上 下
7 / 16

 解放された王女

しおりを挟む

「あれか?」

 遠目に見える小さな離宮。王宮と比べたら極小なそれは、王宮の森で狩りをしたりした時に休憩などをするためのモノだ。
 親しい人間を招いたり、ちょっとしたパーティーも開ける慎ましい佇まいに、バルバロッサは好感を持つ。
 
「そうです。今日から王女殿下の住まいになります」

「これが部屋なのか? 大きいな」

「いえ…… 部屋でなく宮といいます。中に幾つもの部屋があり、用途別で造られています。王女殿下の部屋は寝室と書斎、応接室の三つに分かれていますね。御不浄と浴室や衣装部屋もございます」

「……? 分からん」

 真顔で首を傾げるデザアト。それに微笑み、二人は離宮へと向かった。そんな家庭教師と護衛騎士の背中を刺すように見守る三対の双眸。



「アレが…… 妹か?」

「みたいだな…… 酷い状態だからと面会は控えていたが。やはり挨拶ぐらいはしておくべきか?」

「どうでしょう? バルバロッサが言うには、人見知りはないようでしたが…… 逆にあけすけで、無礼三昧はしてくるかもしれないから、それなりに教養を身につけるまで待って欲しいと」

 なんとも言えない沈黙が三人に降りる。

「……抱かれていたな」

「どこか悪いのか? 報告はないが」

「深刻なら報告があるでしょう。……最初が肝心と申します。兄がいることだけでも…… そうだ、夕食を共にしたいと申し込んでみては? 離宮に用意させますので」

 バルバロッサらと一緒にいる姿を見た限り、そこまで問題があるようには思えない。食事程度なら何とでもなるだろう。

 ……美味しいものを。地下では何も受け付けなかったというし? ああ、そうだ、綺麗なドレスとかアクセサリーとか? 贈ったら、きっと喜ぶはずだ。女の子なんだから。

 デザアトの境遇に憐憫を抱きながらも、末っ子のエーデルは、妹という存在に浮かれていた。まさか女兄妹が出来るなど夢にも思わず、彼女への虐待に直接的な関与をしていなかった彼は、降って湧いた妹に興味津々。
 そんなエーデルを余所に、スフィアは一人、悶々と臍を噛む。

 ……酷い格好をしていたな。ペラペラの寝間着みたいな。……それしか与えられてなかったんだよな。俺のせいで? 馬鹿な命令をしておいて、忘れていた俺の不出来だ。なにか…… ああ、どうしたら?

 考えてもどうしようもないことを脳内で道々巡りさせ、深く項垂れるスフィアと、イマイチぴんっときてなさげなエーデルを見つめ、ガイロックもまた、デザアトに何かしてやりたいと考えていた。

 ……妹。……だったのにな。……なぜ、あれほど嫌悪したのか。

 当時はそれを正しいと思っていた。心の底から恨み、憎み、目にしたくもないと思っていた。
 父王も同じだと。だから、顔を見にもいかないのだと。勝手に思い込んでいた。
 しかし、今のガイロックなら分かる。父王はデザアトを忌々しく思う自身が恐ろしかったに過ぎない。
 彼女を目にしたら何をするか分からない自分こそを恐れ、会いにいかなかったのだ。
 でなくば公費を充てたり、周りに人を置くよう指示したりすまい。床に伏しつつも、ちゃんとデザアトが王女として暮らせるよう取り計らっていた。
 
 きっと愛せない。それでも我が子だ。

 そんな切ない父王の葛藤。それを無残にも歪め、蔑ろにした事実に歯噛みし、ガイロックも凄まじい後悔に陥った。

 そして、善は急げと王宮に取って返した三人は手紙をしたためる。

 顔合わせだけでもしたいと。罵られても良いから、兄が居ることだけでも知って欲しいと。

 届いた手紙にバルバロッサも難色は示したが、不承不承受け入れる。ただし、くれぐれも怒らないようにと返信に含ませて。

 かくしてその夜、デザアトの苛烈な洗礼を受ける三兄弟。新たな罪悪感の高波に呑み込まれるとは知りもせず、何か贈り物をと、いそいそ買い求めに走る滑稽な新米兄貴達だった。

