聖女狂詩曲 〜獣は野に還る〜

一 千之助

文字の大きさ
上 下
12 / 16

 外を知る王女 3

しおりを挟む

「そ…… それは一体……?」

「? 言葉通りだ。あんな女の住む領地など涸れてしまえばよい」

 ぞわ…っと周りの人々の肌が粟立つ。

 淡々とした涼やかな声。なのに、ソレのまとう冴えた響きが、なんとも言えぬ恐怖を彼らに与えた。
 悪意も何もない。ただ、心からそう願っているというだけの純粋な望み。全く感情を窺えない無機質な言葉。
 酷いことや冷たいことを心無いとか表現することがあるが、そういった言動や行為には悪意や害意といったモノが存在する。そんな悪辣な感情も、ある意味、心だ。心情だ。心ないとは言い難い。

 しかし今のデザアトの無機質な台詞は、まさに心ないとしか表現の仕様がなかった。比喩でなく。

 本当に心底そのようにあれと願う彼女の瞳には何の感情も見えない。まるで壁か鏡にでも話しかけているかのような無力感が人々を襲う。
 何を言っても無駄だという確信。言葉をかける気も失せる彼女の無関心。

 ……我々は、本当にここに存在しているのか?

 思わず、そう疑ってしまいたくなるくらい、王女殿下は自然体で周りを黙殺していた。
 
 だからといって、このまま聖女様の不興を放置するわけにはいかないと、リーガルは平伏すように謝罪を続ける。

「我が妹の犯した過ちは許されるモノではありません。……が、民に罪はないのです。我が家はどのような罰でも受けますゆえ、民を苦しめることだけは御容赦を……っ!」

 最悪、家が取り潰されても仕方ない。それだけのことをリーガルの妹はやらかしてしまった。しかし、領民に罪はないのだ。せめて無辜の民らにだけでも情をかけてもらえまいか。
 真摯なリーガルの訴えに、周りの貴族は己の領地を顧みた。
 誰もが気持ちは同じである。ここにはデザアトを害した他の侍女らの家族もいた。聖女となった王女殿下は、今や国の命運を握るも同然。
 この方が聖女でさえなくば、もう少し何とかなったものをと、考えてもどうにもならない愚考が脳裏を過る。

 そして、そんなことはお見通しなバルバロッサ。

 ……侍女らのやらかしを、やらかしとしか思っていないのでしょうねぇ。まあ、王子達が許していた背景もありますし? そのように考えるのも仕方ないことですが。

 仕えるべき王家の血族に行われた虐待。しかも聖女の子供にだ。本来なら、王子達の横暴を咎め、諫めなくてはならないはずなのに、そこで甘い汁を吸おうと目論んだ者らが何を言うか。
 公費が充てられていた時点で、国王がデザアトを害する気持ちがないことは表明されていた。
 幼い王子達には分からなくとも、周りの重鎮らはそれを理解していたはずだ。
 なのに、彼等は何もしなかった。彼らとて思うところは王子達と同じだったのだろう。

 ……デザアト様は、前聖女様を死に至らしめた忌み子だと。虐げ、貶め、地下深くで朽ち果てるべき人間だと、勝手な妄想と八つ当たりで、それを実行したのだ。

 そんな人間達が、如何に頭を下げたところで意味はない。むしろデザアト様は何の関心もない。心の底からどうでも良く、こうして誰かが口にでもしない限り、思い出しもしない。
 逆にバルバロッサやスチュワードの方が憤っているくらいだ。あまりに無関心な王女殿下に。



『長い期間、貴女様を害した者らです。極刑でも生温いと私は思いますがね』

 王子達の温い対応に、苦虫を噛み潰しまくるバルバロッサ。

『左様ですな。また王宮で顔を合わせようものなら、私が直々に手足を落として進ぜましょう』

 殺意マシマシで獰猛に口角を捲り上げるスチュワード。

 そんな二人を不思議そうに見上げ、デザアトは呟いた。

『なんだっけ? それ。あの女達がどうかしたのか?』

 話題に上がるまで忘れていたと宣う王女殿下。あれだけの虐待を受けながら、本気で思い出しもしなかったらしい彼女の風情に、二人は信じられない面持ちで瞠目する。
 完全に忘れ去られた侍女達。この離宮に移ったことで、王宮の地下での暮らしはデザアトの中で消去されていた。
 それを心にとめておく情緒や心情が彼女には育っていなかったのだ。だから思い返しもしないし、悩みも恨みもしない。

