淫獣の育て方 〜皇帝陛下は人目を憚らない〜

一 千之助

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 逃げるオルフェウス 2

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「くっそ、空振りかっ! あの野郎、いったいどこへ行きやがったっ!!」

 凄まじい勢いで邸に殴り込み、騎士団の強面と共に現れた皇帝陛下。それに度肝を抜かれた侯爵は事の経緯を聞き、全力で首を横に振った。

『滅相もないっ! オルフェウスは戻っておりませぬ。オルフェウスがどうしました? ちょっ! 待ってくださいっ、説明を……っ! あんた、息子に何したんだぁぁーっ!!』

 だぁー、だぁーっ、と真っ赤な顔で怒りまくる侯爵を振り切り、アンドリューは馬を走らせた。そして己の左手にある腕輪に魔力を流す。

 これは束縛の腕輪。オルフェウスに着けた腕輪と対になっており、魔力を流すことで相手の腕輪から魔力の鎖が伸び広がり捕縛するのだ。
 ……が、腕輪には何の反応もない。指輪にも。
 この指輪も魔術具で、対の指輪の軌跡を示すモノ。なのに、一切反応してくれない。

 ……あいつ。魔術具の正体に気づいたのか? あれだけ、絶対に外すなと言っておいたのにっ!!

 次々と発覚するオルフェウスの裏切り。自分から逃げないと言っていたくせに逃げ、贈ったアクセサリーを、外さないと笑って受け取ったくせに外し、今また行方を晦ましてしまった。

 そのアクセサリーがどんなものなのか、本人に知らせていないことは棚上げする皇帝陛下。これが、この男の通常運行。執着も極まれリ。
 
 ……舐めんなよ。こちとら、出会った瞬間からお前に溺れきっているんだからな。

 アンドリューの魔力が波打ち、波紋のように広がっていく。

 これが最愛に飢えたケダモノの本領。酒に溺れる者がソレの気配を敏感に察するように。麻薬に魅入られた者が、ソレを求めて彷徨うように。
 オルフェウスに溺れ、飢えたアンドリューの心と魔力は、容易く最愛の居場所を嗅ぎつける。
 
「見つけた、南だ、行くぞっ!!」

 恐るべき野生の本能。

 以前もこれで、アンドリューは侯爵領地に隠れていたオルフェウスを見つけたのだ。



 ……逃がすかよ。もう手加減はしねぇ。愛だの恋だのと夢見てたら、あいつを失う。……くっそ、大切にしたかったのに、結局はこうなるのか。

 一路、南を目指すオルフェウスを追いかけ、アンドリューと騎士団は闇の中に溶けていった。



『…………………』

「……よう?」

 ほてほて歩いていたオルフェウスは、突然響いた馬の嘶きに眼を見張って振り返る。そして、みるみる肉迫してくる騎馬の一団の先頭にアンドリューを見つけ、狼は反射的に逃げ出した。

 ……なんで。ここにっ?!

 身体は狼でもオルフェウス自身の体力は知れている。文系優男。ここまでの疲労も重なり、逃げ出した狼はすぐに脚をもつれさせて転倒した。それを騎士団の騎馬が容易く囲い込む。
 疲労困憊で横たわるオルフェウスの視界で、重厚なブーツがじゃりっと音をたてた。

「……逃げるとか。なあ? ……くそっ! ……狼の姿でもそそるな、お前。その身体が気に入ったのか? 俺に侍るぐらいなら、狼で生きていた方が良いとでも? 答えろっ!!」
 
 ぐっと狼の頭を鷲掴んで上向かせ、アンドリューは腰につけていた首輪をオルフェウスの首に巻き付けた。
 途端に霧散する白銀の体毛と空気に溶けるよう失せた毛皮。その下から現れたオルフェウスを見て、騎士団の面々が驚愕に顔を強張らせる。

「全員、後ろを向けっ!! 見るんじゃねえっ!!」

 はっと我に返り、凝視していた騎士達は、オルフェウスが全裸なことに気づき、慌てて身体を反転させた。

「……狼でいたいのか? それほど俺から逃げたいのか? なあ? 答えろよ」

 切なげなアンドリューの問いにオルフェウスは答えられない。なんと答えたら良いか分からない。
 陛下から逃げたかった。それは確かだ。しかし、嫌っているとかではなく、全く逆で、好きだから辛い目に合わされるのが苦しい。陛下に寄り添う他の誰かの影に怯えたくない。それくらいなら、いっそ離れてしまいたい。そういった複雑な心情。
 それをオルフェウスは、上手く言葉に出来なかった。何を言っても墓穴を掘りそうで怖かった。

 ……好きですと言ってみようか? 受け入れてもらえるかしら? ああ…… 信じてなんてもらえないよね。こうして逃げてしまったわけだし。

 頭の中は言いたいことで一杯なのに、それがグルグル巡り、無言のオルフェウス。
 そんなオルフェウスに焦れ、アンドリューは首輪を指で引っ掛けると、俯いていた最愛を上向かせた。
 驚愕と困惑が入り交じる紅い瞳。

「まあ、どうだって良いやな。お前が俺をどんだけ嫌おうと憎もうと、離してなんかやらねぇっ! 狼でいたいなら好きにしろっ! 好都合だ、新しい首輪を造って部屋に繋いでやるよ。……前みたいにな」

 そう言うと、皇帝はオルフェウスの首から首輪を外した。びゅっとよくしなる革が跳ね、外れた途端、再びオルフェウスの姿が狼に戻る。

 ……え? なに?

