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一、バオバブの植木鉢を用意します

ちゃんと育てなきゃ飛び出します

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「梔子、梔子と」
 親と一緒に校門前まで行き、パンフレットを受け取ると靴箱を探した。
 クラス発表はもう学校のホームページからログインして確認済みなのに、お母さんは私より楽しそうにパンフレットやクラス名簿を何度も確認していた。
 私より浮かれているのは、住んでいる私の町が田舎で、その田舎でエレベーターやら温室プールやらが設置され高校が改築されたからだ。
 母が通っていたときには教室に冷暖房さえ設置されていなかったらしく、ボロボロの木造校舎が白く輝く鉄骨コンクリートな校舎に生まれ変わったのが、珍しいらしい。
 まあこの田舎で初めてできたコンビニエンスストアに朝一で並んだ母だけある。
「じゃあお母さんはお父さんと体育館に行くからね」
 綺麗にネイルされた爪を見せびらかすようにふりながら、母は少女のように楽しそうに体育館へ向かった。
 梔子(くちなし)藍香(あいか)
 可愛い名前に似合わない平凡で大人しい私は、自分の出席番号が十一番だと言うこと以外は、緊張と不安から頭に何も入ってこなかった。
 この田舎で一つしか無い高校。
 中学は四つあり、その中学からほとんどの生徒が此処に受験し毎年定員割れでどうしても点数が足りないなんて事が無い限り入学できている。
 つまりそれは四分の三は知らない人たちと高校で知り合うことにもなるわけで、人見知り全開の私は緊張していた。
 ただ、塾で見かけ少しだけ憧れている男の子と同じクラスになったことだけは私の中でとてもビッグニュースだ。心が騒いでいる。
 桜を綺麗だと見上げていた中で、いつしか平気で踏んで泥だらけになった花弁が校庭や道路に溢れていた。私が踏みたくなくて避けた道で、同じように花弁を避けて歩く足を見上げると、それは今雅に心を騒がせていた彼だった。
 気付かれないように恐る恐る顔を見ると、日に焼けた引き締まった身体とちょっと大人びた優しそうな微笑みを浮かべている彼に目を奪われた。
 佐々木遊日(ささき ゆうひ)くん。
 その日からずっと目で追いかけてしまったけれど、彼はサッカーが上手で、一年生でもうレギュラー選手。いつも笑顔で背も高くて格好いい。
 常に誰かしらクラスメイトが彼の回りに居て、私なんて近づくことはできなかった。
 私なんて同じ美術部の友達二人ぐらいしか話せる人が居なくて、引っ込み思案で大人しくて、授業中の声なんて聞こえないと先生に注意されればされるほど、蚊のようにか細く不快なモスキート音ぐらいしか出なくなる。
 授業中は当てられないように気配を消して、友達二人以外とは話さないように二人の後ろに隠れて、ひっそりと学校生活を送っていた。
 佐々木くんの横顔を偶にこっそり盗み見するのがちょっとだけ楽しみなぐらい。

 そんな中、高校一年の夏が近づいた七月の初めだった。
「なあ、これ見てみなよ」
 教室がざわめいているのを、廊下から気配で察した。
 昼休みの終わりに友達二人とトイレへ行き、戻った時だった。
「えー。なにこれ」
「やばいじゃん」
 騒いでいるのは、佐々木くんたちと仲の良い女子で、クラスでも目立つ子達だった。
 視線を合わせないように教室に入ったのに、は入った瞬間、後ろの入り口に立っていた私に、クラス中の視線が集まった。
 普段私なんて見ないクラスメイト達が、一斉に私を見ている。どこかであざ笑うような笑い声も聞こえてきた。
「梔子さんって、遊日の事が好きなの?」
 ーーえ。
 ふらりと眩暈がして後ずさると、遊日くんが立ち上がって私の元へ歩いてくる。
 手には私の美術部で使っているキャンパスノート。
 机の上に置いたままトイレに行ったんだ。いつもならバッグに仕舞ってから席を立っていた。
「これ、俺? いつ俺のこと見てたの」
 ノートを捲られて、部活中の彼の横顔を一度だけこっそり描いてしまった走り書きを指さされた。「なんで藍香のノートを勝手に見てるの!」
