だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

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 奇妙な暮らし 3

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「お前、いい加減、奥方様に告白しろ」

「……何をいきなり。こ、告白? 夫婦なのに?」

 眼を据わらせてレオンに詰め寄るウォルター。

 事の起こりは数日前。ラナリアが繭から出るようになって一安心したレオンは、渋々騎士団に復帰した。
 そこから普通の日常が始まったのだが、如何せんぎこちない。



『こちら、季節の果実でございます。我が領地の名産。奥方様は御存知でしたか?』

『……いいえ。……あの。なぜ私に?』

 訝しげな彼女を見て、食事を運んできた料理人は深々と頭を下げる。

『……これまで申し訳ありませんでした。わたくし、とんでもない勘違いをしておりまして…… 許されることではないのですが、謝罪させてください』

 この料理人は、以前ラナリアが食事をせず、残してばかりいることを愚痴っていた者だ。そのせいでレオンに叱られていたのだから、無理もないとラナリアは思った。
 
 ……自分は悪くないのに叱られたら誰だって理不尽に思うわよね? 彼はちゃんと食事を作っていたのだもの。……だいたい、勘違いって何のことかしら。

 そう思ったラナリアが、浮かんだ疑問を料理人に尋ねた。
 そこで固まる料理人。彼は必死に頭をフル回転させる。

 ……話しても良いのか? 御主人様が奥方様を恐ろしく愛しておられることを。そのせいで、表情筋が強張り、悪鬼のごとき顔をしていたから、てっきり奥方様を厭うておられるのだと我々が誤解していたことを。

 思わぬ窮地に立たされ、冷や汗ダラダラな料理人。それを視界の端で見ていたウォルターも、少し前に同じしくじりをしていたので苦笑い。



『あ~…… これまで差し出がましいことばかり申しまして。全て私の勘違いでございました。お許しください。気に入らなければ別の者と交代しますので、遠慮なく申し付けを』

『……貴方もなの? みんなが言う勘違いって、いったいなんの事?』

 そこでようやくウォルターも、彼女に理由を話せないことに気が付き、思わず動揺した。

 政略結婚だと信じて疑わないラナリア。

 そんな彼女はレオンの愛を知らない。奴は愛を告げていない。ウォルターの知る範囲でも、奇麗に着飾って側にいれば良いとしかレオンは言っていなかった。

 食べろ、買い物しろ、邸から出るな。

 奴が口にしていたのは、この三つに関することだけだ。

 ……あの馬鹿野郎様、肝心なことを全く伝えてねぇじゃねぇかぁぁーっ!!

 不可思議な繭の引きこもり事件からこちら、幾分軟化は見えたが、ただそれだけ。
 たまに時間が合えば、こそっとラナリアを眺めに来るものの、相変わらず遠くから見守る態勢。
 それだけで至福に緩みきったレオンを目の当たりにし、なんで、そういう顔を初めから見せなかったのかと全力で毒づいたウォルターである。

『今は、もう皆に知られてるから隠さなくても良いかと…… ラナリアには言うなよ?』

 テレテレ頬を染めて仕事に向かう大男。

 ……全力で奥方様にタレ込みてぇぇーっ!!

 こうして、勘違いの理由を説明するわけにもいかず、七転八倒を繰り返したウォルターは、レオンに直談判にきたのだ。





「じゃあ、俺らから伝えても構わないんだなっ? お前がベタ惚れ過ぎて表情筋が強張り、悪鬼みたいな顔ばっかしてたんで、てっきり奥方様が嫌われていると思ったと」

「いやっ、それはっ!」

 顔面蒼白で立ち上がるレオン。

「ついでに、社交が出来なかったのも奥方様のせいでなく、レオンが邪魔していたからだと。招待状も返事も全てお前が握りつぶしていたから、社交が出来なかったんだと。貴方は悪くないと」

「いやいやいやっ! それはラナリアのためだっ! 王都の社交は古狸と雌狐の馬鹿し合いだぞっ? あんな悪徳の巣窟に純粋無垢なラナリアを投げ込むわけにはいかんっ!!」

 絶叫にも近いレオンの雄叫び。まあ、そのへんはウォルターだって分からなくもない。
 王都と辺境では社交界の質が違う。派閥もグレードも独自で分かれており、王都貴族は辺境貴族を同等に扱わないのだ。
 日本で例えるなら、国会議員と地方議員のような格差社会。収入も段違いだし、年に一度の新年パーティーでぐらいしか双方顔を合わせることもない。
 サルバトーレ家が辺境から花嫁を迎えたと聞いて、随分噂になったものだ。だが……

「なら、お前がついていってやれば良かろうがっ! お前のお眼鏡に叶う御令嬢や御夫人を紹介したれよっ!!」

 立て続けに畳み掛けられる正論の嵐。それにタジタジなレオンだったが、これだけは譲れないといった感じで、彼は絞り出すように呟いた。

「う……っ、しかし…… そういった催しには、御子息や夫君がついてくることも、しばしばで……」

 ……結局は、それかいっ!!