 わけが分からないまま呆然とする狼を、あらかじめ用意していた馬車に閉じ込めるよう指示するアンドリュー。そんな彼に騎士の一人が尋ねた。

「陛下、あの狼がオルフェウス様だというのは理解しましたが、いったい? どうやって人間になったり、狼になったりしておられるのですか?」

「狼なのは呪いだ。この馬鹿たれは、俺から逃げようとして、また自ら呪いでもかけたんだろう」

 だが、それも想定済み。

 アンドリューは、にやりと獰猛な笑みを浮かべる。



『呪いを解く魔術具?』

『そう。こんな面倒は二度と御免だからな。万一、またオルフェウスに呪いがかけられた場合、それを解ける魔術具が欲しい』

 オルフェウスの呪いを解いた日。

 久方ぶりな邂逅に抱き合って涙する侯爵親子。それを余所に、皇帝陛下は魔女へ囁いた。
 何も今回ばかりではない。皇帝の妃になるのだ。オルフェウスを害しようとする者はいくらでも出てくるだろう。
 アンドリュー自身は魔力も群を抜いて高く、身体も強靭。ちょっとやそっとで害されはしないが、か弱いオルフェウスは別だ。
 全力で守るつもりはあるものの、間の悪いことや想定外だって起き得る。今回のように。
 何某か起きた時に対処出来るよう、アンドリューは解呪の魔術具が欲しいと思ったのだ。

 しばし考え込む素振りを見せ、魔女は蠱惑的な笑みを浮かべる。

『良くてよ? 陛下の精を頂けるなら造るわ』

『いっ?!』

 皇帝の精など、簡単に渡せるわけがない。それを仕込んで人為的に子供を作ることも可能だ。

『精が一番魔力を含んでいるのよ。……分かるでしょ? それを使えば、陛下より魔力の低い者の呪いを無効化することは出来るわ。そういう道具もね』

 ああ、とばかりに、アンドリューはオルフェウスとの閨を思い出した。自分の精を注がれたオルフェウスの呪いは解け、最愛を思う存分味わえた至福の日々。

 精は鮮度が一番だと言われたアンドリューは、翌日、オルフェウスを夢想しながら、魔女の手で果てるという屈辱を受け入れた。

 それもこれも愛しい婚約者を守るため。

 簡単に経緯を話し、この首輪はオルフェウスを呪いから守るための物だとアンドリューは説明した。

「なるほど、そういうことでしたか」

 得心顔な騎士。その後ろで顔面蒼白なのは、アンドリューの護衛騎士三人衆。

 ……誤解? 我々の想像するようなモノではなかった? ……にしたって、首輪にする必要はなくないですか? 紛らわしいっ! 首飾りとか、御守りとか、何でもあったでしょうにっ!!

 わちゃわちゃする騎士達は知らない。首輪なのは、魔女の趣味だ。絶対に外せない。無理やり外そうとしたら命にかかわる場所。
 そうアンドリューに嘯き、道具を首輪型にしたのである。まあ、アンドリュー自身も気に入っているので無問題。

「……無駄になっちまったみたいだがな。まさか、狼になってまで俺から逃げ出そうとするとは」

 ふ……っと悲しげに眉を寄せ、皇帝陛下は首輪を森の中に投げ捨てた。
 大きく弧を描いて飛んでいく首輪を呆然と見送り、護衛騎士ら同様、話を聞いていたオルフェウスも、ようよう自分の誤解に気がつく。
 
 ……守るための首輪? ……あああ、僕はなんて馬鹿な勘違いをっ!!

 キャンキャン鳴き喚き、暴れる狼。

 それに憐憫を抱きつつも、騎士らは馬車にオルフェウスを閉じ込めた。その馬車の窓を覗き込み、アンドリューが不敵に嗤う。

「逃さないから。もう容赦はしねぇ。お前を側に置けるなら狼でもかまわん。……たっぷりと愛してやるよ」

 恍惚とした眼差しで囁やき、皇帝は獲物を連れて王宮へと帰還する。

 ……違うんですっ! 陛下っ! 話を……っ! 僕の気持ちを話させてくださいっ!!

 しかし狼になってしまったオルフェウスは言葉を持たない。

 キャワワン、キャンキャンと、狼らしくない可愛らしい声が響くなか、深い同情をオルフェウスに寄せる騎士団。
 しかし、その声を耳にして、股間の疼きが止まらないのがアンドリューという生き物である。

 ……きゃん、きゃんって。狼だろうがよっ! そんな可愛く鳴くんじゃねえよっ!! あーっ! もーっ! 帰ったら佳がり声に変えてやるからなっ! 覚悟しろおぉぉーっ!!

 長く禁欲していたせいで、すでに箍の外れまくっている皇帝陛下。

 ……大切にしたかったのによぉ。馬鹿野郎が。

 アンドリューはオルフェウスを大切にしたかった。最初が酷い凌辱から始まった関係だ。肉体的にはリセットされているものの、その精神まで深々と貪ってしまった自覚があるアンドリュー。
 ゆえに冷却期間を置き、また最初から手解きしようと考えていた。優しく、甘く。残忍だった調教を上書きし、愛される至福に酔わせてやりたかった。

 ……なのに。……畜生っ!!

 婚儀を終え、あらためて初夜から関係を結び直したいと考えていた陛下の夢は破れ、事態は元の木阿弥へと戻ってしまう。

 真実を知らぬ陛下と、真実を知ってしまったオルフェウス。

 拗れきった恋物語は、まだ終わる気配をみせない。
 
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