三枚重ねの真実 〜繰り返す後悔〜

一 千之助

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 三枚目のやり直し 9 ☆

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「……何を言っているんだ、ハルト。君が死ぬ?」  

 驚愕に顔を強張らせて、ハウゼンは公爵家の兄妹を見つめた。
 
 お茶に招かれてやってきたものの、開幕の爆弾発言。ライルといい、マリーといい、予備動作もなく絨毯爆撃をかますのは、公爵家の血統なのかもしれない。

「すぐにじゃないよ? 三十七かそこらかな」

「長いなっ? 俺、三十一で死んだぞっ?」

「わたくしは幾つまで生きられるのかしら。初めての経験で分かりませんわ」

 まるで世間話のようにのほほんと言葉を交わすハルト達。
 それを信じられないものを見るような眼差しで凝視するハウゼンに気づき、ハルトは笑った。
 ハウゼンが初めて見る微風のような笑顔。

 ……いや、違うな。あの時にも見た。

 彼をハルトにへと沼らせた思い出。

 それを脳裏に浮かべる前に、ハルトが神妙な面持ちで話を切りだす。

「そういうわけで、公爵家には跡取りがいなくなる。だから、いずれ君の物になるから、傾けないで欲しいんだ」

 ぴくっとハウゼンの肩が揺れた。

「……なんのことだ?」

 しらばっくれようとて、それを許さない三対の眼。

「知ってるんだよ、僕ら」

「疫病運んだだろ? ネズミ使ってさ。そういうこと考えてるべ? んで、盗賊を装わせた私兵に街道を通る荷馬車を襲わせて? 公爵領地を孤立無援に追い込む算段してっだろ?」

「そして、末子継承のしきたりを使って、公爵家に乗り込もうと考えておられますわよね」

 次々と語られるハウゼンの黒い企み。 

 確かに考えてはいた。どうやったらハルトを手に入れられるかと。それに伴い、色々な画策もしていたハウゼン。

 ……だが、まだ何も手をつけていない。全ては頭の中の妄想だ。なのになぜ……?

 しだいにカタカタと揺れ始めた彼の指先を見て、ハルトが小さな嘆息を漏らした。

「それ、全部成功させちゃってるんだよねハウゼン兄様。未来でさ。なんとか阻止しようと思った僕らは、魔女の黄泉がえりの秘術で過去に戻ってきたんだ。……まあ、無駄な足掻きに終わっちゃったけど」

「……それが本当なら。……俺に手立てはなくなったということか?」

 かちゃっとカップをソーサーに戻し、ハウゼンは剣呑な眼差しをハルトに向けた。

「んーん。最初に話したでしょ? そのせいで、僕らの寿命、半分になっちゃったって。いずれ消えるからさ。平和協定を結びたくて」

「平和協定……?」

 途端にライルが獰猛に眼を剥いた。

「ハルトを自由にしろ。先が短いんだ、拘束したり、嬲ったりすんな」

「殿方の熱病は分かりませんが、無体を強いるのはどうかと思います」

 ハウゼンにとっては、それが全てだ。他など要らない。ハルトさえいれば良い。ハルトを思いのままに出来ないなら本末転倒。公爵家が手に入ったとて意味はない。
 そう叫ぼうとした瞬間、ハルトの声がハウゼンの鼓膜を撫でた。ゆうるりと擽るように届く甘い声が。

「……自由恋愛の範囲なら。付き合っても良いと思ってるよ、ハウゼン兄様と」

 はにかむみたいな淡い笑みで、平然と答える兄に、再びライルが眼を剥いた。

「ハルトっ?!」

「終わったというか、無かったことにされたというか…… 僕ね、ハウゼン兄様を一度殺してるんだよね」

 どくんっとハウゼンの胸が大きく鼓動する。

 ……俺を殺した? ハルトが?

 言いしれぬ昏い歓びがハウゼンの胸を満たす。最愛に殺されるなど、極上の死に場所ではないか。きっとハルトは俺のことを忘れない。それはずっとハルトの心に突き刺さる楔となるだろう。

 そんなゾワゾワした愉悦に震えるハウゼンを余所に、ぽんやりとした顔で話をつづけるハルト。

「そのお詫びかな? 僕は特に好きな人とかいうのもいないし、ハウゼン兄様の本気度は知ってるし? 短いなりに人生を楽しもうって決めたからさ。恋人の一人くらい良いかなって」

「恋人……で居て良いのか?」

 理路整然としたハルトの語り口調。どうやら洗脳が解けてしまったらしいと感じたハウゼンは、あの残酷な狼藉を与えた自分を、まだ恋人と呼ぶハルトの意図が分からない。

「堕としたい気持ち。なんとなく分かったから。……もう、とっくに堕ちてるよ?」

 王手である。ハウゼンは空を振り仰いだ。

 次期公爵なハルトは、ハウゼンにとって遠い人間だった。歯牙にもかけらぬ末流の自分。そんな遥か高みに座する彼を自分のところにまで引きずり下ろしたい。
 とことん、傷つけ、穢し、すがらせなければ、ハウゼンはハルトを抱けなかったのだ。ハルトに求めてもらわなくば、怖くて指一本触れられなかったのだ。

