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お隣さんの、憂鬱
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――ピンポーン。
俺はチャイムを鳴らす。
だが、そこに住んでるはずの友人は出てこなかった。
数日前を連絡を最後に、そいつとの連絡がとれなくなってしまったのだ。
唐突だった。
ある日のスマホでのやりとりの途中。
そいつとのやりとりは、途切れてしまい、それっきりという感じだ。
友人の様子が気になった俺は、彼に何かあったのではないかと、その友人のアパートへと、足を運んだ。
しかし――、
――ピンポーン、ピンポーン
どうやら彼はここにもいないようで、中から人が出てくるような気配はない。
俺はため息をつくと、念のためにと、ドアノブに手をかけた。
すると――、
「……ん?」
鍵がかかっているとばかり思っていたそのドアは、いとも簡単に開いた。
どういうわけだろう。
なんとなく、いやな予感がする。
住人が音信不通だというのに、家だけ開いているのは不自然すぎるだろう。
俺は固唾をのみ、思い切ってそのドアを開けた。
「お、おい……。[[rb:純也 > じゅんや]]……」
俺は友人の名前を呼びながら、家の中へ入り。呆然とした。
玄関のドアをあけてすぐ、中に誰もいないことを理解したのだ。
部屋は狭く、眼前に広がる、その一部屋だけ。
正面に見える窓は、まだ昼過ぎだというのに、カーテンでさえぎられていた。
だがカーテンの隙間からの光だけでも、十分に明るく、部屋の様子はしっかりとわかる感じだ。
俺は、ひとまず中に入り、カーテンを開けた。
それにしても――。
なんだか、ちょっとにおうような気がする。
男臭いとか、そういう臭いではなく。
なんというか。まるで――何かが腐ったような臭いが、ほんのりとしていた。
俺は窓を開け、部屋を喚起した。
人の家で勝手なことをしている自覚はありつつも、あまりに、臭いがきつかったのだ。
濃度でいえばそれほどでもない。
ふんわりくるような、そんな程度だ。
しかし、なんというか――ずしん、と、鼻の奥に残るような、硫黄に近いような、臭いだった。
せめて、五分ほど喚起をしておこうと、俺はだいぶ明るくなった部屋へ、視線を滑らせていく。
特に変わったもののないような、男の部屋といった感じだ。
特徴のないテレビにキッチンに、押入れ。
なんてことのない、和風の部屋が広がっている。
俺は一通り、部屋の様子を見て、特に変なところが見受けられないのを確認すると、
「純也のやつ、まじでどこにいったんだよ……」
旧友というほどではないが、何度か飲みにいった仲だ。
何人かで集まって、この部屋でも、酒を飲み、酔っ払った思い出がある。
まあ、あまりにも部屋の壁が薄いので、あまり騒いだりはできないのだが、落ち着いて飲む分には、いいたまり場といった感じになっていた。
そんな部屋を眺めながら、俺はため息をつく。
と、そんなとき――、
『――――』
何か聞こえてきた、気がした。
うっすらと、誰かがしゃべっているかのような声だ。
おそらく、隣の部屋からだろう。
俺は、静かに窓を閉めると。
なんとなく、そちらのほうに聞き耳を立ててみる。
すると――、
ぷううぅぅ……
……。
それはまるで――屁のような音だった。
まさかと、俺は聞き間違いである可能性を疑いながら、隣の部屋へ耳をすませてみる。
『――むっ、むううううぅぅ……っ!』
なんだ……。
苦しむような男の声に俺は驚く。
もしかして、その人が屁をこいたのだろうか。
それにしても、違和感がある。
俺は隣の部屋へ耳をしっかりとつけ、隣の部屋の音を聞く。
そして、俺の耳に届いたのは、
『あらあら……、大丈夫ぅ?』
美人そうな女性の声だった。
彼女はねっとりと、色気をふくむかの調子で言葉を続け、
『どう? 私の、お、な、ら。強烈でしょう……?』
まさか――。
俺は自分の耳を疑った。
だが、
『けど……、こんなの序の口よぉ? ほぅら……』
ぶううぅぅ……
何発でもだせちゃうんだから――と。
放屁音のあと、女性は楽しげに笑みをもらし。
そのすぐあと、男のうめくような声が聞こえてきた。
