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 教会との遭遇 3

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「チイに手を出す奴は殺す」

「こちとら、伊達に長々とハンターやってないぜぇ、来るなら、来いやあっ!」

「兄さん、煽らない。チイ? 動かないでね?」

 ゆらりと歩を進める周りの獣人達。

 その眼は血走り、荒らいだ呼吸が不穏に空気を揺らしていた。どろりと濁った白眼。そこに走る毛細血管の赤が悍ましい。
 全身を総毛立たせて震える千里だが、周囲の空気を爆発させるような雄叫びを獣人らがあげた時。

 かっと静電気のようなモノが教会内部を駆け巡った。

 それは床を舐めるように縦横無尽に暴れまわり、荒ぶる空気を瞬く間に霧散させる。

 ぼう……っと惚けた人々が、はっと我に返り、キョロキョロ辺りを見回した。

「……今、何が?」

「あれ? 俺ら何してたっけ?」

「さあ? なーんか、頭がぼうっとするけど」

 軽く頭を振り、不思議顔な獣人ら。

 何が起きたのか、千里達こそ分からない。

 そこに小さな笑いがまろびた。

「教会は禁域。ここで荒事は起きません。そういう場所なのです。だからこそ、ここにお招きしたのですから」

 ふくりと眼を細める教皇様。

 聞けば、教会には常時結界が張られており、万一、獣人の暴動が起きても、それを制する魔術が働くのだという。

「過去には凄惨な出来事もありました。……そりゃあもう、血で血を洗うようなね。……教会は努力したのです。ここが平和であるように」

 どこか遠くへ思いを馳せるように、教皇は天を仰いだ。

 ……苦労人なのかもね。こうしてアタシ達も助かったわけだし。

 言語に尽くせぬ何か。

 それを感じ取り、千里は、へなへなと安堵に崩折れた。

「俺らの失態だな。知っていたのに……」

「しかたないよ、実際、匂いが漂うまで、すっかり忘れてたもん」

「だあなぁ…… 強烈な誘惑なのにな。慣れって怖いよなあ?」

 何でもないような口調で話す夫達の姿に、教皇は信じられないモノを見る眼差しで四人を凝視した。

 ……彼等は女性の体液が放つ原始の誘惑に惑わされない? どうして? これは本能を激しく揺さぶる劇薬だ。なのに、なぜ?

 愕然と立つ教皇。それを遥か高みから見守る誰かが叫んだ。



《そのために彼等の下へ彼女を送ったのです。……獣人の歪みは、クローンを繰り返すことで浄化されてきました。……彼等は獣人の中でも、一際理性的で穏やかな獣人。……お願いします、気づいてください。オウチを救えるのは女性でも渡り人でもない。進化した獣人なのだと…… 気づいてっ!!》

 慟哭にも似た切なる叫び。

 生き物は進化も退化もする。獣性に偏り、共食いのような荒ぶ世界だったオウチは、王家や教会の尽力で現状を維持してきた。ある意味、退化ともいえる長い混濁の時代を。
 そして訪れた平穏。未だ未発達ではあるものの、それなりにルールも出来てルールを守る品性も培われた。まだまだ野蛮の一言ではあるが、一時の平和な時代がやってきたのだ。
 そして、そういった流れの中で生まれた理性的な獣人。ラウル達。
 荒事に興味がなく平和主義な彼等は、獣人の中でも異質だった。千里が彼等となら共にいたいと思うほどに。

 さらに彼等は千里と暮らし、満たされることを識るに至る。

 満たされぬ飢えに喘ぐ獣人らの中で、唯一、満たされることを識ったラウル達。
 獣性に流されず、それを抑えてでも千里を守ろうとした彼等は、千里を知るにつれ、その獣性が薄れていく。
 本能の赴くまま彼女を貪れば、間違いなく殺してしまうという恐怖。それが彼の中にある未知の扉を開いたのだ。

 進化に至る扉を。

 愛すると喰らうが同義な獣人。

 その喰らうの部分のみを薄れさせ、激情が激愛となり、真に慈しむことを覚えたラウルらは奇跡の存在。
 それに至らせた千里も、非常に稀有な生き物だった。

 遥か高みにいる何かは、これに甚く感動する。

 この何かにとって、地球の人間をオウチに送るのは賭けだったのだ。

 強靭で無骨な獣人の世界である。か弱い人間が放り込まれたら生きていけるわけがない。だから今まで、この何かは、強靭で強い生き物のみをオウチに送っていた。
 なるべく高い文明を持つ世界の人間を譲ってもらって、延々と。
 だが、オウチは繁殖を神聖とする野蛮な世界。そんな世界に送られた渡り人らは、誰もが種付けに利用される。
 科学や技術、知識など、伝える暇もない。
 寝る間も惜しんで睦み、睦まされ、子供を作るためだけの道具にされる渡り人達。
 送り続けた渡り人らも、獣人らと変わらぬくらい強かったのが徒となる。容赦ないオウチの洗礼で、渡り人は心だけ壊された。
 このままでは変わらない。変えられない。どれだけ異世界の人間を送っても意味がない。

 だから…… 何かは、賭けたのだ。

 一発でも殴られようものなら死んでしまいそうな人間を送り込んだらどうなるか。
 進化の兆しを見せるラウル達が、千里と出会い、どう変わるか。
 
 そうして、何かは、地球の神から譲ってもらった千里に土下座して謝り、オウチの世界に送り込んだ。何も予備知識を与えず、ありのまま受け入れてくれるよう、若い者を選び。
 右往左往する千里を可愛がり、慮り、ラウル達も変わっていった。
 千里を失う恐怖に怯え、壊してしまうかもしれない不安を学び、彼等は如実に変貌する。

 そして満足を得て、ラウル達は獣性に抗った。千里や我が子を損なってしまうかもしれない獰猛な本能を、見事に抑え込んだ。

《……………良かった》

 感無量で外界を見つめる何か。

《……オウチは救われる。ああ、長かった》

 何かの見つめる先には、未だ瞠目したまま動けない教皇様。
 
 いずれ教皇も識るだろう。オウチの獣人らの進化を。獣性と上手く折り合いをつけ、飢えが満たされた獣達が愛を識る未来を。
 
 抽象的だから説明しにくい、分からないと、前に宣った千里。しかし、彼女の存在そのものが愛だった。ラウル達の愛が彼女を生かしていた。
 愛なくば、今の千里はない。激情のみの獣人に翻弄され、とうに息絶えていただろう。
 夫らの深い愛と労りが千里を守り、生き永らえさせ、子を産ませたのだ。

 今はまだ、その一歩が記されたのみ。

《楽しみですね…… ああ、これが幸せというのでしょう》

 ふふっと笑った何かは、その幸せを祝福として、オウチを渡る風に通わせる。

 何かは、ずっと願う。千里と子供達の平穏を。

 それはきっと、明るい未来に違いないと。
 
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