 友達が取り返してくれたけど、彼は不思議そうな顔で首を傾げた。
「偶々目に入ったから。でも俺が描かれてたら気になるじゃん。なあ、いつ描いたの」
 クスクスと笑う声。
 彼の後ろでニヤニヤ笑うクラスメイト。
 あ。
 ああ。
 息を吸うのも苦しくなった。
 眩暈と吐き気と共に、足が竦む。
「藍香、大丈夫?」
 心配げに友達が肩を支えてくれたけど、佐々木くんの横に、クラスでも目立つ女子二人が並んだ。
「ふうん。梔子さんってやっぱ遊日が好きなんじゃん」
「モテモテだねえ。良かったじゃん、遊日」
「なんだよ、やめろよ」
 ーーやめろよ。
 彼の言葉に、その場から消えてしまいたくなった。
「何の話?」
 外で遊んでいた男子たちも帰ってきて、彼の元へ近づいていく。
 存在するのも苦しくなった。
 自分を笑う声が耳にこびりついて消えてくれなくて、その日の記憶が、それ以降思い出せない。
 気付いたら、夏休みが始まっていて、私はトラックに乗せられ体育座りでトラックから向日葵畑を眺めていた。

「向日葵畑なんてねえ。こんな田舎で誰が見に来るんだか」
 母が苛だった声で、ふんと鼻息を飛ばす。
「藍香。ママの友達が花屋してるんだけど、そこの花の方が種類が豊富で綺麗だし。都会の方がずっとずっと楽しいんだから」
 母は大きな声で、回りに聞こえるのもおかまいなしに、トラックの荷台の私に話しかける。
「田舎の方が陰湿で、何もないから人の噂ばっかしてるのよ。本当にくだらない。いい? 沢山人が居る場所の方が、可能性も楽しみも多いんだからね」
「お前なあ」
 運転しているお父さんが苦笑しているが、否定はしなかった。
 小さな田舎町。高校なんて一校しかないし、全校で百六十人弱しかいなかった。クラスなんて二つしかない。
 私が彼をこっそり落書きしていたなんて、あっという間に広まった。
 いや、正確には広まったんだと思う。
 私はあの笑い声が怖くて、学校に行けなくなっちゃったから分からない。
 でも先生の声もクラスメイトの声も聞きたくなかった。誰かからあの日の情報を聞くのが怖かった。
 制服を見ただけで気を失ってしまう私を、両親は心配してくれた。 
 おじいちゃんといおばあちゃんは情けない、学費を払ってもらっておいてずる休みだとお説教をしてくるので、私は固く耳を閉ざした。
 祖父母が説教しているとき、遠くで聞こえてくる蝉の声に耳を澄ませ、何ゼミの声かなあと現実逃避して自分の心を守っていたと思う。
 見たくない聞きたくないと心を一つ一つ閉ざしていくと、次は何を失っていくのだろうか。
 ご飯の味がしなくなったことに気付いた私は悲鳴を上げてお箸を投げた。
 怖くて絵も描けなくなって、情けなくて泣いてばっか。
 なんで私はこんなに心が弱いのだろうか。
 あの一日の出来事で、私の世界はひっくり返ったように真っ暗な夜が覆い尽くして、私は光りが見つからず、裸足で世界をとぼとぼ歩いていた。
 何にぶつかるか分からない、何が足を傷つけるか分からない、今どこに居るのか分からない。
 だったら暗闇で動かず、息を潜めて居た方が楽。 でもそれって私は生きている意味があるのだろうか。生きているのだろうか。
 このまま二学期に学校に行ける自信もなくて、自分のこの先が不安で、夜中に何度もトイレで吐いた。

 そんな私に手を差し出してくれたのは、両親で、この町から出ようと言ってくれた。
「お母さんさ、こんな田舎ずっと息が詰まって嫌だったのよね。お父さんが大好きだから我慢してたけど、ネイルできる店もないしスーパーもコンビニも二十四時間じゃないし、美味しいスイーツの店はないのに寂れた商店街はお惣菜なんて買う物なら怠けた主婦だの笑われるし。田舎の人らって噂話以外の娯楽はないのかしら」
 可哀想ねと母は笑う。
 母は友達は多いし、授業参観や運動会では色んな人に話しかけられ囲まれているので、私と正反対だと思っていた。
「家に着くまでに夜ご飯何が食べたいか決めといてね。田舎にはないレストランが沢山あるから。パスタにしようか。じじばばがスパゲティと頑として譲らなかったパスタ」
 今度は楽しそうに笑いながら、父もそれには吹き出していた。