 それほどに尊く愛しい存在。

 歪んだ愛情。捻れた欲望。ハウゼンの特異な性癖は、尊い生き物を己の劣情に見合う位置まで引きずり降ろさねば抱けない、拗れた恋心から生まれたものだった。

「……ハウゼン兄様が上っておいでよ。僕の隣にさ。何度も堕ちるのは、ちょっと辛くて。ね?」

 目眩がするほどの誘惑。ハウゼンは、自分勝手に創り上げた牢獄の鍵が壊れる音を聞いた。

 ハルトに告白された時は天にものぼる心地だった。触れて良いのか迷いつつも男の劣情に屈服した。
 そして身体を重ねるたびに重く伸し掛かる罪悪感。
 何も知らぬ無垢なハルトを暴く至福と、高貴な者を貶めている自戒。噛み合わぬそれらを噛み合わせるため、ハルトを穢し、辱めた自分。
 男達に嫐られ、ボロボロになったハルト。それを清め、癒やしてやるのだという倒錯的な欺瞞で彼を抱く理由を作っていた。
 助けて、離さないでと望むハルト。それを叶えてやるハウゼン。怖いと泣けば、怖くないと抱きしめてやり、恐怖に染められた最愛を悦楽で上書きする心地好さ。
 これはハルトの求めていることだ。ハルトの望んでいることだと理由をつけねば触れられなかった。

 そんな愚かで臆病者だった自分。

「………触れて……も?」

「うん」

 望んでもらえた。

 ハウゼンは、恐々とハルトの手を握る。

 細く柔らかな手だ。それに指を絡めて、無意識に指の間を擦る。

「……ん」

 少し恥ずかしげなハルトの声。それだけで全身が粟立ち、ハウゼンの鼓動が高鳴っていく。
 ほう…っと熱く蕩けるハウゼンの息。まるで初めて恋人に触れたかのような甘い感動が彼を包みこんでいた。

「……ありがとう」

 感無量な面持ちで呟く彼に、ハルトは昨夜の憶測が正しかったことを知る。

 ……やっぱり、ハウゼン兄様が望んでいたのは、僕だったんだね? ……なんでだろ、あんなに酷い目にあったのに嬉しい。

 ねっとり絡みつく綿菓子のような甘さ。そんな空気に支配された室内で、何を見せられているのか分からないライルとマリーが、今日一番の被害者である。

 ……うっざあぁぁ。

 ライルの魂の叫びだった。

 こうして、拗れに拗れた恋心は上手いこと収まり、四人はそれぞれ人生を愉しんだ。


 
「……下ろして?」

「駄目だよ」

 食堂の片隅に座り、ハルトに食べさせるハウゼン。

「こうしたかったんだ。可愛いね。恥ずかしい? 顔が真っ赤だぞ? ふふ、ほら、もっと舌を出して?」 

 ……理不尽がなくなっただけで、人の本質って変わらないのかな?

 ハウゼンの膝にがっちり固定され、しかたなく食べさせてもらうハルト。
 一時、険悪だった二人が甘さ倍増で帰ってきて、どう反応したものかと狼狽える周囲の学友達。

 ……ええ加減にせえよ、お前ら。

 もっもっと無言で食事をしつつ、まあハルトが幸せなら良いかと、前世とは別の意味でスルーするライル。
 どこへ行くにもべったりで糖度高めな二人に、オベロンも閉口していた。もちろん、口を開けば砂糖が吐き出されそうだからだ。

 ……雨降って地固まる? 嵐みたいだったけど。土砂崩れでも起きて、平坦になったのかな?

 当たらずしも遠からず。

 だが学園卒業間際。この束の間の平穏は、ハウゼンの暴走により打ち砕かれた。




「なにして……っ! やめて、ハウゼン兄様ぁぁーっ!!」

 ハルトの卒業式。

 御祝のためにやってきた公爵一家を襲い、ハウゼンはマリーを拉致した。
 そして尖塔に駆け上ると、囚えたマリーの首筋にナイフを突きつける。

「結界の魔女から聞いたんだ。ハル? マリーが寿命以外の死因で死んだ場合、君の対価は支払われなくなるんだよね?」

 ぞわっとハルトの背筋が粟立つ。

 ……なんで? どうしてハウゼン兄様が。

 それを見て、ハウゼンがうっそりと嗤った。

「……探すのに苦労したが。見つけられて良かったよ。君を救う術があって。私より先に君が死ぬのは見たくない。それくらいなら、私は悪魔にでもなるよ。ごめんね、マリー」

 ……僕達が黄泉がえりのことを教えたせい? それでハウゼン兄様は、魔女達を探し当てて?

「やめてーーーっ!!」

 今にも妹の喉にナイフを突き立てんとするハウゼン。それに絶叫し、ハルトは渾身の力でハウゼンに体当たりをした。

 落ちるナイフ。倒れるマリー。そして……

 バランスを崩し、尖塔から落下していくハウゼン。

「ハウゼンーーーっ!!」

 眼を見開いて、自分へと手を伸ばす最愛。

 ……ああ、これで良い。置いていかれるなんて冗談じゃない。覚えていてくれハルト。お前の殺した男を。

 落下したハウゼンはしばらく意識を保つ。

 あちらこちらから悲鳴があがり、誰かがハウゼンに駆け寄ってきた。

「しっかりしろっ? おいっ、担架を早くっ!」

 叫ぶオベロンに心地良い微睡みを邪魔され、ハウゼンは顔をしかめる。

 ……うるさい。

 だが、その横に跪いたハルトを見て、ハウゼンは眼を蕩けさせた。

「ごめんっ! こんなつもりじゃ……っ! 死なないでハウゼンっ!!」

 ボロボロと涙を零し、クシャクシャな顔で己を呼ぶ最愛。
 遠のく意識の中、良い人生だったとハウゼンは笑った。

「ありがとう……」

 至福の笑みで死んだハウゼンの最後の呟き。

 それの理由を知る者は、誰もいない。
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