13 / 23
奇妙な暮らし 7
しおりを挟む「えと…… 奥方様は?」
「繭だが? どうした?」
ラナリアの部屋でテーブルに座るレオン。
そこに持ってきた食事を二人分セットして、そわそわした雰囲気の料理人がテラスをチラ見する。
「……というか。なぜにお前が持ってくるんだ? メイドに任せれば良かろうが」
「あ……いえ、何か御用命はないかなと。奥方様が食べたい物があれば、すぐにお知らせください」
びくっと肩を波打たせながら、料理人は曖昧な笑顔を浮かべつつ脱兎のように逃げ出した。
「……………………」
その冷や汗が浮かぶ背中を見送り、レオンはウォルターから聞いた話を思い出す。
……勘違いか何か知らないが、ラナリアを虐げたことに変わらん。勝手に悶々としてろ。
元を正せば自分が元凶のくせに、すでに終わった気分の旦那様。そんな彼はテラスの繭を撫でて、その上に貼られた目隠しを取った。
するとまるで風に揺れるような煙が立ち上り、ふいっとラナリアが現れる。仄かに香ったのは彼女お気に入りな香水。
ラナリアの故郷、メイン領でしか栽培されていない花の香は、淡い甘さを含んだ新緑の香りがした。
「少し遅れましたか? ちょっと根を詰めてしまいましたわ」
ゆうるりと笑う可愛い御嫁様を、レオンは毎回感無量の面持ちで抱きしめる。
……居た。ちゃんと居た。いなくなってたら、どうしようかと思った。
目隠しを剥がすのは二人の合図。
出てきて欲しい時、レオンは繭の目隠しを外すのだ。そこから射しそむる光を見て、ラナリアは繭の中でもレオンに呼ばれていることに気がつける。
「食事だ。沢山食べろよ?」
強面顔に滲む愛しさ。今でこそ脂下がって、にこにこ笑うレオンだが、少し前はこれが恥ずかしかったらしく、がきんっと固まった険しい顔をしていた。
それこそ地獄の獄卒も裸足で逃げ出すように、不自然な悪鬼顔を。
それで周りも誤解をしていたらしいが、ラナリアには分からない。
今の顔も前の顔も、表情に変化はあれど同じに見える。内から滲む切ない労りが。
心の奥を、ほんのり温かく照らす優しい気持ち。
それが嬉しくて、こそばゆい。そんなラナリアは、どこからか聞こえる大勢の声に耳をすませた。
「声……? どこから?」
不思議そうに周りを見渡す妻を見て、ああ、とばかりにレオンはテラス下を指で指し示す。
「あそこな。大きな木が増えたから、少し減らそうと思って業者を呼んだんだよ」
見下ろしたテラス下には大勢の人々。減らすつもりな木々にリボンを結びつけ、色々なことをしていた。
そしてそのリボンのついている木々を確認したラナリアは、じっとレオンを見つめる。
ぎくりと眼を瞬かせ、しきりに目玉だけを泳がせるレオン。
「旦那様? 少々お話がございましてよ?」
満面な笑みの妻から感じる無言の圧。
生粋の騎士であるレオンには慣れ親しんだ闘気をまとうラナリアに、思わず肌を粟立てる旦那様だった。
「……ですから、私は繭にいます。もう逃げようなんて考えませんし、出かけるなら堂々と正面から出ていきますから」
「……うん」
こんこんとお説教するラナリア。
彼女はメイドに頼んで下にいる業者を止め、仕事料を支払い帰ってもらう。そしてレオンと共にクッションの上に座り、正座で向き合った二人は話し合いを開始した。
レオンが業者に伐採させようとしていた木々は、ラナリアがテラスから飛びつける範囲の木々だったのだ。
前に見せた彼女の跳躍を覚えていたのだろう。レオンは的確に彼女の届く範囲を把握し、そこにある樹木を片っ端から切り倒すつもりだったのである。
二階のあたりまでしか届いていない木々は景観を損なうこともない。そういった計算は庭師がちゃんとしているし、定期的な剪定もしている。
それを切り倒そうなどと考える理由は、一つしか浮かばない。
やれやれと嘆息するラナリアの前で、レオンはこれ以上ないくらい小さく背を丸めていた。
「すまん…… その…… 君が抜け出すこともだが、誰かが上がってくる可能性もあるかと…… 怖くなって……」
……歴戦の騎士たるレオンが?
訝しげに眼を細めたラナリアだが、そこであることを閃き、ぱしっと片手で額を押さえる。
「……私が不埒なことをするとでも?」
想像もしてなかった妻の言葉。その曲解を正すべく、レオンは声を荒らげた。もう、誤解を重ねるのは御免である。
「いやっ! そうじゃないっ! 君を疑ってるとかではなく、君に懸想した汚物が、身の程を知りもせず接近してくるかもとっ!」
……汚物? ……ああ、そういう。
レオンにとって、愛しい最愛に下心を持って近づこうとする者は全て汚物だった。その意味に気づき、さすがのラナリアも呆れた顔をする。
「……あの後、君は木を伝って戻ってきただろう? ……それを見て…… うん……」
レオンは背筋が凍ったのだ。これがラナリアでなく、どこかの汚物だったら…… と。
丸まった背中がその全てを物語っていて、ラナリアは怒りも呆れも通り越し、得も言われぬ面映い気持ちが溢れ出した。
……そんなに心配なんですか? 私も戦えますのよ? どちらかといえば、淑女より戦士なのですよ? もう……っ!
「分かりましたわ。じゃあ、旦那様がいないときは巣から出ないようにいたします。それなら安心ですか?」
ばっとレオンの顔が上がる。喜色満面なそれを見て、ラナリアの胸が一杯になった。
「で、出なくて良いっ! あああっ、ありがとう、ラナっ!!」
両手をついてラナリアににじり寄りつつ、今にも泣き出しそうな顔で喜ぶレオン。
愛する旦那様の望みだ。それを叶えてあげられることがラナリアは心の底から嬉しい。
こうして心配されるのが堪らない。威風堂々とした天下逸品な騎士をオロオロさせられるのはラナリアだけ。
奇妙な優越感が彼女を満たし、ラナリアはレオンの頬を両手で優しく包むと、軽く口づける。
啄むように優しいキス。ラナリアに関してだけは臆病で心配症な旦那様が、すこぶる可愛らしい。
何をされたのか理解が追いつかずに絶句するレオン。
「かしこまりましたわ。困った方ですね、私の旦那様は。そんなにお可愛らしいと、悪戯したくなってしまいますよ?」
頬を染めて、ふっくり眼に弧を描く御嫁様。
……ま、またぁぁっ! また先を越されたぁぁっ!!
ちう…っと再び唇を啄まれ、レオンは声にならない絶叫をあげる。
茹でダコのように真っ赤な顔のレオンと、蕩けた微笑みでそれを見つめるラナリア。
無茶ばかりを言う旦那様に奥方様が従っているだけなのに、なぜか奥方様が旦那様を振り回しているようにしか見えない、謎。
徐々に甘く深まる二人の関係。
だが、波乱を予感させるかのように、奇妙な繭が、ぽうっと仄かな光を瞬かせていた。
1,317
お気に入りに追加
2,236
あなたにおすすめの小説
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中

わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。
ふまさ
恋愛
伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。
けれど。
「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」
他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ
曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。
婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。
美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。
そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……?
――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる