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外を知る王女
しおりを挟む「バルバロッサ、これは?」
「花ですね。今の季節には咲かない花ですが…… サイネリアと申します」
「あちらは?」
「ベラドンナですね。あれは毒があります。触れないでください」
離宮の周囲を埋め尽くすように乱れ咲く花々。
それを愛でつつ、ゆったりと散策するデザアトは、見るモノ全てが珍しくて仕方がない。
飛び立つ小鳥に驚き、木の陰から顔を出す兎に眼を見張り、少しずつ増えていく感情の欠片。
ピクニックを兼ねた散策で、スチュワードが大きな籠を持って二人の後をついてくる。
「そろそろ疲れたのではありませんか?」
王女の足取りが重くなったのを見て、バルバロッサが持っていた敷布を木陰に広げた。そこに彼は座り、おいでおいでとデザアトを手招きする。
それに素直に応じて、のこのこ敷布に上がる少女。
……これが疲れ。なんか怠くなるけど、心地好いな。
この身体が重くなる現象が疲れというものだと、実地で学んでいくデザアト。それに伴い、精神的な疲れも理解する。
「良い天気です。ほら、雲もまばらで明るい。風もなく、暖かな日ですね」
事象一つ一つを噛み砕くような言葉で説明するバルバロッサ。それを素直に吸収し、感覚的なモノも覚えていく王女殿下。
……良い天気。これが。うん、気持ち良い日だ。
「私は悪い天気も嫌いではないですよ? 雨や風は大地を育てるのに必須ですから。染み入る水や、木々を渡る風は、とても大切なものなのです」
……悪い天気。雨や風? そうか。見てみたいな。
スチュワードの運んできた籠から果実水を取り出して器に注ぐと、バルバロッサはデザアトに渡す。
「林檎の汁。果汁と言いますが、それを水に浸して染み出させたモノが果実水です。絞った果汁で割るモノもあります。どうぞ?」
差し出された果実水を受け取り、それを飲みながら、ほう……っと彼女は溜め息をついた。
美味しい食事に穏やかな日々。心の底から安堵出来る大切な暮らし。
だが、ふとした時に過る悪夢。
地下で受けた理不尽な扱いが虐待であったのだと、今のデザアトは理解していた。それを行ったであろう家族に対して、ふつふつとした怒りを彼女は覚える。
それが怒りなどと知りもせずに。
時折、バルバロッサが兄王子達と対峙し、身を震わせて怒鳴る様を見て、これが怒りなのだと漠然と感じている程度。
スチュワードやバルバロッサの慈愛と献身により、彼女は少しずつ感情を覚えていく。その表し方も、自然体な彼らが教えてくれた。
小さな経験を積み重ね、己を取り戻していくデザアト。
未だに表情は固いものの、僅かずつ増える彼女の笑顔に、家庭教師と護衛は感無量で日々を過ごしていた。
それに比例して大きく深くなっていく王宮庭片隅の森。離宮を完全に覆い、今では樹海のように鬱蒼と萌え茂っている。
「……あれを、どうせよと」
ガイロックが窓から見える深い森を見て忌々しげに呟いた。
「どうにも出来ないぜ? 試しに外側だけ刈ってみたが、翌日、倍に増えてやがったし」
うんざりした顔で天井を仰ぐスフィス。
「……祝福なのですよね。……それにしては ………」
物憂げに窓から離宮があるはずの森を見つめるエーデル。
あれではまるで、外界を遮断する呪いのようだと、デザアトの兄三人は思った。しかし、どうにもならない。バルバロッサを信じて、王女がケダモノから脱皮するのを待つしかないのだ。
そんな不遜な思惑を胸に抱きつつ、無為に何ヶ月か過ぎた頃。さすがに痺れを切らしたガイロックが音信不通な離宮に手紙をしたためた。
「もう半年にもなる。そろそろ社交に顔を出しても良い頃だろう。至急文を送れ」
王太子の指示でデザアトの元にお茶会の招待が届く。
