どこまでだって逃げてやる」
嬉しい言葉だったが、胡蝶は笑ってかぶりを振った。
「これ以上、かあさんや兄さんに迷惑をかけたくないから。それに私、この家に戻ってこられて、本当に嬉しいの。子どもの頃に戻ったみたいで……だから当分、再婚なんて考えられないわ」
そうか、と辰之助は少しがっかりしたように肩を落とした。
「でもまあ、先は長いんだし。考えが変わったらいつでも声をかけてくれや」
軽い調子で言い、すくっと立ち上がる。
「上司にどやされる前に、そろそろ署に戻るわ」
「お前、サボってばかりいないで真面目に働くんだよ」
「真面目にやってるって。ガキじゃねぇんだから」
言い合う辰之助とお佳代の後から、胡蝶もついていく。玄関まで来ると、あらかじめ用意していた、笹の葉でくるんだ握り飯を辰之助に渡した。
「これ、朝ご飯の残りで作ったの。鮭と梅干が入っているから、お腹が空いたら食べてね」
「悪い。ありがたくもらうよ」
辰之助はニッと笑うと、胡蝶の頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「女の二人暮らしは物騒だからな。これからちょくちょく寄らせてもらうわ」
「とか言って、どうせお嬢様の手料理が目当てなんだろ」
悪びれない態度で「ははっ」と笑うと、颯爽と外へ出て行ってしまった。
「胡蝶っ、何だお前、帰ってきてたのかっ」
「まあ、辰兄さんっ。辰兄さんなの?」
長男の辰之助たつのすけは胡蝶よりも5つ年上の24歳。短気で喧嘩早いが正義感が強く、いつもいじめっ子から胡蝶を守ってくれた。子どもの頃から日に焼けて、ガキ大将が板についていた辰之助だったが、農家は継がずに警官になったらしい。制服姿が様になっていて、胡蝶は眩しげに目を細めた。
「兄さん、モテるでしょ?」
「おおよ。けどあいにく、寂しい独り身でな」
言いながら一歩後ろに下がって、まじまじと胡蝶を眺める。
「おふくろの様子を見に寄ったら、まさか胡蝶がいるとはなぁ」
「このことは絶対に誰にも言うんじゃないよ。ご近所さんに知られでもしたら大変だからね」
「ご近所さんって言ったって、一キロは離れてるべ。それより胡蝶、いい女になったなぁ」
辰之助はけしてお世辞を言わないので、恥ずかしさのあまり顔を伏せてしまう。
「さあ上がって、兄さん。今、お茶を淹れるから」
胡蝶が台所でお茶を淹れている間、居間ではお佳代が辰之助に事情を説明していた。
「それにしてもその北小路って野郎は、ホント糞だな。女を見る目が無さ過ぎる」
「本当にねぇ」
「胡蝶の何が不満なんだ。天女みたいに美人じゃねぇか」
「料理上手で気立てもいいし、何が不満なのかねぇ」
「……わかった、あれだ」
「あれって?」
「要するにビビってんだよ。胡蝶は公家の血を引くお#姫_ひい__#さんだし、今まで付き合ったどの女よりも上等で、気がつえーから。一緒にいると下僕みたいな気分になるんだろ」
「よっほど自分に自信がないんだねぇ」
「話を聞いた限りじゃ、北小路は金持ちのボンボンで、顔がいいだけの口先野郎って感じだしな」
「あたしも前から、お嬢様には相応しくないと思ってたんだよ」
「そうだそうだ、胡蝶がもったいねぇ」
元旦那が二人にこき下ろされていることにも気づかず、胡蝶はいそいそとお盆を手に、居間に入った。家族水入らずで過ごすのも久しぶりで、つい頬が緩んでしまう。
「二人とも、お茶が入りましたよ」
緑茶に軽く炙った干し芋とせんべいを添えて持っていくと、辰之助は「ちょうど小腹が空いていたんだ」と言って、瞬く間に食べ尽くしてしまった。その上、干し柿にも手をつけ始めた息子に、「相変わらずよく食べるねぇ」とお佳代もあきれ顔だ。
「うちが農家で良かったよ。いつも腹減った、腹減った、ってそればっかりで……」
「そういえばガキの頃、山に入ってスグリの実をいっぱい取ってたな」
「スグリって、あの酸っぱいやつでしょう?」
見た目はプルッとしていて宝石のように綺麗だが、酸味が強すぎて、あまり美味しくはない。けれど子どもの頃は、なぜか夢中になって食べていた。
「胡蝶はいっつもツツジの花を口に咥えてたよな」
「……だって吸うと甘い蜜が出てくるから」
「毒のあるものもあるから、おやめなさいとあれほど注意しましたのに」
「あら、もちろんちゃんと気をつけていたわよ」
ひとしきり思い出話に花を咲かせると、
「そうだ、胡蝶」
うまそうに干し柿を齧りながら、辰之助がふと思い出したように口を開く、
「再婚する気があんなら、俺が嫁にもらってやろうか?」
「こらっ辰っ。馬鹿なこと言うんじゃないよっ」
「なんでさ? おふくろだって胡蝶が本当の娘になってくれたら嬉しいだろ?」
「そりゃあ……って、侯爵様がお許しになるわけないだろ」
「許しなんか必要ないね。可愛い娘を無理やり嫁がせて、戻ってきたら田舎のボロ屋に軟禁するような男だぞ」
「ボロ屋で悪かったねっ」
「ということで、全部お前の気持ち次第だからな、胡蝶。お前が一言「うん」と言ってくれたら、お前とおふくろを連れて、どこまでだって逃げてやる」
嬉しい言葉だったが、胡蝶は笑ってかぶりを振った。
「これ以上、かあさんや兄さんに迷惑をかけたくないから。それに私、この家に戻ってこられて、本当に嬉しいの。子どもの頃に戻ったみたいで……だから当分、再婚なんて考えられないわ」
そうか、と辰之助は少しがっかりしたように肩を落とした。
「でもまあ、先は長いんだし。考えが変わったらいつでも声をかけてくれや」
軽い調子で言い、すくっと立ち上がる。
「上司にどやされる前に、そろそろ署に戻るわ」
「お前、サボってばかりいないで真面目に働くんだよ」
「真面目にやってるって。ガキじゃねぇんだから」
言い合う辰之助とお佳代の後から、胡蝶もついていく。玄関まで来ると、あらかじめ用意していた、笹の葉でくるんだ握り飯を辰之助に渡した。
「これ、朝ご飯の残りで作ったの。鮭と梅干が入っているから、お腹が空いたら食べてね」
「悪い。ありがたくもらうよ」
辰之助はニッと笑うと、胡蝶の頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「女の二人暮らしは物騒だからな。これからちょくちょく寄らせてもらうわ」
「とか言って、どうせお嬢様の手料理が目当てなんだろ」
悪びれない態度で「ははっ」と笑うと、颯爽と外へ出て行ってしまった。
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