 父は仕事の引継ぎ等があるのですぐには引っ越せないが母と私は先に、母が大学時代に住んでいた県外に引っ越すことになった。
 父が私たちをドラッグストアに卸すと、一足先に引っ越し先へ向かった。
 このドラッグストアも全国チェーンのはずなのにうちの町にはなかった店だ。
 母は慣れた手つきでカートに籠を二つ乗せ、中へ入っていく。
「カラオケや買い物やパンケーキ食べに行くのに、一日数本しかないバスを乗り継いで駅に行く。んで、次の日には、知らない老人から「どこに行ってたの」なんて根掘り葉掘り聞かれる田舎特有の陰湿で狭い空気が気持ち悪かったんだよね。私が大学受かったときも、次の日には町のほとんどの人間が知ってたのよ。異常だったわ」
 母は買い物籠に次々とカラフルな食器を入れながら、鼻息荒くあの町の不満を言う。
「私は、別にあの町は嫌いじゃないよ」
 ただ好きだったものや好きだったことが、怖くなっただけ。
 友達もあの町の空も、プールの水面に反射する光も好きだった。
「まあそうね。でもお母さんは藍香が制服を着れなくなった時点で、あの小さな世界が大嫌いになったわ。もう二度と好きになんてならないかな」
 母は虹色に光るガラスのコップを手に取って口付けたのちに、籠の中へ入れた。
「願わくは、この町を藍香が好きになってくれますように」
 おまじないのように口付けながら、がらくたのような宝石のような、キラキラ輝くけれど引っ越し準備で揃える必要がまだないものをポンポンいれて玩具箱のような籠の中身に、私はちょっとだけ心が安らいだ。
 母が大学時代に過ごした町かあ。
 田舎とは違って整理され、整えられた道路。
 歩道にお洒落な木や植物が生えてたり、信号待ちの交差点にお洒落な洋服の人間が立っている。
 確かに田舎では見なかった町並み、そして鮮やかな色だ。

「ここ、ここよ、藍香」
 母が嬉しそうな声で走って行った先には、煉瓦作りの平屋の一戸建ての家が見えた。
 赤い煉瓦の屋根を見た瞬間、私も可愛くて目が輝いて居たと思う。
 トラックの中で珈琲を飲んでいた父が出てくると、私を手招きした。
 今まで私たちが住んでいた家は、おじいちゃんたちが建てた瓦の屋根の、古き良き日本って感じの家。
 母が嬉しそうに庭を走り回っている平屋の赤煉瓦の家は、本の世界から飛び出たような可愛らしい洋風の家。
 庭が広くて、ここで洗濯物を干すと風に靡いて綺麗そう。
 母の夢だったガーデニングができそうな花壇。
 前の家は畑ばかりだったし、母が植えた花をおばあちゃんが腹の足しにならないと嫌味を言って喧嘩していた。あの発言のせいで、母がおばあちゃんの畑の手伝いを一切やめてしまったから覚えている。
「ここね、ちょーっと古いけど、大学時代に住んでいたアパートの管理人さんの持ち家なの。田舎のあの家よりは全然綺麗だし、なにより可愛い」
 父も母の喜びように、嬉しそうに頷いている。「で、隣のお花屋さんが管理人の娘で私の大学時代の親友で、あんたのバイトを期待してたわ」
 いきなり何を言うかと思うと、母は言いたいことだけ言って庭の奥へ走って行った。
 平屋の家よりも庭の方が広いかもしれない。
 奥の壁には蔓が巻き付いていて、ここだけ外国に紛れ込んでしまったようだ。
 確かにあの田舎で煉瓦の家なんて建てたら町中の人の観光スポットにされてしまいそう。
 私だって見に行くレベル。
 手入れされた庭を散歩していると、玄関に止めていたトラックの前で大きな影が動いているのが見えた。
「えー、もうじいちゃんの家に人が来てるじゃん」
 一瞬。
 一瞬固まってしまったのは、男性の綺麗な声に驚いたからだ。
 透き通るような穏やかな声だったが、こんなに癖のない優しい声色は初めてで驚いた。
 固まっている私に気付いた男性は、私の方へ振り向く。
 振り向いた彼は穏やかで優しそうな声とは違って、日焼けした小麦色の肌にがっしりした筋肉とそして可愛らしいピンクのエプロンをしていた。
 田舎では出会えなさそうな、恐ろしいほど整った顔立ち。この顔立ちは見たことがある。
 ダビデ像とか美術の教科書に出てきそうな彫りの深い彫刻のような顔だ。
 整った顔立ちの男性は、私を見たあと優しく笑った。
「藍香ちゃん」
 あいかちゃん?