ここまでくると、そうとしかきこえない。
女性は、男に――屁を嗅がせているのだ。
ひょっとして、何かのプレイ中なのだろうか。
それにしては、男の声が深刻そうだったきがするが。
まあ、そういう世界があるのかもしれない。
世の中にはいろんな人がいる。
そういう人たちに、俺がとやかくいうべきではないだろう。
俺がそんなふうに、隣の部屋の状況について、納得をしていると――、
『え……。うそでしょ? ねえ。本当に、まだ始まったばかりなのよ……? ほら――』
ぷうぅ……
『ぐったりしてるんじゃない』
ふすううぅぅ……
どうやらそれは、だいぶ激しい内容のようだ。
苛立ちをにじませる女性にたいし、男のほうは、半べそで弱弱しくうめいているようで、何をいっているのか、さっぱり聞き取れない。
それにしても。
どれほどまでに、壁が薄いのだろうか。
先ほどの、すかしの音まで、しっかりと耳に届いてきた。
すかしの音圧がすごかった、という可能性もあるが。
それはさておき、隣の様子だ。
その激しさに、俺は固唾をのんでいると、
『もういいや。きみ、ぜんぜん堪えてくれないし、がっかりだよ……』
はあ、と。ため息をつく女性。
そのまま、説教でもするんだろうか。
俺がそんなふうに思っていると、
『もう……。しかたがないなぁ』
その声は――思いのほか優しく。
最初の雰囲気とはまた違うが、感情を切り替えたかのような、やわらかさがある。
『ごめんね。私、ちょっと言い過ぎちゃった……』
女性に耐性のない男なら、いぱっつだろう。
そう思えるような、甘酸っぱさの覚えるような声だ。
それにたいし、男のほうは、いまだにもごもごとした口調でかえしているようで、何を言っているかさっぱりわからず。
なんというか――屁を嗅がされたぐらいで、情けない、と。
その男にたいして思えてくる。
まあ、それもプレイの一環なのかもしれない。
演技で、そうしているだけなのかもしれない。
その女性の屁がどれほどのものなのかは知らないが、おならを嗅がされたぐらいで、人がまいるなんて、ありえないだろう。
というか、男にたいして、とやかく思う前に。
俺は俺で、隣の部屋に聞き耳を立てている変人なわけで。
そのことに気づいてしまった瞬間、屁に苦しむ男よりも、自分の方が滑稽だなと思った。
しかし、俺はなんとなく、そのやりとりを聞き続けてしまっていた。
興味があるのかは、よくわかならいが、俺はいつの間にか、それをやめることはできなくなってしまっていた。
『ね。もう怒らないから……』
なんと、やさしい声だろう。
その声に、俺は思わず息をのんでいると、
『だから。ほら、鼻をここにあてて』
俺が言われたなら、なりふりかまわず、そのようにしてたかもしれない。
しかし、
『いやなの?』
どうやら、男は渋っているようだ。
なぜだろう。
なにがそんなに、気に入らないのだろう。
って――いやいや。
なんだか、突っ込みどころがおかしい気がする。
それに、突っ込んだら負けだろう。
これは恐らく、そういうプレイ、なのだから。
そして、やはり男は女性の言うとおりにはしなかった様子で、
『わかったよ……。じゃあ』
ぶううぅぅううぅぅ……
『こんなのは――どう?』
『――んんーーっ!?!?!?』
……なんだ。
なにがおきたのだろうか。
唐突な展開に、俺が疑問を覚えていると、
『私特製の、握りっ屁だよ』
女性はそういうと、
ぷううぅぅ……
『ほらほら』
ぶびいぃ……
『まだまだ』
ぶぴいぃっ……
『もういっちょう』
楽しげな女性の声と、放屁の音。
そして、
『すごいでしょ? 握りっ屁地獄』
どうやら、先ほどの屁を、全部握りっ屁で、男に嗅がせていたらしい。
そしてそのたびに、男が弱弱しくうめきながら、だんだんと大人しくなっていく様子が、耳から伝わってきていた。
しかし、
むすううぅぅううぅぅ……
『けど――まだ終わりじゃないよ』
『――っ!?!?!?』
まるで衝撃を受けたかのような男の声。
ちょっと、オーバーリアクションな気もするが。
連発でかがされたあとの――すかし。
今のは、確かにきつそうだ。
まあ、そういった趣味があるのであれば、余裕で堪えられるのかもしれないが、
『きみ、根性がないみたいだからさ。お姉さんが、鍛えてあげるよ』
ぷうぅ……!
