だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

文字の大きさ
上 下
1 / 23

 今日の奥方様

しおりを挟む

「もう良いわ、片付けてちょうだい」

「……ほとんど召し上がっておられないではないですか。せめて、もう少し……」

 あからさまに嫌な顔の侍従に睨まれ、ラナリアは心の中でだけ溜め息をつく。
 この男性はウォルター。夫であるレオン・サルバトーレ子爵の腹心だ。夫のいない時は、四六時中見張るようにラナリアに張り付いている。

「食欲がないのよ。……動いてもいないしね。今日は出かけてみようかしら」

「どこへ出かけると仰るのですか。社交辞令なお茶会にすら招待されもしないのに」

 ラナリアの小鳩なハートをドスっと穿つ、ウォルターの容赦無い言葉。

 そう。ラナリアは誰にも関心を持たれず、夫人の仕事であるはずな社交にすら参加できていない。招待されたこともなく、ならば自分で主催してみようかと恐る恐る招待状をしたためてみたものの、誰一人、招待に返事をしてくれなかったのだ。

 ……なぜかしら。ここは王都で、故郷の田舎とは違うと思うけれど、私は嫌われているの? ここに嫁いでからというもの、誰とも交流らしい交流をしたことがないわ。

 まだ年若いという理由から夫はラナリアを社交に伴わない。夜会や御茶会、騎士団の催しにも一切ノータッチだ。
 そして邸に閉じこもりっぱなしなラナリアの楽しみといえば、庭の散策くらい。しかし、それにも夫は良い顔をしなかった。

『……日焼けするだろう。雪のように透き通った肌ぐらいしか映えるところがないのだから気をつけろ』

『はい……』

 他にも、夫と交わす言葉はお小言ばかり。

『……口に合わないなら残せ。ただでさえ食が細いのだから、嫌な顔で口にするな。おい、何か妻の食べられそうなモノを用意しろ』

 子爵の恫喝に怯えた給仕達が、恨みがましい眼をラナリアに向ける。

『わ、わたくしはこれで十分です』

『……骨と皮だけな妻を持つ夫の身になれ。まるで俺が食べさせてないみたいじゃないか』

 万事が万事この調子。金髪碧眼なレオンは、巨大な体躯を持つ騎士だ。しかもかなりの強面で、短く刈り込んだ髪も手伝い、子供が見たら泣くであろう姿形をしている。
 実際、他の騎士と並んでも、頭一つ以上大きさに違いがあった。筋肉隆々な身体は言わずもがな。
 そんな人外に片足突っ込んだような旦那様を前にして、ラナリアは怯えることもなく余所事を考えている。

 ……そんなに細いかしら? そういえば食欲が湧かなくて、疲れやすくなったかもしれないわ。

 ふう……と漏れた小さな嘆息。

 たしかにラナリアは痩せていた。だがそれは、故郷を馬で駆け回っていたせいもある。脂肪が少なくて筋肉が多いのだ。だから見た目は細いが、重量はけっこうあったりする。

 ……色の白さは七難隠すというもの。髪は茶色だし、瞳も凡庸な緑だわ。旦那様のおっしゃる通り少しでも見目よく磨くべきよね。

 辛辣な言葉にめげもせず、レオンに言われるがままラナリアは素直に努力する。

 しかし、それでも夫の小言は減らない。

 また、ある日には……



『服飾費がやけに低い。季節のドレスも作ってやれない夫だと笑われそうだ。それが目的で作らないのか?』

『そんなことは…… ただ、必要がないので……』

 着ていく場所もないのにドレスや宝飾品は不要だとラナリアは思う。なので普段使い用の服のみ作っていた。夫はソレが気に入らないらしい。

『散財しろとまでは言わないが、必要かそうでないかは俺が判断する。このままだと吝嗇家と後ろ指を指されかねん。商人を呼ぶから、俺が恥ずかしくない程度には揃えろ』

 厳しい顔で大仰な溜息をつき、毎回、毎回重ねられていくお小言。良かれと思い無駄金を使わず、あえて買い物を控えていたのが完全に裏目になった。

 ……社交も出来ない、子爵家も回せない、お荷物でしかない妻でも、それなりの待遇を与える旦那様。
 そんな夫に、毎日毎日小言ばかり言わせてしまう自分がリナリアは情けなかった。