 私を知ってるの?
 驚いていると、その人は自分のエプロンの名札を指さした。
「秦平(じんぺい)って言うんだよ。俺は覚えているよ。その眉毛の横の黒子ですぐに分かった」
 眉の横の黒子? 確かに黒ごまぐらい小さな黒子はあるけれど、私は彼のことを知らない。
「あら、もしかして秦平くん?」
「え、全然分からなかった」
 母が駆けよって、父も驚いてつま先から顔まで見上げている。
 確かに百七十センチちょっとの父が見上げるぐらい大きな彼は、百八十センチはありそうだ。
「じいちゃんの血を受け継いじゃったかな。ほら、瞳の色も若干茶色くて、色素も薄いでしょ」
 彼は自慢げに目を指さしたあとに私の方へ向き直った。
「店番中なんだけど、ちょっと来て」
 藍香ちゃん借りますねって彼が言うと腕を掴まれた。
 強引に腕を掴まれたのに痛くない。
 痛くないけど私の心がピリリと痺れて波打っている。
 隣の家も煉瓦作りで、二階建て。
 一階が窓ガラスの吹き抜けで花の青臭い匂いと甘い匂いが漂っている。
「こっちこっち」
 花が並べられた店の奥の壁に、様々な写真が飾られていた。
「父さんがカメラマンだったんだよ。ほら、これ」
 大きい家族写真の横に、小さな額に入れられた写真は、赤ちゃんを抱っこする小さな男の子と私の母。
 気持ちよさそうに眠っている赤ちゃんの眉には小さな黒子も見えた。
「これ、私?」
「そう。俺が四歳だったかな。俺、妹欲しかったからこんな可愛い赤ちゃん抱っこできてめちゃくちゃ嬉しかったんだよ」
 だから覚えているんだって言う彼の声は、本当に嬉しそうで鈴の音を転がすような優しい笑い声も聞こえてくる。
 横に大きく引き延ばされた写真には、彼と瓜二つの男性と綺麗で妖艶な女性、そして青い目のおじいさんと金髪のお婆さん、そしてお人形のように綺麗な幼少期の彼であろう男の子が映っていた。
「じいちゃんとばあちゃんがイギリス人で、俺はクォーターらしい。あ、でもずっと日本に居るから英語は全くネイティブじゃないからな。大学に入ったときも散々聞かれて迷惑でさ」
 あははって顔に似合わず豪快に笑った後、レジの横にあるテーブルへ歩いて行く。
 一瞬でも目を離すとどこかに走って行きそうな元気な印象の人だ。
 四歳年上って事は、二十歳かな。大学生なんだ。こんな綺麗な顔の人、あの町に居たら赤煉瓦の家より観光スポットになりそう。
 ガサガサとビニールの音が響き渡ると、電話の音がする。
 電話で花束の注文が入ったらしく、作業の手を止めてメモを取り始めた。
 手持ち無沙汰になった私は、挨拶してから家の荷ほどきへ戻るために彼の電話が終わるのを待つ。それまで辺りの写真を見渡すと、家族写真の他に海外の写真も沢山貼ってある。
 知らない場所も多いけど、青い屋根の白い家が並ぶエーゲ海の町並みや意外と大きくないオーストラリアの小さなマーライオンや世界のおへそと言われているエアーズロックの写真は見たことある。
 この写真に写っている端正な顔立ちの人がお父さんかな。ハーレーのいかついバイクに乗っていて、笑顔がこぼれ落ちそう。
 よくよくみれば写真の横に地名がちゃんと書かれていた。
 壁を伝って写真を見ていると、窓辺に並んだ植木鉢と、壁に大きく飾っている木の写真の前で立ち止まった。