 どうしてもレオンは他の男の目にラナリアを触れさせたくないのだ。レオンだってついていく気満々なくせに、他の男が来るのは許せない。
 稀に見る独占欲と執着。なにが、ここまでレオンを溺れさせたのか、ウォルターには全く分からなかった。

「正直、平々凡々な女性だよな? ラナリア様は。そんな警戒心剥き出しで番犬しなくても大丈夫なんじゃないか?」

 ……色気も素っ気もないし、愛想もよろしくない。……ん? そうだっけか? あれ? 笑った顔を見たことがある気も……?

 ラナリアが嫁いできて十ヶ月。

 つれなく見えたレオンの態度や、冷たく接してくる周りの仕打ちで急激に生気を失っていた彼女の変貌を、ウォルターは気にしていなかった。
 レオンが鬱陶しそうな顔をしていたように見えたため余計だ。
 花嫁としてやってきたばかりなラナリアは、子爵家へ向かう馬車の中でも、凍りつくようなレオンの表情に萎縮してしまい、みるみる小さくなっていく。

 ……私ばかりが浮かれちゃって馬鹿みたい。……政略結婚ですものね。旦那様のお気に障らないよう気をつけなくちゃ。

 そんな彼女はレオンの顔色ばかりを窺い、本来の笑顔すら浮かべなくなっていった。

 それでも、たまに…… 庭の散策などをした時、極稀に笑ったこともある。まあ、ほんの最初の頃の話だが。

 ウォルターの記憶の片隅に眠る奥方様の笑顔。

 レオンが良い顔をしなかったため、庭の散策すら諦めたラナリアからは消えてしまった彼女の笑み。
 ほんのちょっとの笑顔で、レオンの心臓が爆散直前になったのも、彼女のそんな笑顔に免疫がないせいである。

 それもこれも全て旦那様の不徳の至り。

 盛大に返ってきたブーランがぶっ刺さり、言葉もなく脳天をかち割られるレオンとウォルター。

「俺の口から語られたくなかったら、とっとと自分の口で囁いてこいや。ついでに色々と謝罪してこい。社交に出たら、どうせバレるんだ。お前が、奥方様の御茶会を潰したこととかな」

 人の口に戸は立てられない。

 ラナリアの御茶会に参加予定だった御婦人達は、挙って尋ねてくるだろう。もう身体は良いのか? 次の御茶会はあるのか? 是非ともこちらの御茶会に参加して欲しい。などなど。
 そうすれば、芋づる式にレオンのやらかしたこともバレる。ラナリアは招待を無視されたと思っているのだから。お互いの合わない話をすり合わせれば一目瞭然。

 はあ……っと大仰に溜め息をつき、ウォルターは項垂れる幼馴染みに最後通牒を叩きつけた。

「早めに自白して謝っておいた方が傷は浅いぞ? どうしようもなくなってからだと、さらに拗れる。今のお前みたいにな」

 そう言い残し、ウォルターは部屋から出ていった。

 未だ、ラナリアの部屋で寝起きしていたレオンは、最愛の眠るだろうテラスの繭を抱きしめる。



「ラナ…… ごめんな、ラナリア……」

 あれだけ言われてもレオンはラナリアを家から出したくなかった。この繭の中にいると思うだけで、心が酷く落ち着く。ここなら誰にも彼女を見られないからだ。
 食事に出てくるようになった妻は、ときおり庭にも出てくる。庭は、邸の柵から見えてしまう。誰かに自分の知らないラナリアを見られると思うと、猛烈な怒りがレオンの中を駆け巡った。
 
 ……とりあえず高い壁を造るか。……壁だと威圧感があってラナを怯えさせるかもしれん。背の高い植え込みを造ろう。うん。

「ラナ…… 可愛いラナ…… ここに居てくれ。それだけで良い」

 通常の男性より二周りも大きなレオン。やけに彫りの深い強面な顔も手伝って、新人騎士にすら怯えられるのが日常的だった彼を、初対面で恐れなかった唯一の人間。それがラナリアである。

『ありがとうございます、この地を守ってくれて……』

 未だそぞろ浮かぶ彼女の温かな笑顔。

 ……ああ、守るよ。絶対に君を。

 ぎゅうっと繭を抱きしめたまま、レオンは心地好い微睡みに誘われた。

 そして翌日、困惑げな奥方様に見おろされる旦那様。



「何をしておられますの? 旦那様?」

 ユサユサと柔らかな指に優しく起こされ、レオンは至福の笑みを浮かべた。起き抜けの無邪気な微笑みに、ラナリアの心臓が小さく脈打つ。

 ……そのように笑うことも出来ますのね。

 びきっと固まった顔のレオンしか見たことのないラナリアには、とても新鮮だった。

「朝……か。ラナリア、食事は?」

「……今からです」

 はにかむような笑顔の妻にドギマギしつつ、レオンも、ほんの少し思い切ってみる。

「……その。同席しても?」

「……はい」

 ぱあっとひらめく強面顔。こうして眺めているだけでも伝わる、その喜び。顔面凝固しているのは変わらないのに。

 ……不思議ね。いつもと同じ鉄面皮な顔が、妙に可愛く見えるわ。

 小さく、小さく積み重ねられていく仄かな想い。

 そわそわ落ち着かないウォルターを余所に、マイペースでお互いを知っていく暢気な二人である。
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