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原点 一枚目の真実 3
しおりを挟む「父上っ! 本当にハルトを男爵家になど売るつもりですかっ?! お前もだ、ハルトっ! 無理せずとも私の補佐で働いてくれたら良いのだぞ?」
親戚宅で声を荒らげるのはハウゼン。ハルトにとってまた従兄にあたる青年だ。
血も涙もないような親戚宅で、彼だけはハルトに親身になってくれた。粗末な部屋や食事しか与えられないハルトを心配し、寒い夜には自室に招いてくれ、温かなベッドにこっそり入れてくれた。
叔父達の眼をかすめては食べ物を分けてくれたり、お下がりと称して彼の古着を渡してきたり、ハウゼンにはとても世話になった。
『今は我慢してくれ。そのうち、私が正しく跡継ぎと認められたら、きっと君を助けてみせるよ』
爵位を売るための人形としてしか価値のないハルトを慰め、労ってくれた唯一の人間。
とうとうハルトが売られると知り、ハウゼンは激昂している。力ない己を酷く嘆いていた彼。ハルトを救えないと。すまないと、いつも切なげに顔を歪めていた彼。
『……私に爵位さえあれば。君に辛い思いをさせずにすんだのに』
眼の前で父親と喧喧囂囂な言い争いするハウゼンに、ハルトの心が少し温かくなった。自分を慮ってくれる彼にハルトは十分救われていた。
「ハウゼン兄様。私は今回の結婚に感謝しているのです。これでようやく叔父上にも恩返しが出来ますし、こちら様へ迷惑もかけずに済みますから」
「ハルトっ? ああ、なんてことだ…… 君は正しく公爵なのにっ! 私の力が及ばず、すまないっ!」
地位は、財力や権力が伴ってこそ意味を持つ。それのないハルトにとって、公爵の肩書は重荷でしかない。
こうして多少の紆余曲折はあったものの、ハルトとナタリーは結婚する。その結果は、家族全てを失ったという現実に直視するだけで終わったが。
「貴方…… 本当に行ってしまうのですか?」
不安げな顔でハルトを見つめるナタリー。彼女の下には、夫婦の子供が居た。男の子二人と女の子一人。奇しくもハルトと同じ兄弟構成だ。
「約束どおり、長男に爵位を譲っておくよ。今の私はただの男だ。……弟一人救えなかった……ね」
あの日、哀しい邂逅を果たしたライルとハルト。妻の勧めで弟を引き取った彼は、領地外れの小さな家で暮らした。
夫としての務めを果たす以外はライルと共にあり、ナタリーの心遣いで弟は短くも幸せな人生を歩んだ。
そう…… たった二年だったが。
憔悴の激しかったライルは回復せず、小康状態を長く続けてこの世を去る。ときおり破顔するように笑ったり、ぼんやり淡く微笑んだりと、ライルの心は落ち着いていたのに。
その奥底に穿たれた悪夢は拭えず、夢の中の彼は酷くうなされ続けていた。泣き叫んで飛び起きる弟を必死に抱きしめて過ぎていく日々。
窶れ、疲れ果て、一日のほとんどを眠って過ごしていたライルは、一日のほとんどが悪夢に見舞われていると同義だ。休まる暇もない。
そして当然のように訪れた終わり。
失意に暮れて各地を放浪したハルトは、この国の伝承に取り憑かれた。黄泉がえりの御伽噺に。
失われた過去をやり直す物語。今のハルトにとって、どれだけ魅力的なことか。
ナタリーや子供らに爵位を譲り、それによって得た金子でハルトは国中を回った。少しでも手がかりがありそうな場所を巡って何十年とかけ、辿り着いた先が件の魔女達の結界だったのだ。
そしてハルトの希望は繋がれた。
カチャンとカップをソーサーに戻し、ハルトの潤む視界が歪んでゆく。
……還ってきた。幸せだった時間に。
この逆行の魔術は、かけられた者の人生を対価とする。新たな時が進むにつれ、どんどん削られていく寿命。十年生きれば十年。二十生きれば二十年寿命が縮む。
倍の消費で燃やされるハルトの魂。前世は齢七十まで生きたが、今世はいかほどか。上手くすれば三十年ぐらい生きられよう。
……でも、それだけあれば大丈夫。ライルを立派な領主に育てて領地を任せるのだ。今回は私も領地にかかわろう。前世のように父上が破産することは防がないと。
子供たちを呼んでくると席を外した夫人。
それを今か今かと待ちわび、ハルトの心は躍る。
「……初めまして。君達の兄、ハルトだよ」
ぽややんと見上げてくる可愛い兄妹。
「あに……うえさま?」
「うん。よろしくね」
ふわっと赤くなる小さなライルの頬。
……ああ、変わらない。
笑った幼子の顔が、前世の弟と重なる。
……今度こそ二人を守るんだ。絶対に奪われはしない。
固く心に誓うハルト。
早くから親交をもった彼等は、長く幸せな時を過ごした。妹のマリーなど、ハルトを同腹の兄妹と思っているくらいだ。それほど仲睦まじく暮らした公爵家。
「兄上様ーっ! お帰りなさいっ!!」
「ただいま。良い子にしていたかい?」
学校に入学して寮生活となり、長期休暇ぐらいしか公爵家に帰れなくなってしまったハルトは、元気に出迎えてくれるライルを力一杯抱きしめた。
「ああ、また大きくなったんじゃないか? 背も伸びたし重くなったな」
「はいっ! すぐに大きくなって、学校にいきますっ! 兄上様、待っててくださいねっ!」
天真爛漫に笑う弟に、ハルトの眼が思わず感慨の涙を浮かべる。懐かしさと安堵が入り混じり、止めようがなかった。
「兄上様? なんで泣くの? お腹痛いの?」
オロオロ宥め、必死に涙を拭こうとする小さな手。それを掴んで口づけ、ハルトは弱々しく微笑む。
「違うんだよ。嬉しくて、胸が一杯でね……」
ライルに少し遅れて出迎えに現れた公爵一家も、はらはら涙するハルトに驚いていた。
「どうかなさったの? ひょっとして学校でお辛いことでも?」
相変わらずな優しい眼差しの義母。
「にーたまが、あにしゃま泣かしたーっ!」
「ちが……っ! えええーっ?」
おしゃまな口ぶりに拍車のかかっているマリー。
「違うんだよ。ライルが大きくなってたから嬉しくて…… すぐに独り立ちして、私なんか見向きもされなくなるんじゃないかと」
「……その感慨は親の特権だ。少し年寄り臭いぞ、ハルト」
眼を据わらせて呆れ顔な父公爵。
……すいません、中身の実年齢、父様どころが御爺様すら越えているんですよ。年寄りなんです、私。
噛み殺し切れない笑いをもらし、ハルトはライルを抱きかかえたまま家に向かった。
誰もが羨む仲睦まじさ。
これが再び壊されるなどと、当のハルトすら思ってはいなかった。
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