 ……ならば、我々が。我々がずっと覚えておきましょう。そして、どのようにしたら奴らにダメージを食らわせられるか、貴女にお教えいたします。

 勝手な感傷だ。彼女には全く関係のない身勝手な共感。それでも二人は許せなかった。侍女らの虐待はもちろん、それを増長させた王子達を。

 そこからバルバロッサは意図してデザアトに世界の成り立ちを教えていく。どうすれば領地が打撃を受けるか。それが、どれだけ王侯貴族にとって痛恨の一撃となるか。
 そして、それをする資格がデザアトにはあると。
 祝福など施す必要はない。むしろ忘れ去り、何もしないのが当たり前なのだと、素直な彼女に毒を染み渡らせた。
 聖女の祝福に左右されるこの世界で、それがどれだけ残酷なことなのか知っていながら。

 ……ああ、私は地獄に堕ちるな。こんな無垢な彼女に、悪逆非道な行いをさせようとして。……貴女の罪は全て私が背負います。申しわけありません、デザアト様。

 そう自虐しつつも、国を滅ぼしかねない悪辣なことを吹き込むバルバロッサ。

 彼は己の逆鱗を奮わせた初対面の日から、デザアトに傾倒していた。
 窶れて痩せ細った姿でありながら、ギラギラと生気に満ちた彼女の瞳。攻撃的で容赦のないその瞳の奥底にゆれる冷酷な焰。
 その美しいまでな残酷さに、バルバロッサは魅入られたのだ。僅か十五歳の少女に彼は跪きたくて堪らない。
 氏より育ちと人は言う。生まれより環境が大切なのだと。
 しかし、生まれ持った魂の輝きこそが、その人の本質だとバルバロッサは思う。
 如何に虐げようと、如何に穢そうとも揺るがない人間性。それがデザアトにはあった。
 悲惨な境遇でありながら、己を失わず、侍女らに下剋上を果たした少女。自ら周りを学び取り、自身を育ててきた少女。
 壊されもせずに飄々と佇んでいた彼女を見て、バルバロッサは身震いするほどの歓喜に見舞われた。
 これほど教育しがいのある生徒がおろうか。デザアト本人は気づいていないようだが、彼女の本質は学びに貪欲で好奇心の塊。

 これは化けるとバルバロッサは思った。

 そしてバルバロッサの予想通り、デザアトは見事な淑女に変貌する。完璧な外面を操り、人々を魅了する王女殿下に。
 
 この半年に亘る集大成。それが、今、眼の前で展開していた。

 虫けらどころが、まるで空気でもあるかのように貴族達を扱うデザアト。一種独特な高貴さに押され、そのデザアトを見つめるしか出来ない貴族達。
 残酷なまでに周りに無関心な彼女が、バルバロッサを見上げて微笑んだ。

「バル。御茶」

「はい、殿下……」

 彼女にとって特別なのは、バルバロッサとスチュワードのみ。
 その現実に震えるほどの愉悦を覚え、バルバロッサも蕩けるような笑みを浮かべる。

 ……ああ、私は、やはり地獄に堕ちるな。こんな気持ちを王女殿下に抱くなんて。

 彼女と深くかかわり、恥じらいもない獣のようなデザアトの無条件な好意に触れ、バルバロッサはいつの頃からか胸を高鳴らせるようになった。
 この笑顔を増やせるなら何でもやる。何でもしたい。彼女の人生に寄り添い、もっともっと幸せにしてさしあげたい。

 ……だから。私は許しません。貴女を苦しめた者達を。たとえこれが、国を傾がせる原因になろうとも。

 ギラリと昏い光を目に浮かべ、バルバロッサはデザアトに御茶を差し出しながら貴族らを冷たく見据えた。

 こうして冷ややかな冷水を浴びまくる貴族達の御茶会は、淡々と厳かに続けられていった。
  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

(改訂版)帝国の王子は無能だからと追放されたので僕はチートスキル【建築】で勝手に最強の国を作る!

黒猫
ファンタジー
帝国の第二王子として生まれたノルは15才を迎えた時、この世界では必ず『ギフト授与式』を教会で受けなくてはいけない。 ギフトは神からの祝福で様々な能力を与えてくれる。 観衆や皇帝の父、母、兄が見守る中… ノルは祝福を受けるのだが…手にしたのはハズレと言われているギフト…【建築】だった。 それを見た皇帝は激怒してノルを国外追放処分してしまう。 帝国から南西の最果ての森林地帯をノルは仲間と共に開拓していく… さぁ〜て今日も一日、街作りの始まりだ!!

