耽溺の森 〜だから僕らは森から出ない〜

一 千之助

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 それからの森 9

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「落ち着いたか?」

「……ごめんなさい」

 癇癪を起こした子供のように泣き喚いていた敦は、よしよしとドゥエルに抱えられている。床に座り込んだまま、二人は初めてお互いの話をした。
 今までも当たり障りないことは話していたが、それは説明のようなモノ。敦達がこの世界を理解出来るよう、ドゥエルの実体験を織り交ぜた取説。
 特に個人的なアレコレを話したことはない。

「そうか、アツシには前の世界に家族がいるんだな」

「はい。両親と妹…… ……ふぐっ、逢いたい」

「うん」

 再び嗚咽を上げる敦を己の胸の中に抱きしめ、ドゥエルは何とも言えない気持ちになる。
 こうして掻き抱いても収まらない。甘く溶かして、その涙を舐め取ってやりたい。泣いて欲しくない。笑って欲しい。
 こんな気持ちは初めてだ。睦んでいるときには、如何に泣かせるかばかりを考えているのに…… 泣き止んで欲しいと思う日がやってくるなどドゥエルにとっても衝撃だった。

 湧き上がる不可思議な欲求に従い、ドゥエルは敦の顔を上向け、優しく口づけた。瞼に舌を這わせて涙を舐め取り、その瞼にも優しくキスを落とす。

 いつものように貪り食うような激しいモノではなく、ついばむように軽く。ときおり唇や舌を舐めたり、奪うのではなく与えるように甘い口づけ。
 それを繰り返すうち落ち着いてきたのか、敦が安心したかのような顔をしてドゥエルの胸にもたれかかってきた。へにょりと全身の力を抜き、眠るように可愛い仕草。

 突然、少年に身を預けられて、ドゥエルはその柔らかさに瞳を戦慄かせる。

 ………ほんとに壊れそうにか弱い人間だ。こんな脆くて柔らかい生き物を私は知らない。……良かった、生きててくれて。ここに居てくれて本当に良かった。

 思わぬ安堵を脳裏に描き、深い溜め息と共にドゥエルはとつとつと昔話をする。敦の知らぬ彼の過去を。

 ドゥエルに家族はいないこと。生まれてすぐ奴隷印を押され、親から虐待されつつ育ち、奴隷商に売られたが、真っ当な魔術師に買われて平穏を得た。
 そこで魔術や錬金術を学び、安定して薬を作れるようになったころ、その魔術師が亡くなってしまい、親戚とやらいう奴等に再び奴隷商へ売られたことなど。

「そっか…… 御主人様も一人ぼっちなんだね。僕にはナズナにがいるけど」

 世界は理不尽に満ちている。こうなったことを嘆いても仕方がない。ドゥエルだって好きで単体に生まれたわけじゃないし、好きで奴隷にされたわけでもない。敦と同じだ。生まれと巡り合わせは本人にどうにも出来ないことなのだ。

 だが、今の話で少年は嫌な想像をする。

 前の飼い主が死んでしまったため、再び奴隷として売られたドゥエル。もし彼が死んでしまったら、自分とナズナも同じ運命を辿るのではなかろうか。
 幸いといって良いものか、ドゥエルに身内はいないっぽい。なんとか隠れて森で自給自足な暮しをすればイケるかもしれない。だとしたら、それらの技術や知識を身に着けないと。

 アレコレ悶々と考え込む少年。そんな敦を微笑ましそうに眺めながら、ドゥエルは話を続けた。

「あとは前に話したとおり。奴隷として五十年ほど過ごして今にいたる。まあ、境遇としては敦と似たようなもんだ」

「え…? ええっ? 五十年っ?!」

「? ああ」

 ビックリ眼で身体を起こした敦に、ドゥエルこそ驚く。

 いやいやっ! どう見ても御主人様は二十代そこそこだよね? 売られた当時が十代後半だったって…… え? そこから五十年っていったら、ヨボヨボなおじいちゃんなんじゃっ?!

