愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

文字の大きさ
上 下
2 / 93
本編

懐かしい我が家

しおりを挟む
 自動車から降りた胡蝶は、懐かしさのあまり目頭が熱くなるのを感じた。赤い花が咲き誇る道の先に、古めかしい民家を見つけて、「あっ」と声を上げる。この家で過ごした幸福な日々が走馬燈のように思い出されて、泣き出したいような、声をあげて笑い出したいような、不思議な感覚に捕らわれていた。



「それでは、わたくしたちはこれで失礼します」



 自動車が走り出して見えなくなると、胡蝶はいそいそと荷物を抱え、民家の門をくぐった。



「ただいまっ、かあさんっ」



 子どもの頃の自分に戻ったような気分で、声を張り上げる。実の母は自分を産んですぐに死んでしまったため、胡蝶はお佳代のことを本当の母親のように慕っていた。



「かあさんっ、胡蝶よっ。帰ってきたわっ」



 すると家の奥から慌ただしく足音が聞こえたかと思えば、勢いよく扉が開かれた。現れた白髪まじりの初老の女性は、胡蝶の顔を見るやいなや、はらはらと泣き出してしまう。



「ああ、胡蝶お嬢様っ。もう二度と、お目にかかることはないと思っていたのに……」

「夫に離縁されて家を追い出されてしまったの。ここに置いて下さる?」

「もちろんですとも、お嬢様」



 温かみのあるほっそりとした腕に抱きしめられて、胡蝶は心から安心感を覚えた。



「お可哀想に、さぞお辛かったことでしょう」

「ええ、辛かったわ。旦那様は私の顔を見ようとしないし、お父様は会ってもくださらない」



 高位貴族の娘として、感情を表に出すことはとてもはしたないことだと教えられて育った。だからこそ、これまで必死に感情を押し殺してきたが、それももう限界だ。優しく背中を撫でられて、胡蝶は我慢できずに泣き出してしまう。



「さあさ、好きなだけお泣きなさい。佳代の前では、何も我慢することはありませんからね」

「……うん」

「しかしまあ、あたくしの可愛いお嬢様が……こんなに大きくなられて……」



 しみじみとした口調で言われて、恥ずかしくなってしまう。



「いつもはこんなにお転婆じゃないのよ」

「とてもお綺麗になられましたね」

「でも離縁されてしまったわ」

「相手に見る目がないからですよ」



 そうだといいけれど。

 親の欲目に、胡蝶は苦笑いを浮かべてしまう。



「そろそろ中へお入りください。風が冷たくなってきましたわ」



 幼子のように手を引かれて、胡蝶は大人しくついていく。



「お嬢様のお部屋はそのままにしてありますからね」

「本当?」

「ええ、いつ帰ってきてもいいようにと。主人も同意してくれましたし」

「そういえばとうさんは? まだ畑仕事かしら?」

「それが……主人は五年前に他界しまして」



 知らなかったと呆然としてしまう。

 

 貴族の慣習で、生まれてまもなく里子に出された胡蝶は、9歳になるまでこの家――柳原やなぎはら家で過ごした。彼らが本当の家族ではないと知ったのは、花ノ宮家に連れ戻された直後のことだ。そこからが地獄で、教育係に一通りしつけられた後、規律の厳しい女学校に通わされ、家では、貴族の娘として相応しい振る舞いを求められた。それができなければ厳しく罰せられたし、本妻に嫌味を言われるのもしょっちゅうだった。



「子どもたちも皆成人して、家を出ていきましたし。今、この家にいるのはあたくしだけですから。この際、女二人で楽しくやりましょうよ。お嬢様も人目を気にせず、好きなことをなさってくださいな」



 気遣いのこもった言葉が嬉しくて、「うん」とうなずく。

 正直な話、胡蝶もわくわくしていた。



 子どもの頃に使っていた部屋に入って手早く荷物を収納すると、高価な衣を脱いで、汚れてもいい簡素な着物に着替える。最後にこっそり用意していた割烹着を身に付け、いそいそと居間へ戻った。



「早速だけど、かあさん、今夜の夕食は何が食べたい?」


しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

番?呪いの別名でしょうか?私には不要ですわ

紅子
恋愛
私は充分に幸せだったの。私はあなたの幸せをずっと祈っていたのに、あなたは幸せではなかったというの?もしそうだとしても、あなたと私の縁は、あのとき終わっているのよ。あなたのエゴにいつまで私を縛り付けるつもりですか? 何の因果か私は10歳~のときを何度も何度も繰り返す。いつ終わるとも知れない死に戻りの中で、あなたへの想いは消えてなくなった。あなたとの出会いは最早恐怖でしかない。終わらない生に疲れ果てた私を救ってくれたのは、あの時、私を救ってくれたあの人だった。 12話完結済み。毎日00:00に更新予定です。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

処理中です...