『ほら』
ぶっ……!
『こうやってさ。きっつ~い臭いを、ずっと嗅いでたら、メンタルトレーニングになると思わない? だから、私は心を鬼にして……』
ふ……しゅううぅぅううぅぅううぅぅ……
『ほら、嗅がせるよ。にぎりっ……、ぺ』
『――う、おげええぇぇ!?!?』
……。
……なんだ。
なんだ、これは。
本当に、ただ屁を嗅がせているだけのだろうか。
本当に、演技で男は苦しんでいるのだろうか。
なんだか、さきほどは、男のことを根性がないと笑ったが。
本当にそうなのだろうか、と俺は疑問を覚え始めてくる。
『こら、だめだよ。おげぇ、なんて。女性にそんなこといったら、傷ついちゃうんだから……。けどね……』
むっすううぅぅううぅぅ……ううぅぅ……
『私になら、いってもいいから……。本当は嫌だけど、許してあげるから……。だからね、ほら……、いくよ? せーの……』
『――んむっうええぇぇえええ!?!?』
見ずとも、彼の状態がわかるかのようだ。
おそらく、本当に臭くて。苦しくて――、
気の毒な状態なのだろう。
にもかかわらず、
す……すううぅぅううぅぅううぅぅ……
『……ふふっ』
女性が笑った気がした。
そして、
『――――』
男が再びうめく。
その様子に、女性は思わずといった風に、ふきだした。
『すごいわね。三回連続で、すかしっ屁がでてるわ。別に狙ってるわけじゃないんだけどなぁ……』
ふっすううぅぅううぅぅ……
『今日は調子がいいみたい……』
『――――』
何度も何度も、壊れた電球を、無理やり発光させるかのように、男はうめき声を上げる。
そして、それは、だんだんと弱くなっていき、
『それじゃあ。そろそろ――仕上げにしようか』
女性は、そういうと、『よいしょ』と、何かに座る。
まあ、何に座ったのは言わずもがなだろう。
おそらく男の顔の上だ。そんな気がする。
そして、そんな状態で、もし放屁なんてされてしまっては――、
ぷううぅぅ……
『まずは、軽く』
気の抜けるような高音が鳴り、女性がつぶやく。
それに反応するように、男が小さく反応した。
小さく、それが精一杯だといわんばかりに、男は情けのない声をもらし。
そんな彼へ――、
『もう一回』
ぷう……
『もう、一回……』
ぶうぅ……
まるで、男の鼻を、ならすかのように。
あるいは、挑発でもするかのように――、
『おーい』
ぷっ……
女性は小さく放屁を繰り返し、
『そろそろ、いくよ……』
そして――。
しばらく、静寂が流れる。
そのさい、男からは一切の抵抗の気配はなかった。
もうすっかり、弱りきっているのだろう。
だというのに――、
『じゃあ、今度はちょっと。すかしてみようかな』
それは、やりすぎではないだろうか。
『っていうか、偶然出たすかしって、きついけどさ。意図的に出したすかしなら、それほどでもなかったりするのかな? ねえねえ。ちょっと試してみようと思うんだけど……、どう思う?』
女性は楽しげな様子で、男に問う。
しかし、それに対しての反応はまったくなく、
『ほら。返事しないと、本当にやっちゃうよ? いいの?』
女性はそう尋ね、しばらく待つ。
だが、やはり返事はなく、女性は『わかった』とつぶやくと、
『それじゃあ、いくよ……』
彼女はそういって――、
ふっしゅううぅぅううぅぅううぅぅ……
長く、静かに放出されていく、すかし。
それは、壁をはさんで、こちらのほうまで聞こえてくる。
本当に、いかにも――といった、音だ。
そして、その臭いは――、
『ん? もがいてる? やっぱりきつかったのかな……? けど、ぜんぜん力が弱いね。そんなんじゃ、私のお尻はどかせられないよ』
女性はそういって、小さく笑みを漏らすと、
むっすううぅぅううぅぅううぅぅ……
『うーん。やっぱり、きついみたいだね。痙攣してきちゃってる……。けど……』
す……すううぅぅ……すううぅぅううぅぅううぅぅ~~……
『あまりに反応が弱くて、つまらないよ……』
憂鬱そうに、女性は言う。
それにしても。本当に、大丈夫なのだろうか。
臭いを実際に嗅いでいないので、男の苦しみはさっぱりわからないが――。
じわじわと、男の安否が気になってくる。
『じゃあそろそろ、つぎで――最後にしようかなぁ……。あきちゃったしねぇ……』
そして――。
女性の口調が、少しだけ変わる。
ねっとりと、色気の混じるような声音だ。
『もうすぐだからぁ……。ちょっと、まっててねぇ……』
