異世界逃亡中 〜歌は世につれ世は歌につれ〜

一 千之助

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 異世界転生なんて聞いてないっ!

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「ふざけんなぁーっ!」

 泣き叫ぶように街の裏道を駆け抜ける少女。その後方から猪のごとく追いかけてくる三人の青年。

「ふざけてるのは貴様だっ! この魔女がーっ!!」

「いや、女神だろっ! おまえが怖がらせるからっ!」

「どっちでも良いっ! とにかく捕まえろ! 話はそれからだっ!!」

 ……のおおおおーっ!! なんでアタシがぁぁーっ!!

 この街が初めての彼女は土地勘がない。どこをどう行ったら良いか全く分からない。分からないが……

 ニコニコ笑って道案内してくれる妖精みたいなのが何匹も彼女に付き添っている。道が分かれる度に、あっち、こっちとユラユラ示す仄かな光。それに不可思議な懐かしさを感じつつも、切羽詰まった顔で爆走する少女。
 肩にかかる程度な茶色いボブの髪を振り乱して、必死な顔に見開いた新緑色の瞳。当年とって十五歳になる彼女の名前はセツという。
 そんなセツの周囲を巡る七色の光は、ぽよぽよと風を泳ぎ、彼女を招くように旋回していた。

 ……まさか、これに助けられるとは思わなかったけど、今は頼るしかないわ。

 なにがどうなったのか混乱極まりないセツにとっては天の助け。この怪しい生き物を信じるに足ると少女は思っている。
 他に頼れるモノもないし、何よりこの子らは長く共にあった仲間だ。

 七つの洗礼を受けた、あの日から。



『ふん、ふん、ふ~ん♪』

 洗礼帰り道、何気に鼻歌を歌っていたセツ。
 そのリズミカルな鼻歌を訝り、セツの父親は不思議そうに首を傾げる。

『なんだ? その変な息づかいは』

『鼻歌だよ?』

『鼻……うた? うたとは?』

『………そういや、なんだっけ? うた? あれ?』

 洗礼を受けた子供らを寿ぎ、教会の人々が口にした讃美歌。地球のように多種多様な曲調でなく、重く空気を震わす呻き声の羅列。歌詞もないソレは、讃美歌というより獣の遠吠えのようで、子供らを心底怯えさせた。
 神々を敬え、努々忘れるなかれ。そんな呪文の入り混じった讃美歌を耳にして、セツの脳裏奥深くが激しく揺れる。無窮の果ての追憶。本人に自覚すらできない何かが少女の身体を一杯にした。
 だが、掴めそうで掴めない淡い何かは彼女の中をすり抜け、高い秋空に消える。

 ぽやんっと空を見上げて歩く小さなセツ。

 無意識に鼻歌を口ずさんだ少女は、しばらくした未来に、そのわけを理解した。
 雪と書いてセツと読むことを彼女は思い出したのだ。そう、自分はこの世界の人間ではない過去を持つのだと。

 

「うわぁ……? マジで?」

 憮然とする顔を凍りつかせ、セツは助け上げた人間を見つめる。緩やかな金髪の少年。どうやら上流で転落でもしたのか、増水した河を流れて来たらしい彼は運良く中洲に引っかかっていた。
 たまたま収穫物を洗いに訪れたセツが、それを発見する。中洲に引っ掛かっていた彼は、流れに少しずつ引きずられていて今にも水面に消えそうだ。彼女はビックリ仰天し、籠を放り投げる。
 助けなきゃと増水気味の河に腰まで浸かりながら中洲に向かった時。彼女は酷い目眩に襲われて視界がダブった。
 いや実際にはセツの過去の記憶と酷似した今の状況が、既視感として脳裏に重なったのである。

 だが今は人命優先。

 次々とそぞろ浮かぶ不可思議な記憶を振り払いつつ、水の浮力を借りてなんとか岸まで少年を引きずってきた彼女は、己の頭を覆い尽くすかのように踊り狂う記憶の数々を整理する。

 ヘンテコな服装の人々。腕や足を丸出しにする破廉恥な格好に、セツは頬を赤らめる。中にはまるで布切れみたいなモノを巻き付けただけな男性などもおり、セツの常識からしたら、あり得ない光景。なのに、なぜか懐かしい。
 川辺のキャンプ。バーベキューで夕食を終え、花火や星空観測をしたりと楽しく過ぎた夏休みの一コマ。

 ……夏休み……? キャンプやバーベキュー……? なにかしら? すごく胸が苦しい。

 そして訪れた深夜。ふいの豪雨がテントを襲い、川辺でキャンプしていたセツの家族は増水した水に足を取られて流された。あっという間の出来事だった。
 時は夏休みだ。キャンプ場も酷い混みようで、それを避けるよう少し外れた川辺でキャンプしていたセツの家族は、巡回していた車の避難勧告に気づかなかった。

 家族……? え? うちの父さん達と違う。……でも。ああ、そうよ、私には弟がいたわ。可愛い弟が。

 ぶわりと押し寄せる記憶と知識。それが、この記憶の解説と捕捉をしてくれる。

 遊歩道からも遠くて浅い渓谷下。ここが危険なエリアだと知らなかった無知が招いた悲劇。
 セツの家族がいるなどと夢にも思わず、突然の豪雨でいきなり水嵩の増したダムが放水を始めてしまう。それが濁流となって押し寄せ、運の悪いことにセツと家族は、共に水に呑まれて溺れた。

 ……そう、溺れたのだ。そこから先の記憶はない。

 ぞわりと背筋を這い上がる冷たい悪寒。

 ……アタシ、死んだの? だよね? だって、今は只の農家の娘だし? 生まれ変わった? 転生? うわぁ…… マジで?