 疑問は口をつき、脳内をまくしたてる敦の話を聞いたドゥエルは、逆に聞き返した。

「いや、そんな馬鹿なっ! 私は今年で百六歳だけど…… 年寄りになるまで、あと百年はかかるよ?」

 呆然と顔を見合わす二人。

 そして彼等はお互いの寿命の違いを知った。

「……敦達は百年も生きられないのかい?」

「ドゥエル達は二百年以上生きられるの? ……良かったぁ」

 完全に温度差の違う二人の呟き。

 まさか百年も生きられないとは…… じゃあ、アツシはすぐに居なくなってしまうのか? 私の腕の中から? ……また一人で生きていかなくてはならないのか? こんなに幸せなのに、なぜっ?!

 そっか、御主人様はずっと長生きなんだ。頑張ってお仕えしたら、老人な僕でもここに置いてくれるかもしれない。下働きとか雑用とか、やれることはなんでもやろう。

 絶望に打ちひしがれるドゥエルと、安堵に微笑む敦。

 こうして将来の憂いがなくなった敦は、さらにティモシーという世界に馴染んでいく。





「年寄りになったら下働きをしたい? なに馬鹿を言っているの。睦むのは死ぬまでだよ? 年齢? 関係ないね」

 これからのため、自分にやれることはないかと尋ねる敦。
 それに答えたドゥエルの説明は、斜め上半捻りを遥かに凌駕したウルトラCだった。

「ははっ、そうか、アツシの世界とは常識が違うものね。この世界ティモシーでは、好きになったら一直線なんだよ。相手の命が尽きるまで離しはしない。最後の瞬間まで抱きしめ、睦み、自分の腕の中で相手を看取り、看取られるのが至上の幸福だと言われているね。」

 さらりと放たれる爆弾発言。

 え……? それって抱き殺すみたいな? 老人を?

 己の思考力の限界を迎え、敦は考えることを放棄した。そして衝撃の事実の陰に隠れてスルーされる、ドゥエルの『好きになったら』というくだり。
 あいも変わらずなスルー性能を発揮して、言われた別の事実に驚愕する少年。
 しかしよくよく聞けば、ティモシーの人々は頑健で、寝たきり老人といった状態になることはないのだとか。地球で言うピンシャンころり。
 元気溌剌な状態で突然寿命を迎えるため、ドゥエルのいうような見送り方になるらしい。敦の考える老人とは全く別物の生き物だった。

 それでも興奮が引き金にはなってるんだろうな。睦み中に逝くことがあるってのは。

 全然別物のように見えても、やはり人間には似通った共通点があるのだなと、漠然と理解する少年。

「そういうことかぁ…… でも、たぶん僕は無理ですよ? 地球人は弱ると寝たきりになったりもするんで。なるべく元気でいたいとは思いますけど」

「そうならないように我慢してるんだ。もう身体は平気か? 心身共に休めたか?」

「へ?」

 振り返った敦の視界に不安げなドゥエルが映る。その揺れる瞳に滲む慈愛。不思議に思って敦が尋ねてみたところ、彼は少年の身体や心を慮って、ここしばらく手を出さなかったらしい。

「四肢を切り落として半日精を絞られただけでナズナが壊れたのを見て…… アツシも、こうなったらとゾッとした。君の世界の人間は脆すぎる。こちらが手心を加えねば、どうなるか……。 だから、完全に回復するのを待っていたんだよ」

 ……だけって。ホント、基本が違うんだよなぁ、この世界。あんな惨い目にあったら、大抵の地球人は可怪しくなると思う。うん。

 思わず生温い目を遠くに馳せる少年。

 だが、それがあったため、ドゥエルは関係をリセットしようと思ったらしい。一番最初から始めるため、彼は敦の回復を待っていたという。どのくらいなら元気で、どのくらい可愛がると疲弊するか確認出来るよう。
 開幕、可愛がりのフルコースで絶頂漬けだった敦。敦の疲労困憊な姿しか見たことがないドゥエルは、元気で健康な少年を知らなかった。その状態を知るために、まずは休ませたのだと説明する。

 飽きられたわけじゃなかった……?

「もう三日だ。そろそろ元気になるかと思ったのに、なんかどんどん暗くなっていくし…… こっちは気が気じゃなかったんだよ?」

 優しく頬を撫でられて思わず赤面する敦。

 うわあ…… 完全な勘違いぃぃっ! 

 まさか、大切にされていただけとは思わず、とんでもない憶測で動いていた自分を少年は全力で罵った。

「そんなっ! ごめんなさいっ! てっきり飽きられたとばかり……っ! うわぁ、恥ずかしいぃぃっ!!」

 真っ赤な顔でドゥエルを見上げた敦は、そこに信じられない表情で自分を見つめる彼を見た。固まってしまったかのように動かないドゥエル。それに疑問符を浮かべて首を傾げる少年。

 黙ってしまったドゥエルだが、その脳内ではあらゆる妄想が渦を巻いていた。

 ちょ…っ、それって、私に飽きられたと思って落ち込んでいたってことかい? 飽きられたくない? 抱かれたい? 毎日、疲労困憊になるほど嬲られているのに、抱かれたいって、ソレをされたいってことっ? ねぇっ?! 思う存分、虐めて良いってことっ?! ああああっっ!!
 うわああぁぁぁっ!! どうすんの、これぇぇっ!! 本人が望んでるんだし、やってやるべき?! うんと可愛がってやるべきっ?! 止まらないよ? 良いのっ?! そんな無垢な目で見つめて、私を煽ってんのかいっ?! おねだり? おねだりなのっ?! 恥ずかしいって、抱かれたがっていることが私にバレたから? 全然恥ずかしくないよっ?! むしろウェルカムだよっ?! あああ、もーっ! 可愛すぎるでしょーがあぁぁっ?!

 己の脳内妄想とも知らず、思わず天を仰ぎ、感無量に震えるドゥエル。

「……私が君に飽きるなんてないから。あり得ないから。申し訳ないけど、君のいうヨボヨボな老人とやらになっても抱ける自信あるから」

 天を仰ぎながら呟くドゥエルは、何度も大きく深呼吸をし、無理やり己を落ち着けた。

 いや、駄目だぞ? アツシは、まだ子供なんだ。自分の身体の弱さを分かっていないんだ。ここは大人な私が自制しないと…… 

 暴れ狂う劣情を、この世界の人間にしては驚異的な理性で抑えつけ、ドゥエルは敦を諭そうと見つめた。が、そこには満面の笑みな少年がいる。

「……良かったぁぁ。これからも、宜しくお願いします、御主人様」

 眼の前で披露される天使の微笑み。

 ドゥエルの頭の中でブツンっと何かが爆ぜた。同時に股間を突き抜けていく恐ろしいほどの衝撃。
 如何にも幸せそうな顔の敦を無言で抱き上げ、ドゥエルはズカズカと寝室へ向かう。

「ご、御主人様っ?」

「……黙って。……私が死ぬ。……死ねる」

 平静を装いつつも、バクバクと高鳴るドゥエルの心臓。

 宜しくって、何をよろしくするのさっ! アレしかないよねっ?! こんな蕩けた顔でお願いされたら、止まるもんも止まらんわっ!! あーーーっ!! もうぅぅっ!! 一日くらい良いよねっ? 二度と馬鹿なことを考えないよう、この細い身体に、みっちり叩き込んでくれるわーーーっ!!

 相変わらずの見事な相互不理解。

 自分がドゥエルを煽ったとも知らない敦は、再び疲労困憊でベッドに縛り付けられるのだが、自業自得もあるので諦める他ない。

 天然誑しな小悪魔に踊らされ、今日も至福のドゥエルである。
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