『マダガスカル島 バオバブの木』
「え、星の王子さまの木だ」
 並べられた植木鉢は、飾られている写真とは違って頼りなく細い木が植えられている。
 これがあの大きなバオバブの木まで成長するのかな。あの物語は絵本のような語りや導入なのに意外と名台詞が多くて、そしてホップで可愛いイラストが印象的だったな。
 一つだけ白い植木鉢があって、笑った顔が描かれている。可愛い。育ったら髪の毛みたいに見える。
「藍香ちゃん、それ気に入った?」
 いつの間にか電話を終えていた秦平さんが、私の横に並ぶ。
 それと指さされたバオバブの木の植木鉢を見て頷いた。
「すごく色々今日は綺麗な物ばっかり見て、物語を切り取った世界ばかりだったの」
「そうなんだ。可愛いね」
 さらりと気障ったらしいことを言われたが、嫌じゃなかった。
「だから本当に夢じゃないんだよって思う何かが欲しくて、ここが現実だよって思いたくて」
 その植木鉢を持ち上げると、ずしりと重くてよろけた。
 おばあちゃんのお手伝いで精米したお米を運んだときに似ている。
 でも今はこのバオバブの木の重さが、私に現実だよって教えてくれた。
 家から出れなくなって、部屋から出るのも怖くなって、あんなに大好きだった美術部の鞄も押し入れにしまって見ることができなくなった。
 このまま好きな物が嫌いになって、好きな町が怖くなって、私が存在する場所がなくなると思っていたの。
 だからお母さんが、あの町の悪口を言ってくれてあの場所が最高だったわけじゃないと、他にも場所があると教えてくれたのは、唯一の救い。
 ちょうど星の王子さまみたい。
 別の星も沢山存在するんだよって、私を運んでくれた。
「ここに来れて嬉しいって思った。ここは、キラキラして輝いていて、とても素敵です」
 苦しい記憶や思い出は現実で、夢にはならない。目を反らすことはできても、忘れることはできない。
 それでも両親が私のために、違う世界があるんだよってここに連れてきてくれて、そして私はその世界に存在できている。
 ここに立っている。
「うん。俺は今日、藍香ちゃんに会えるのが楽しみでさ、ピンポイントでその笑顔の植木鉢のバオバブは藍香ちゃんに用意していたんだ」
「そうなの?」
 驚いた私の反応に、秦平さんは満足そうに頷く。
「で、もう十六年ぐらい会ってなかったから、名前の藍香ってだけでイメージして作っちゃった。ようこそ、俺の住む町へ」
 青を基調にして作られた花束。
 目の前に差し出されたけれど、植木鉢を両手で持っていたので受け取れず、右往左往してしまう。
「藍香ちゃんは、藍香ちゃんのペースでいいし、そのままでも可愛い」
 植木鉢を置くように言われ、代わりに花束を受け取った。
 この青い花の名前を知らないし、一緒に入っている白い花や、ましてや花言葉も知らない。
 それでも嬉しいって気持ちは溢れてくる。
「ありがとうございます、秦平さん」
「うーん。なんかちょっと距離感じるよな。秦平くんか呼び捨てでいいよ」
 植木鉢を抱えた彼が、店のドアをあけてくれって言うので開ける。
 家まで何歩で着くか確認しようって彼は子どもっぽいことを言うので、一緒に一歩踏み出した。 
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