 完全にお飾りな妻。なのに、着飾って座っていれば良いという寛大な夫。彼女はレオンのことを、そう思っている。
 初夜からこちら夫婦関係もなく、これではいけないと執務の手伝いとかを申し出てみても、二言目には年若いから幼いからとレオンは彼女に何もやらせてくれない。家令もリナリアに何もさせてくれない。

 そこにきて、他の夫人から御茶会などの招待もされず、こちらが招待しても無視される今の状況。それが彼女の精神を追い詰めていった。

 さらには便りの途切れた実家や友人。

 いくら手紙をしたためても返事は来ず、片便り。

 夫の当たりが強いため、この邸の者達もラナリアを邪険にする。

『貴女がしっかりしてくださってさえいれば…… ああ、言うだけ無駄ですね。旦那様も諦めておられるようですし。……どこに招待を無視される夫人がいるんですか。御愛想でも普通は来てくれますよ?』

『………そうね。いたらない……いえ、要らない妻よね、私。居なくなった方が旦那様のためよね』

『……まあ、そのとおりですね。自覚があるなら、とっとと荷物をまとめて消えてくださいよ。そうすれば私の手間も省けるんで』

 夫と幼馴染で腹心のウォルターは特に手厳しい。そして、その言葉にラナリアが反論出来ないのも確かだ。
 家を守り、社交で夫を支えるのは妻の役目。それを果たせぬなら、ただの役立たずでしかない。
 実際、陰ではそのように悪態をつく使用人もいた。

『あんな出来損ないな妻をもらうなんて。旦那様が気の毒だよ』

『好き嫌いも多いしな。こっちが必死に作ってるってのに、ほとんど食べやしねぇ。それで叱られるのは俺たちだ。やってらんねぇよ、まったく』

 ……そうね…… ごめんなさい。

 扉越しに聞こえた料理人達の声。

 日がな一日座っているだけなのだ。お腹も空かないし精神的疲労から食欲も湧かない。

 ……故郷では野山を走り回っていたのだもの。貧乏貴族は暇なしで。……働くのが好きだったわ。楽しかった。

 きっと他でも色々言われているのだろう。本人の眼の前では言わないだけで。ラナリアの眼の前で堂々宣うのはウォルターくらいである。

 ……私、なんで、ここにいるのかしら。……もう、消えてしまいたい。

 しかし、夫とラナリアは政略結婚だ。彼女が嫁ぐことで、サルバトーレ家は実家の男爵家に援助を約束してくれた。
 泣きながら喜んでいた両親を失望させたくはない。

 ……何もやらない穀潰しのくせに、実家の支援や服飾で湯水のごとく旦那様にお金を使わせて。まるで寄生虫みたいね、わたくし。

 心ない人々の誹謗中傷で頭が一杯になり、八方塞がりな今が彼女を陰鬱な気持ちに沈めていく。

 そんな日々が長く続けば、人の心は蝕まれ、悪い方にと傾いでしまうものだ。

 アレコレ重なり、自暴自棄になったラナリアが思い余ってテラスから身を躍らせようとした時。

 それは現れた。



「え………?」

 《マイホーム》と小さな看板のついた、虫の繭のようなモノ。
 
 ……まいほーむって? なに?

 どうしてか分からないが、突然現れた一メートル四方の繭がやけに温かく感じられ、ラナリアはソレに恐れも抱かず触れる。

 その途端、彼女の姿は煙のように消え失せた。

 サルバトーレ子爵夫人、突然の失踪。

 この報を受けた彼女の夫たるレオン・サルバトーレは、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。



「……探せ。探せぇぇーっ!!」

 執務室から飛び出した彼の雄叫びが轟くなか、ラナリアは夢を見た。

 温かく幸せだった頃の夢を。

 その眦に伝う一筋の涙。それを今のレオンは知らない。
 
しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。

ふまさ
恋愛
 伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。  けれど。 「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」  他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。 婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。 美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。 そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……? ――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」

21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」 そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。 理由は簡単――新たな愛を見つけたから。 (まあ、よくある話よね) 私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。 むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を―― そう思っていたのに。 「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」 「これで、ようやく君を手に入れられる」 王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。 それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると―― 「君を奪う者は、例外なく排除する」 と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!? (ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!) 冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。 ……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!? 自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。

処理中です...