女性はそういうと、唐突に、す――と。
静まる。
まるで、何かを待っているかのようだ。
とっておきの、何かを、待っているかの様子で――。
おそらく、俺の考えは、あっているだろう。
彼女は今、ゆっくりと、毒ガスを生成でもするかのように。
ゆっくりと意識を集中させていて――、
ガチャア……
へ。
……?
何だ。
今の音は――、
カチャ……
これは、まるで内側から鍵を閉めるかのような音だ。
そして、その音が聞こえたのは――、
「こんにちはぁ……」
その声に、俺は慌てて振り返る。
と、そのタイミングにあわせるかのように――ぽふっ。
鼻が、何かに包まれ――。
そこにいたのは、ショートボブの、綺麗な女性だった――。
俺はチャイムを鳴らす。
だが、そこに住んでるはずの友人は出てこなかった。
数日前を連絡を最後に、そいつとの連絡がとれなくなってしまったのだ。
唐突だった。
ある日のスマホでのやりとりの途中。
そいつとのやりとりは、途切れてしまい、それっきりという感じだ。
友人の様子が気になった俺は、彼に何かあったのではないかと、その友人のアパートへと、足を運んだ。
しかし――、
――ピンポーン、ピンポーン
どうやら彼はここにもいないようで、中から人が出てくるような気配はない。
俺はため息をつくと、念のためにと、ドアノブに手をかけた。
すると――、
「……ん?」
鍵がかかっているとばかり思っていたそのドアは、いとも簡単に開いた。
どういうわけだろう。
なんとなく、いやな予感がする。
住人が音信不通だというのに、家だけ開いているのは不自然すぎるだろう。
俺は固唾をのみ、思い切ってそのドアを開けた。
「お、おい……。[[rb:純也 > じゅんや]]……」
俺は友人の名前を呼びながら、家の中へ入り。呆然とした。
玄関のドアをあけてすぐ、中に誰もいないことを理解したのだ。
部屋は狭く、眼前に広がる、その一部屋だけ。
正面に見える窓は、まだ昼過ぎだというのに、カーテンでさえぎられていた。
だがカーテンの隙間からの光だけでも、十分に明るく、部屋の様子はしっかりとわかる感じだ。
俺は、ひとまず中に入り、カーテンを開けた。
それにしても――。
なんだか、ちょっとにおうような気がする。
男臭いとか、そういう臭いではなく。
なんというか。まるで――何かが腐ったような臭いが、ほんのりとしていた。
俺は窓を開け、部屋を喚起した。
人の家で勝手なことをしている自覚はありつつも、あまりに、臭いがきつかったのだ。
濃度でいえばそれほどでもない。
ふんわりくるような、そんな程度だ。
しかし、なんというか――ずしん、と、鼻の奥に残るような、硫黄に近いような、臭いだった。
せめて、五分ほど喚起をしておこうと、俺はだいぶ明るくなった部屋へ、視線を滑らせていく。
特に変わったもののないような、男の部屋といった感じだ。
特徴のないテレビにキッチンに、押入れ。
なんてことのない、和風の部屋が広がっている。
俺は一通り、部屋の様子を見て、特に変なところが見受けられないのを確認すると、
「純也のやつ、まじでどこにいったんだよ……」
旧友というほどではないが、何度か飲みにいった仲だ。
何人かで集まって、この部屋でも、酒を飲み、酔っ払った思い出がある。
まあ、あまりにも部屋の壁が薄いので、あまり騒いだりはできないのだが、落ち着いて飲む分には、いいたまり場といった感じになっていた。
そんな部屋を眺めながら、俺はため息をつく。
と、そんなとき――、
『――――』
何か聞こえてきた、気がした。
うっすらと、誰かがしゃべっているかのような声だ。
おそらく、隣の部屋からだろう。
俺は、静かに窓を閉めると。
なんとなく、そちらのほうに聞き耳を立ててみる。
すると――、
ぷううぅぅ……
……。
それはまるで――屁のような音だった。
まさかと、俺は聞き間違いである可能性を疑いながら、隣の部屋へ耳をすませてみる。
『――むっ、むううううぅぅ……っ!』
なんだ……。
苦しむような男の声に俺は驚く。
もしかして、その人が屁をこいたのだろうか。
それにしても、違和感がある。
俺は隣の部屋へ耳をしっかりとつけ、隣の部屋の音を聞く。
そして、俺の耳に届いたのは、
『あらあら……、大丈夫ぅ?』
美人そうな女性の声だった。
彼女はねっとりと、色気をふくむかの調子で言葉を続け、
『どう? 私の、お、な、ら。強烈でしょう……?』