それに満面の黒い笑顔を浮かべたバルバロッサは、重厚な封筒を指先でもて遊び、鼻歌まじりにデザアトの部屋を訪れた。
「とうとう来ましたよ? ふふ、初陣です、王女殿下♪」
さも愉しそうな家庭教師に頷き、デザアトも蠱惑的な笑みを浮かべる。すっかり様変わりした王女殿下の演技でない笑みは、酷く残酷で淡い。
……ああ、貴女の本質は変わらないな。切れる程に残忍で美しい。
バルバロッサは、優秀な生徒の姿に眼を細める。
その根底のケダモノは変わらず、処世術のみを身に着けた王女殿下。今では営業スマイルも思いのまま操れる。腹芸も覚えた。
しかしバルバロッサとスチュワードの前でだけ素の彼女は、その根底に潜むケダモノを隠さない。
知識が増えても、感情を学んで覚えても、デザアトの中に培われた獣は消えなかった。むしろ知性や教養に磨かれ、その獣は優美で鋭利な牙や爪を研ぎ澄ましていく。
非常にアンバランスだった過去のデザアト。
そのアンバランスさこそが彼女の魅力でもあったのだと、今のバルバロッサは痛感する。
淑女然とする王女の姿になっても、彼女の醸す自然な冷気。これに王族特有の高貴さや実力に裏付けられた自信が加わり、デザアトを内側から輝かせた。
一種独特な近寄りがたい孤高さ。
にっと悪い笑みをはき、バルバロッサとスチュワードは視線を交わす。この艶やかに変貌したデザアトを、彼らはあえて隠してきたのだ。
ろくすっぽ報告もせず、何度も訪れる王子たちの使者を追い返しながら。
二人の忠誠は、もはや王家に無い。
ここまで見事な王族に育つはずだったデザアトを虐げ、劣悪な環境に置いていた愚かな王家。彼女の人格を歪めた元凶。
誰が、そんなモノを敬えようか。
うっそりと嗤う二人は邪気を隠しもせず、お茶会に向けて準備を始めた。
「公費は十分充てられておりますしね。とびっきりなお衣装をこしらえます。ふふ、私の描いたデザインが活きますね」
パラパラとスケッチブックをめくり、バルバロッサは嬉しそうに色をのせていく。そこには多くのドレスや装飾品が描かれ、今のデザアトに合わせ、バルバロッサはデザイン画の細部を整えた。
しゃっと滑る筆を驚嘆の面持ちで見つめ、スチュワードは溜め息をつく。
「貴殿、多才であるな。よく描けておるでないか」
「スケッチは採取の基本ですので。特徴を見落とすと生死にかかわる場合があります。観察は大事なのですよ」
薬草と毒草にはよく似た姿な物も多い。それを見分ける観察眼と描ける技量は知識を蓄える者に必須技能だ。
それでなくとも、あらゆるモノをスケッチし、保管するのは学者の本能。中には誰も知らない新種が紛れている可能性もある。そういった新たな発見を逃さないよう、見聞きした物を記録できるメモやスケッチは大切な資料だった。
……嗜みだったはずの絵心が、思わぬところで役立ちますね。どんな御令嬢にも負けない装いをさせてみせます。
真剣にスケブと向き合い、バルバロッサは描かれた繊細なドレスに色づけする。
それを背後から覗き込みつつ、デザアトが物申した。
「色は藍が良い。宵闇みたく、深い藍色」
「…………は?」
ドレスの絵に紫をのせようとしていたバルバロッサが、信じられないモノを見る眼差しで彼女を振り返る。あまりの驚嘆に大きく揺れる彼の瞳。
それはデザアトの言う、宵闇そのものな色の瞳だった。
「好きな色なんだ。それが良い」
唖然とする家庭教師と護衛騎士。こうして、前代未聞の御茶会が始まる。
後に伝説となる阿鼻叫喚なお茶会。
デザアトの本質も知らず、ただひたすらヤキモキしているだけの王子達は、初めて聖女の本領を目の当たりにする。
慈愛に満ちて愛してくれた母親とは違う、聖女の裏側。幸せでなかった聖女が施す呪いを、今の彼等は知らない。
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