聖女狂詩曲 〜獣は野に還る〜

一 千之助

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 幽閉された王女

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「は? そんなんするわけないじゃない」

「「「「え……っ?」」」」

 ここは異世界ドール。その世界に聖女が生まれた。

 が………



「クソ喰らえだわっ!! 人のこと散々邪魔者扱いしといて、いまさら聖女? 王宮に召喚っ? ふざけんなぁぁーっ!!」

 烈火のごとき怒号が轟く離宮で、少女は陽炎のような怒気を揺らめかせ仁王立ちする。
 彼女は、この国ドールの第五王女デザアト。物心ついた頃には地下室にとじこめられ、何も知らずに育ってきた。
 今は家庭教師や専属護衛と離宮で暮らしている。この信用のおける二人に救いだされるまで、彼女の暮らしは辛酸を極めていた。
 こうしてまともに話せるようになったのも彼らのおかげ。王宮の地下に幽閉されていたデザアトは、生かされていただけで何も学ばせてもらえず、野生動物のような生活を送らされていたのだ。
 そんな環境で真っ当に育つわけもなく、彼女の人格は歪んでいた。何も知らない無感動な人間にと。



「お后様は貴女のせいで死んだのです。貴女が殺したのです」

「……………」

 毎日のように投げかけられる呪いのような罵詈雑言。しかし、何も知らない少女は、その意味も知らなかかったため、馬耳東風。

 しぬってなに? ころしたって、どういう意味?

 いくら心無い言葉をぶつけられようと、その意味を理解していないのでダメージ0。だが、あまりの反応の薄さから、中には手を出す者もいた。

「このっ! ふざけんじゃないわよっ! アンタみたいな呪われた子のために、こっちは苦労してるってのにっ!!」

 バシバシ叩かれながら、少女は学習する。

「邪魔なのよっ! さっさと死んでくれたら、こっちだって王宮の仕事に戻れるのにっ!」

「…………」

 無感情な無言と据えた眼差し。気づけばこんな暮らしなのだ。情緒など育つはずもない。怪我や痛みは日常で、悪意と敵意しか向けられたことのないデザアトは、それしか知らない子供になっていた。
 空っぽな虚無。そこに詰め込まれたのは、悪態と暴力のみ。そんな少女が、王国を左右する聖なる力に目覚めるとは。

 神の悪戯か、悪魔の慈悲か。

 聖痕で血まみれな己の両手を呆然と見つめ、デザアトは嗤った。いや、微笑った。心の底からの安堵と充実感で。

 この時彼女は、己の死を思ったのだ。

 これで、クソみたいな人生から解放されるのだと。

 侍女らの陰湿な虐待で常に満身創痍なデザアトだが、彼女は自ら永遠を選ぶことを知らなかった。ハンストや自傷などという行為も知らなかった。
 人は人と交わらねば人でなくなる。学ばねば、何も分からない。
 幸か不幸か、彼女の周りに死を思うモノは存在しなかった。
 虐待する侍女らとて、行為が過ぎればデザアトを嫌々手当した。見捨てられたとはいえ、まがりなりにも王女だ。間接的だろうと自分達が殺してしまったとなったら、ただでは済まない。

「……忌々しい。さっさと病でも得て、くたばれば良いのにっ!」

 デザアトの死を願いつつも、それにかかわりたくはない小狡い侍女達。おかけでデザアトは死を連想する何かに当たったことがない。
 食べて、寝て、生きるだけ。何も無いのが当たり前で育った人間は、それを日常として生きていく。
 
 そして、聖痕を得た日。初めて彼女は死という概念に辿り着いた。

 前に見たからだ。皿に載せられた血まみれのネズミを。



「……これは?」

「アンタの餌だよ。丸々して美味しそうだろう?」

 にや~っと意地の悪い笑みを浮かべ、侍女は床に置いた皿を足先でデザアトの前に突き出した。
 いつも残飯のブチ込まれたスープと硬いパンしか食べたことがなかった少女は興味津々。怯える様子もなく、ネズミの死骸を素手で掴もうとする。
 逆に狼狽えた侍女が皿を蹴り飛ばさなかったら、きっとデザアトは平気でネズミを食べようとしただろう。

「ば……っ! 馬鹿じゃないのっ?! こんな物、本気で食そうとっ? うわっ! 信じられないっ!」

「……餌なんじゃないのか? そう言ったじゃん」

 餌=デザアトの食べ物。そのように散々言ってきたのは、この侍女である。きょとんとする少女に苛立ちを隠しもせず、侍女はいつもの食事を置き、ネズミの載った皿を持ち上げた。

「死骸も分からないのねっ! これは死んでるのっ! もう、やってらんない、可怪しいわ、コイツ!!」

 しんでる……? なに、それ。

 冷たく硬そうだったネズミ。デザアトの知るネズミは素早く動き、いつも彼女の食事を狙う困った生き物だ。
 皿一面を彩っていた血液。初めて見た死骸というモノをデザアトは忘れない。



「ふふ…… そうよ、これよ。この血が沢山出たら死ぬのよ。たぶん、そう」

 そして、あのネズミのように硬くなって、何も言わなくなるのだわ。そうしたら…… この馬鹿馬鹿しい生活ともおさらば出来るのね? 鬱陶しい侍女らとも会わなくて済むのだわ。

 デザアトは賢く聡かった。侍女らとの、交流とも言えぬ暴虐から、あらゆる知識を拾っていた。
 結果、随分と偏った知識や常識を身に着けている。
 
 ふははは……っと甲高く微笑うデザアト。

 その姿は至福に溢れ、滴る鮮血も相まり、見るものが見れば神々しいまでの美しい微笑みだった。





「……なんともはや」

「信じられないっ! 母上を殺した忌み子が聖女っ?! 悪い冗談だっ!!」

「しかし、聖女が覚醒してしまったとなれば代替えは出来ません。これより五十年は新たな聖女は生まれないのですから」

 しかめっ面を突き合わせて苦悶に震える三人。彼等はデザアトの兄たる王子達。
 二十七年前。聖女を娶った国王は、玉のような子ども達を沢山授かった。王家は賑やかな子ども達の声と幸せで満たされていた。
 それが失われた十五年。末娘の出産で命を落とした前聖女。絶望の果てに国王は、元凶たる末娘のデザアトを幽閉した。
 見たくもなかった。見ようものなら縊り殺してしまいそうだった。そんな自分を遠ざけるのが、娘のためにも最善だと国王は思っていた。
 彼は弱くはあったものの無慈悲ではない。不倶戴天のごとき怒りを身のうちに押し込め、会わないことで我が子の安全をはかっただけ。
 だからちゃんと侍女もつけたし、生活に不自由のないようにもした。そのつもりだった。
 しかし権力者である父に厭われた王女を、周りが蔑み、勝手を始めるとまで彼は思い至らなかったのだ。最愛を失った痛手が、そういった配慮を欠けさせてしまった。
 失意の長患いで、国王が亡くなったこともデザアトは知らない。生まれてこのかた会ったこともない父親など、知るはずもない。
 
 兄三人とて、すっかり忘れ切っていた。

 母親を殺した忌み子のことなど、誰も思い出さなかったのだ。
 数日前に侍女が真っ青な顔で駆け込んでくるまでは。
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