まさか――。
俺は自分の耳を疑った。
だが、
『けど……、こんなの序の口よぉ? ほぅら……』
ぶううぅぅ……
何発でもだせちゃうんだから――と。
放屁音のあと、女性は楽しげに笑みをもらし。
そのすぐあと、男のうめくような声が聞こえてきた。
ここまでくると、そうとしかきこえない。
女性は、男に――屁を嗅がせているのだ。
ひょっとして、何かのプレイ中なのだろうか。
それにしては、男の声が深刻そうだったきがするが。
まあ、そういう世界があるのかもしれない。
世の中にはいろんな人がいる。
そういう人たちに、俺がとやかくいうべきではないだろう。
俺がそんなふうに、隣の部屋の状況について、納得をしていると――、
『え……。うそでしょ? ねえ。本当に、まだ始まったばかりなのよ……? ほら――』
ぷうぅ……
『ぐったりしてるんじゃない』
ふすううぅぅ……
どうやらそれは、だいぶ激しい内容のようだ。
苛立ちをにじませる女性にたいし、男のほうは、半べそで弱弱しくうめいているようで、何をいっているのか、さっぱり聞き取れない。
それにしても。
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それはさておき、隣の様子だ。
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はあ、と。ため息をつく女性。
そのまま、説教でもするんだろうか。
俺がそんなふうに思っていると、
『もう……。しかたがないなぁ』
その声は――思いのほか優しく。
最初の雰囲気とはまた違うが、感情を切り替えたかのような、やわらかさがある。
『ごめんね。私、ちょっと言い過ぎちゃった……』
女性に耐性のない男なら、いぱっつだろう。
そう思えるような、甘酸っぱさの覚えるような声だ。
それにたいし、男のほうは、いまだにもごもごとした口調でかえしているようで、何を言っているかさっぱりわからず。
なんというか――屁を嗅がされたぐらいで、情けない、と。
その男にたいして思えてくる。
まあ、それもプレイの一環なのかもしれない。
演技で、そうしているだけなのかもしれない。
その女性の屁がどれほどのものなのかは知らないが、おならを嗅がされたぐらいで、人がまいるなんて、ありえないだろう。
というか、男にたいして、とやかく思う前に。
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そのことに気づいてしまった瞬間、屁に苦しむ男よりも、自分の方が滑稽だなと思った。
しかし、俺はなんとなく、そのやりとりを聞き続けてしまっていた。
興味があるのかは、よくわかならいが、俺はいつの間にか、それをやめることはできなくなってしまっていた。
『ね。もう怒らないから……』
なんと、やさしい声だろう。
その声に、俺は思わず息をのんでいると、
『だから。ほら、鼻をここにあてて』
俺が言われたなら、なりふりかまわず、そのようにしてたかもしれない。
しかし、
『いやなの?』
どうやら、男は渋っているようだ。
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女性はそういうと、
ぷううぅぅ……
『ほらほら』
ぶびいぃ……
『まだまだ』
ぶぴいぃっ……
『もういっちょう』
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そして、
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どうやら、先ほどの屁を、全部握りっ屁で、男に嗅がせていたらしい。
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しかし、
むすううぅぅううぅぅ……
『けど――まだ終わりじゃないよ』
『――っ!?!?!?』
まるで衝撃を受けたかのような男の声。
ちょっと、オーバーリアクションな気もするが。
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今のは、確かにきつそうだ。
まあ、そういった趣味があるのであれば、余裕で堪えられるのかもしれないが、
『きみ、根性がないみたいだからさ。お姉さんが、鍛えてあげるよ』
ぷうぅ……!