 その夜、散々な晩餐で打ちのめされるとも知らずに。
 




「「「……………………」」」

「手掴みでも宜しいですよ? カトラリーは端から使っていきます」

「こうか?」 

「……………」

 唖然と見つめる兄貴ーズの前で、デザアトは食事をしていた。……いや、掴んでいた。
 持ち上げたパンにかぶりつき、具沢山なスープを器から直接すする。ポテトサラダにフォークで挑戦してみたものの殆ど取りこぼし、結局指で摘んで食べていた。
 それを優しく見守るバルバロッサとスチュワード。

「今日初めてカトラリーを使うのですから。慣れない道具で食べられるわけないです」

「左様。……まさか、王子殿下らがお越しになるなど夢にも思っておりませなんだし」

 軽く眉を上げ、真顔な護衛騎士の毒を含んだ言葉に、兄貴ーズは狼狽える。
 王子達からすれば、こんなこと少し教えたら使えるだろうと思うかもしれないが、事はそんな単純ではない。
 こういった道具を使いこなすには、その基礎となる知識が必要なのだ。物を使うという根本的なことを理解していないデザアトには至難の業。
 横で共に食べるバルバロッサを手本にして、見様見真似から始めるほかない。それをする時間すら与えなかったのは、今日、突然晩餐を申し込んできた性急な兄貴ーズのせいだった。
 暗に含まれたスチュワードの言葉のトゲでそれに気付かされ、王子達は申し訳ない気持ちで一杯になる。

「その…… 身体は良いのか? 食事が私達と違うようだが……」

 王子達の前には立派な肉料理が並び、大皿で魚介や野菜が用意されていた。小皿に取り分けて食べるような見事な晩餐。
 しかし、バルバロッサ達の前にはスープやミールといった煮込み料理が置いてある。よく煮込まれ、グズグズになった柔らかな物ばかり。野菜もポテトサラダだ。

「王女殿下は長く清貧に暮らしておられたので。胃腸をおどかさないよう消化の良い物にしてあります。地味に身体も弱っていますし、これから健康を心がけて、食事の献立やスケジュールを立てる予定でございました」

 次々と放たれる鋭利なトゲ。劣悪な環境で何年も過ごし、デザアトの体調はすこぶる悪いのだと理解して、王子達の顔からみるみる血の気が下がっていく。
 思わずくらりと傾ぐ末っ子王子。彼は妹の存在すら知らなかったため、突きつけられた現実に顔面蒼白だ。
 その本気な動揺をさとり、噂雀がピーチク囀りまくる王宮にありながら、稀有なことだとバルバロッサは冷たい一瞥を投げかける。

 ……よほど兄上らに可愛がられておられたのでしょうね。世俗の汚い部分を知らせないように。

 今回の聖女騒ぎがなくば、デザアトはその存在すら黙殺されただろう。そんな彼女の未来を想像しただけで、バルバロッサの体内にドロリとした憤怒が湧き上がる。
 自分とて噂の範囲でしか知らなかった王家の闇だ。幽閉された王女の詳しい話など誰も口にしない。特に公費を着服していた侍女らが話すわけもない。
 それでも王族としての待遇は受けていると思っていた。暮らしは勿論、ちゃんと教師もつき、知識や教養くらいは学ばせていると。
 国王が公費を割り当てている時点でそれを疑うわけはない。まさか、その公費が着服されているなど、誰が予想しようか。
 侍女らをそのように増長をさせたのは、この王子達だ。彼らに厭われたことでデザアトの悲惨な暮らしが始まった。

 ……なのに、親睦をかねて晩餐を共にしたい? おふざけでないよ。

 文をもらって暫し逡巡したバルバロッサだが、これは逆に好機だと考える。
 デザアトがどのようにされたか目の当たりにしてやろうと。きっと驚くに違いないと。だからあえてスプーンでなくフォークを使わせた。スプーンではそれなりに掬えて食べられてしまうからだ。
 ボロボロと取りこぼし、テーブルを汚しまくるデザアト。その使い方も幼児のような握り掴み。パンも千切らずかぶりつき、スープも熱めにしておいたので、程よく冷やすために彼女は空気を取り込んですする。そのすすり方だと、音が盛大に響き渡るのをバルバロッサは知っていた。
 しかも具沢山だったため、デザアトは呷るように器を傾け、中の具材を口に流し込む。
 首を仰け反らせてあぐあぐ食べる妹の姿に、兄貴ーズは言葉もないらしい。

 ……まだまだ。これからですよ?

 陰惨な光を目に宿すバルバロッサとスチュワード。

 王子達の悪夢は終わらない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

処理中です...