はずれスキル念動力(ただしレベルMAX)で無双する~手をかざすだけです。詠唱とか必殺技とかいりません。念じるだけで倒せます~

さとう
ファンタジー
10歳になると、誰もがもらえるスキル。 キネーシス公爵家の長男、エルクがもらったスキルは『念動力』……ちょっとした物を引き寄せるだけの、はずれスキルだった。 弟のロシュオは『剣聖』、妹のサリッサは『魔聖』とレアなスキルをもらい、エルクの居場所は失われてしまう。そんなある日、後継者を決めるため、ロシュオと決闘をすることになったエルク。だが……その決闘は、エルクを除いた公爵家が仕組んだ『処刑』だった。 偶然の『事故』により、エルクは生死の境をさまよう。死にかけたエルクの魂が向かったのは『生と死の狭間』という不思議な空間で、そこにいた『神様』の気まぐれにより、エルクは自分を鍛えなおすことに。 二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。 現世に戻ったエルクは、十六歳になって目を覚ました。 はずれスキル『念動力』……ただしレベルMAXの力で無双する!!

【完結】それはダメなやつと笑われましたが、どうやら最高級だったみたいです。

まりぃべる
ファンタジー
「あなたの石、屑石じゃないの!?魔力、入ってらっしゃるの?」 ええよく言われますわ…。 でもこんな見た目でも、よく働いてくれるのですわよ。 この国では、13歳になると学校へ入学する。 そして1年生は聖なる山へ登り、石場で自分にだけ煌めいたように見える石を一つ選ぶ。その石に魔力を使ってもらって生活に役立てるのだ。 ☆この国での世界観です。

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

聖女の紋章 転生?少女は女神の加護と前世の知識で無双する わたしは聖女ではありません。公爵令嬢です!

幸之丞
ファンタジー
2023/11/22~11/23  女性向けホットランキング1位 2023/11/24 10:00 ファンタジーランキング1位  ありがとうございます。 「うわ~ 私を捨てないでー!」 声を出して私を捨てようとする父さんに叫ぼうとしました・・・ でも私は意識がはっきりしているけれど、体はまだ、生れて1週間くらいしか経っていないので 「ばぶ ばぶうう ばぶ だああ」 くらいにしか聞こえていないのね? と思っていたけど ササッと 捨てられてしまいました~ 誰か拾って~ 私は、陽菜。数ヶ月前まで、日本で女子高生をしていました。 将来の為に良い大学に入学しようと塾にいっています。 塾の帰り道、車の事故に巻き込まれて、気づいてみたら何故か新しいお母さんのお腹の中。隣には姉妹もいる。そう双子なの。 私達が生まれたその後、私は魔力が少ないから、伯爵の娘として恥ずかしいとかで、捨てられた・・・  ↑ここ冒頭 けれども、公爵家に拾われた。ああ 良かった・・・ そしてこれから私は捨てられないように、前世の記憶を使って知識チートで家族のため、公爵領にする人のために領地を豊かにします。 「この子ちょっとおかしいこと言ってるぞ」 と言われても、必殺 「女神様のお告げです。昨夜夢にでてきました」で大丈夫。 だって私には、愛と豊穣の女神様に愛されている証、聖女の紋章があるのです。 この物語は、魔法と剣の世界で主人公のエルーシアは魔法チートと知識チートで領地を豊かにするためにスライムや古竜と仲良くなって、お力をちょっと借りたりもします。 果たして、エルーシアは捨てられた本当の理由を知ることが出来るのか? さあ! 物語が始まります。

遺棄令嬢いけしゃあしゃあと幸せになる☆婚約破棄されたけど私は悪くないので侯爵さまに嫁ぎます!

天田れおぽん
ファンタジー
婚約破棄されましたが私は悪くないので反省しません。いけしゃあしゃあと侯爵家に嫁いで幸せになっちゃいます。  魔法省に勤めるトレーシー・ダウジャン伯爵令嬢は、婿養子の父と義母、義妹と暮らしていたが婚約者を義妹に取られた上に家から追い出されてしまう。  でも優秀な彼女は王城に住み、個性的な人たちに囲まれて楽しく仕事に取り組む。  一方、ダウジャン伯爵家にはトレーシーの親戚が乗り込み、父たち家族は追い出されてしまう。  トレーシーは先輩であるアルバス・メイデン侯爵令息と王族から依頼された仕事をしながら仲を深める。  互いの気持ちに気付いた二人は、幸せを手に入れていく。 。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.。oOo。.:♥:.  他サイトにも連載中 2023/09/06 少し修正したバージョンと入れ替えながら更新を再開します。  よろしくお願いいたします。m(_ _)m

処理中です...