目を閉じたら、別れてください。

篠原愛紀

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無口で寡黙で真面目な彼はどこですか。

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『進歩さん、立ち食い焼肉行きませんか!』
『進歩さん、次の日曜は時間ありますか』

 積極的に私の方が彼を連れまわしていた。
 お見合いの席で、知的で物静かで寡黙な彼を見た瞬間から絶対に離すものかと常に連絡して彼を振り回していたと思う。

 時々、彼は文句を言わずに付き合ってくれるけど本心はどうなんだろうと不安になった。
 けれど聞くと、『桃花が楽しいところが、俺も楽しいところなので』と控えめだった。

『今度は、進歩さんの行きたいところに行きませんか?』
『俺の行きたいところ……かあ。一本道なんですが工事中でちょっと危ないんですよね』
『山の上とかですか?』

 彼は静かに微笑んで、秘密ですよと教えてくれた。
 丘の上の、今度高層マンションが建つ予定の場所。
 そこからこの町を見ると、100億ドルの夜景という言葉がぴったりだという。

『昔、そこに祖父の家があったんです。そこから花火大会を見たり、夜景を見るのが好きでして』
『行ってみたいです!』

 彼があまりに柔らかくしゃべるので、どうしても見たくなった。

 工事中で危ないし、と断られたのだけど、彼が私の頼みを断らないのを知っていて、食い下がった。

 少し困りつつも、誰かに電話をして許可を貰ってその丘に向っていく時だった。
 寒いかもしれないから、と飲むものを買いにコンビニに入った彼。

 私は鏡を持って、化粧が崩れていないかチェックしている時だ。

 後ろからトラックがコンビニに入ってくるのが見え、隣に止めるのかなっぐらいしか気にしていなかった。

 段々と近づくトラックの異変に気付くのとぶつかるのはほぼ同時だった。
 助手席に乗っていて助かった。後部座席だった場合即死だったと警察やお医者さんが言っていたから。

 私はシートベルトをしていたおかげで車から飛び出ることはなかったものの、後ろの後部座席と前の座席に挟まってその時に、持っていた鏡が割れてお腹に少しだけ傷をつけた。誰にも塞げようのない、彼が一ミリも悪くない事故だった。
 私が我儘を言って遅くまで連れまわしたのが原因でもある。
 だから私は、彼への態度は変えなかった。私が悪かったから気にしないでと、何度も言った。

けれど、エッチ中の傷への愛撫が増えた。
キスをしたり、指で撫でたり、舌を這わせたり。

 淡白な彼が傷にだけ異様に愛撫するのも違和感があったし、私は容姿も体系も平凡で魅力的な部分はないので、極力はやく行為を終わらせたかった。
 なので、傷を触る分、身体を見られているって思うとどうしても苦痛だった。

 自分に自信がなかったのが一番の原因だったのかもしれない。

『黙っていたけど、私のお腹の傷――なの』

 嘘を告げて逃げたあの夜。
 転げ落ちた指輪のように音もなく私は終わりたかった。消えて、何もなかったように振舞いたかっただけ。

 二度と会わなくてもいいと思っていたのに、どうして彼が私の元へやってくるのか不思議でしょうがなかった。





 18時過ぎになり、お部屋を見に行った学生さんが帰ってくればあとは19時には帰れるだけになっていた。事務所は狭いのに従業員は結構多いので残業の負担がないのはちょっと助かる。

 本社に居た時は、19時になってもお部屋訪問から帰ってこない社員とか多くて戸締りの係がいつまでも帰れないとか書類をまとめられないとかあった。

「焼き鳥屋さん、今日は砂ずり半額って言っていました」
「絶対食べる」
「あそこのつくねも最高ですよねえ。軟骨がこりこりしてて」
「絶対食べる」
「清潔感あるオーナーもやばいですよね。あの人35歳だって」
「え、若い」

 いつも肉にしか視線を落としていなかったからオーナーの顔なんてまじまじ見ていなかった。ただあそこは美味しいし地元の人がよく来るので仲良くなれるし、けっこう好きなんだよね。

 泰城ちゃんも可愛い顔して生ビールで一緒に食べてくれるから遠慮しなくてすむし。

「おおっと最後のお客さん帰ってきたかな」

 事務所の前で車が止まったので、『焼き鳥―』と言いながら泰城ちゃんが車を迎えに行く。
が、すぐに踵を返してこちらに戻ってきた。

「やばい。センパイ、元カレが来ましたよ!」
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