 この記憶が自分の前世なのだと、いきなりセツは理解する。
 突然蘇った記憶とともに現代知識も戻ったからだ。そうでなくば、己の頭が可怪しくなったんじゃないかと疑うとこだった。

「うっわぁ…… 死んだのか、アタシ」

 でもまあ、今は平穏に暮らしているので無問題。
 辺鄙な田舎町だけど食べるに困らないし、贅沢は出来ないけど、それなりの糧もあった。分相応な生活をしている。
 むしろ今はこっちの方が問題だと、セツは意識のない少年を見下ろした。
 とても身形の良い少年。年の頃は十二か十三か。現在十五歳のセツより歳下だろう。息もあるし危険な状態ではなさそうだが、はやく温かいところで休ませてあげなくては。

 ……歳下の華奢な少年で助かったわ。成人男性だったら運べる自信ないもんね。

 それでもずぶ濡れな件の少年はけっこう重い。ずりずりと引き摺りながら顎を上げつつ、セツは意識のない彼を肩に背負って家まで連れ帰ったのである。



「どこぞの御貴族様かな? 目立った傷もないし、事故か何かあったのかもしれん。上流を調べてこよう」

 セツの連絡を受けてやってきた村長が村人らを伴い、上流を捜索してくれるらしい。幸いなことに助けた少年は気を失っているだけで、ゆっくり休ませてやれば大丈夫だと村唯一の薬師が診察してくれた。
 良かったわと胸を撫で下ろし、セツは着替えさせた少年の服を洗おうとしたが…… あまりの高級品に絶句。これを下手には洗えない。こんな上等な服の洗い方は知らない。
 どうせずぶ濡れだったのだ。綺麗な水で濯ぐだけして干してしまおう。そう考え、セツは井戸の釣部を落とした。
 水面でユラユラ揺らしてやると水が入り、静かに沈んでゆく木製のバケツ。釣部を引き揚げながら、セツは蘇った前世の記憶にあるポンプが懐かしくなった。
 がしょがしょ取手を動かして水を吸い上げるポンプ。父方の在所には健在で、真夏の盛りにもかかわらず冷たい井戸水に、彼女は大層驚いたものである。

 ……モノは知ってるけど仕組みは分からないしなぁ。アレってどういう仕組みで動いていたんだろ。

 中を真空状態にするとか、呼び水を入れて動かすのだとか聞いたことはある。が、その詳しい内部はちんぷんかんぷん。
 タライにバケツの水を注ぎつつ、セツは思い出した前世のアレコレを渇望した。どれもこれも便利過ぎる道具だった。

 ざっと汚れや泥水を濯ぎ、少年の服を干して戻ってきたセツの耳に、奥の部屋からくぐもった呻きが聞こえる。家族は畑に出ていて、家には少年の看病のため残ったセツしかいない。
 そっと奥の部屋を覗いた彼女は、胸を押さえて苦しげに喘ぐ少年を見つけた。張り付く金髪や、はだけたシャツの襟からのぞく首筋や鎖骨には、玉のような汗が浮かんでいる。
 薬師の診察を受けた時より顔色が悪い。何かあって悪化したのだろうか。ひょっとしたら診察に見落としがあったのかもしれない。
 この国クジャラートは、セツの前世でいう発展途上国のようなモノだ。井戸でも分かるように技術的にも御粗末で、ある意味地球の過去世界。文明は精々中世初期くらいである。

 ……事故なら体内に損傷を受けていてもおかしくないよね? 外傷がなくったって、急な衝撃とかで内臓が破損したり骨がズレたりもするし? ダイジョブかな、この子。

 台所に取って返したセツは、小さなタライと布巾を持ってくる。そして少年の枕元の台にソレを置くと、ゆるく絞った布巾で顔や首筋の寝汗を拭ってやった。
 耳や生え際の辺りまで丁寧に拭うセツの視界で、その冷たさが心地好いのか少年の顔が少し和らいだ。
 
「きっとすぐに迎えが来てくれるわ。頑張って?」

 セツは布巾をタライに浸し、硬く絞って少年の額にのせる。そして髪を撫でてやりつつ静かに歌を口ずさんだ。

「我は海の子、白波の~……」

 何となくの選曲だ。少年は水の不幸に巡り合わせた。この先、水辺に怯えるようになるかもしれない。だからの選曲。

「……百尋千尋、海の底。遊び慣れたる庭広し~」

 元歌よりテンポ良く、淡々と歌うセツの視界で少年が眼を開いた。紺碧よりも青い、くすんだ瞳。

「……呼吸が楽に? ここは天国ですか? ……あなたは?」

 きょとんと惚ける年相応な顔。それに微笑みかけながら、セツは乱れた掛布を整えてやる。

「ここはクジャラート王国の田舎町。ダムよ」

 そこまで口にして、彼女は心の中でだけ嗤った。

 ……ダムとか。今思えば皮肉な名前よね。

 あの夜、闇を切り裂くように鳴り響いたダムのサイレン。あれが放水の知らせだと知らなかったセツの家族。記憶の蘇った彼女とて、今思えばという程度の感覚だ。
 巡り合わせが悪かったとしか言い様がない。放水のサイレンで起きたセツの家族は、それとともに押し寄せてきた濁流に足を呑まれ、引き摺られ、あっという間に水に浚われた。
 死んだのがセツだけなのか家族もなのかは分からない。願わくば、まだ七つだった弟くらいは助かっていて欲しい。
 
 追憶に思いを馳せるセツを、不思議そうな眼差しの少年が無言で見つめていた。
  
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