『ほら』
ぶっ……!
『こうやってさ。きっつ~い臭いを、ずっと嗅いでたら、メンタルトレーニングになると思わない? だから、私は心を鬼にして……』
ふ……しゅううぅぅううぅぅううぅぅ……
『ほら、嗅がせるよ。にぎりっ……、ぺ』
『――う、おげええぇぇ!?!?』
……。
……なんだ。
なんだ、これは。
本当に、ただ屁を嗅がせているだけのだろうか。
本当に、演技で男は苦しんでいるのだろうか。
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『こら、だめだよ。おげぇ、なんて。女性にそんなこといったら、傷ついちゃうんだから……。けどね……』
むっすううぅぅううぅぅ……ううぅぅ……
『私になら、いってもいいから……。本当は嫌だけど、許してあげるから……。だからね、ほら……、いくよ? せーの……』
『――んむっうええぇぇえええ!?!?』
見ずとも、彼の状態がわかるかのようだ。
おそらく、本当に臭くて。苦しくて――、
気の毒な状態なのだろう。
にもかかわらず、
す……すううぅぅううぅぅううぅぅ……
『……ふふっ』
女性が笑った気がした。
そして、
『――――』
男が再びうめく。
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ふっすううぅぅううぅぅ……
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『――――』
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そして、それは、だんだんと弱くなっていき、
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ぷううぅぅ……
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小さく、それが精一杯だといわんばかりに、男は情けのない声をもらし。
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ぷう……
『もう、一回……』
ぶうぅ……
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『おーい』
ぷっ……
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しかし、それに対しての反応はまったくなく、
『ほら。返事しないと、本当にやっちゃうよ? いいの?』
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だが、やはり返事はなく、女性は『わかった』とつぶやくと、
『それじゃあ、いくよ……』
彼女はそういって――、
ふっしゅううぅぅううぅぅううぅぅ……
長く、静かに放出されていく、すかし。
それは、壁をはさんで、こちらのほうまで聞こえてくる。
本当に、いかにも――といった、音だ。
そして、その臭いは――、
『ん? もがいてる? やっぱりきつかったのかな……? けど、ぜんぜん力が弱いね。そんなんじゃ、私のお尻はどかせられないよ』
女性はそういって、小さく笑みを漏らすと、
むっすううぅぅううぅぅううぅぅ……
『うーん。やっぱり、きついみたいだね。痙攣してきちゃってる……。けど……』
す……すううぅぅ……すううぅぅううぅぅううぅぅ~~……
『あまりに反応が弱くて、つまらないよ……』
憂鬱そうに、女性は言う。
それにしても。本当に、大丈夫なのだろうか。
臭いを実際に嗅いでいないので、男の苦しみはさっぱりわからないが――。
じわじわと、男の安否が気になってくる。
『じゃあそろそろ、つぎで――最後にしようかなぁ……。あきちゃったしねぇ……』
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そして、その音が聞こえたのは――、
「こんにちはぁ……」
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と、そのタイミングにあわせるかのように――ぽふっ。
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