だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

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 運命の日 2

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「お久しぶりですこと、サルバトーレ子爵」

「初めまして、子爵夫人」

「お茶会は残念でしたわ。もう体調はよろしくて? せっかくの新年ですもの、ぜひお話をしてみたいわ」

 綺羅びやかな御夫人や御令嬢に囲まれ、レオンは久々の香りの渦に巻き込まれた。
 入浴文化が発達しているため、地球の中世みたいに香水を臭い消しには使わないが、それでもやはり御夫人の装いに対する執念は世界を隔てても変わらない。
 特に特権階級ならなおさらだ。甘く香る匂いの暴力。
 こんなに酷い匂いだっただろうかと、レオンは無意識にラナリアを抱きしめた。そして、その髪に顔を埋め、すう……っと彼女の匂いに酔う。

 ……ああ、これだ。清しい新緑の香り。ほんの少し交ざる花の香も淡く心地好い。

 ねっとり、へばり付くような香水に鼻腔を蹂躙され、最愛の匂いで必死に上書きするレオン。
 すーは、すーはと自分に張り付く旦那様の腕をパシパシ叩き、ラナリアが真っ赤な顔で呟いた。

「だ、旦那様っ? 旦那様っ!! 離してくださいませ、皆が見ておりますっ!!」

「……ん?」

 そこに居並ぶは驚愕の眼差し。なんとも言えない顔をして居並ぶ王都貴族の紳士諸氏。

「……子爵殿、変られましたな」

「なんというか…… うむ」

 そんな彼らの前で、茹でダコなラナリアをがっちり抱きしめ、仏頂面なレオン。
 然りげなく眼を逸らして、周りは咳払いなどをする。
 所在なげな彼らを気にする風でもなく、奥方様に甘える旦那様。衆人環視の中で抱きつかれてラナリアはパニクった。

 ……こ、こんな大胆な方でしたかしらっ? せっかくアンナが結ってくれた髪がぁぁ! 

 わちゃわちゃ慌てるラナリアが可愛くて堪らず、ひょっともちあげてレオンはテラスに向かう。

「旦那様っ! 下ろしてくださいませっ! み、見られてっ!」

「かまわん。見せつけておこう。二度と招待状など送ってこないくらいにな」

 生温い眼差しの山を量産して、旦那様は平気の平左。
 普段の社交で注視されているのに慣れ切っているレオンは、はわはわと狼狽えるラナリアを余所に、ポケットへ手を突っ込んで白い綿ぽこを取り出した。

「陛下に挨拶も済ませたし、もう帰ろうか、ラナ」

「え……? 良いのですか?」

「うん」

 きょとんと見上げる奥方様と、非常に良い顔で頷く旦那様。しかしそこで、突風のごとく動く者がいる。

 ……良いわけあるかぁぁぁーーーっ!!

 壁際に控えていたウォルターだ。彼は即座に行動し、レオンの手から綿ぽこを奪い取った。そして握りしめぬよう注意しつつ、ソレを懐に入れる。

「戯れは程々になさいませ。もう音楽が始まりますよ?」

 にっこり営業スマイルな幼馴染みを、レオンが恨みがましそうに見つめた。

「……ラナと二人きりが良い」

「そういうのは、帰ってからにいたしましょうか」

 思わず引きつりかかる口角を死物狂いで抑え込むウォルターの前で、レオンは反対側のポケットからも白い綿ぽこを出した。

 ……いくつ持ってきとんじゃあぁぁっ! わざとやってんな、お前ーっ!!

 あわよくばの気持ちもあったのだろう。どっちも綿ぽこを取り上げられて、ちっと小さくレオンは舌打ちする。
 身内にしか分からぬ攻防。それを鑑賞していたらしい誰かが、ふいに笑った。

「いや、珍しいモノを見せてもらったな。相変わらず仲が良いね、君等は」

「チェザレ。来てたのか」

「レオンが《転移》を身に着けたと聞いてな。《背水》も持ってるくせに、狡くないか?」

 やや不満げな顔に眉を寄せる男性。彼はレオンの同僚の騎士である。ただしスキルはない。
 元々、スキルとは王侯貴族の半数程度しか所持していないモノだ。王都貴族は持っていない者の方が多い。
 逆に辺境貴族には発現しやすく、何か法則があるのかもしれないが今のところ謎だった。
 魔力を燃料にして発揮する力のせいか、魔力の高い者ほど強いスキルを手に入れやすい。でないと発現しても発揮出来ないため、ただの宝の持ち腐れになる。
 代々貴族同士で婚姻を繰り返してきた王侯貴族は、当然ながら魔力が高く、得たスキルを存分に使えた。

 スキルを得られるかどうかは七つの洗礼で決まる。そこで発現するか、あるいは既に発現しているかでないと、後天的にスキルを得ることは不可能。
 たま~にそういう者もいるが、極稀だ。
 ちなみに、その極稀なのがラナリアだったりする。何百年に一回ぐらいしか起きない珍事である。

 スキルなしだったはずなのに、独り立ちを志す十三の立志式で《巣》のスキルが生えていたのが確認されたのだ。
 極々、ご~く稀に起きる事態。何百年かに一人。しかも、その《巣》というスキルにどのような能力があるのかも分からない、超謎なスキルである。

 まあ、その能力が今は判明しているわけだが。

 それを隠すために、レオンは同僚の問いを受け流した。

「……あれはたまたまだ。何度もやれん。偶然だ」

「たまたまね…… それでも複数スキル持ちなんて、聞いたこともない。《背水》も《転移》も、すごく稀なスキルじゃないか」

 騎士団でやらかしたレオンは、翌日、質問の嵐に見舞われた。どうやって消えたのか、あれは転移なのか、転移だとしたら後天的に得たのか? と。
 怒涛の質問責めに遇い、レオンはラナリアを守るため、新たなスキルを得たのだと嘯いた。
 実際に例の綿ぽこで転移して見せたおかげで、半信半疑ながら信じてもらえたようだった。

 外側に張り付いていたモノは全部回収したつもりのラナリアだったが、取りこぼしがあったようで、それを拾ったウォルターが知らずに入ってしまったのである。
 そのあと白い綿ぽこは誰にも触れられぬよう、例の繭の中にしっかり保管されていた。
 なのに持ち出してきたレオン。新年パーティから逃げ出す用だったのかもしれないが、心臓に悪すぎるとウォルターは心の中で毒づいた。

 ……万一にも、これが誰かの手に渡ったら、どうすんだぁぁーっ!! 馬鹿野郎様がぁぁーっ!!

 革製の巾着に入れた綿ぽこを懐深くしまい込みながら、ウォルターは不用心にも程があると思う。そう思いつつ、拭えぬ疑問も浮かび上がった。

 ……でも、なんのための道具なんだろうな。完全に外界と隔離することを目的としたスキルみたいなのに、こんなんあったら台無しじゃないか。

 深く考えることが苦手な御主人様とは反対に、常にあらゆる想定をして考えまくる執事様。

 その答えは、全てが終わった後に明かされるのだが、今の彼に知る由はない。

 そうこうしているうちに大広間で音楽が鳴り響き、壇上から国王夫妻と王太子夫妻が階段を降りてきていた。

 始めの一曲は王族が踊るのがしきたりである。

 新年を寿ぐダンスパーティ。それが阿鼻叫喚の地獄絵図と変わるまで、あと少し……
  
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