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 教会との遭遇

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「なにこれ?」

「結界。教会が譲ってくれた精巧な道具だ」

 千里の首輪につけられた小さなチャーム。

 これは全てのフェロモンを霧散させる結界道具で、ラウル達のマーキングすら消してしまうため、三人はギリギリと奥歯を噛み締める。
 だが、雌の匂いを放ちまくる千里には必須の道具。その理由を知ったラウル達は、教皇の説明で顔面蒼白になった。



『……媚薬の原料が女達の蜜?』

『左様。女の殆どいないデセールでは高価な代物ですがな』

 教皇の話はオウチの世界の裏事情。

 獣人らを興奮させアドレナリン漬けにする媚薬。これにより初物でも痛みが薄れ、性に貪欲となる薬物の主成分は、女から採取した愛液だった。
 ほんの一滴混ぜただけで、五感の鋭い獣人には効果覿面。雌を求める本能が炸裂し、得も言われぬ劣情と快感に溺れさせられるという。

 教皇の説明にラウル達も納得した。

 千里を加えて睦みだしてからというもの、彼等は天井知らずな激情に踊らされていたからだ。満たされぬ飢えが満腹になるほど深く濃い劣情。それが埋め尽くされ満たされる至福。
 夢心地な満足感に抱かれ、ラウルは何もせずとも達してしまった己を思い出す。

『……本物の雌に各国が目の色を変える理由です。あの無限な愉悦を与え、満たす本物の女性の体液は極上の甘露。極僅かでも獣人を昂らせ、雄の本能を逆撫でる。……それを放置してはおけないのですよ。だから、出かける時は細心の注意を。このチャームで、雌の匂いを消してください』

 差し出されたチャームを見て、ラウル達は複雑そうな顔をする。
 あの体液の甘さに有頂天になったが、今の話を聞けば、女性の体液はどの獣人にも甘く感じられるのだろう。
 つまり、ラウル達の特別だったわけではない。相性の良い個体ではなく、どの獣人にも垂涎な獲物だっただけ。

 ……けど、それがどうした?

 ラウルの脳裏に、黒々とした欲望が渦を巻く。

 真実が何であろうと、経緯がどうあれ千里は三人にとって大切な妻だ。念入りに調教して受け入れさせた可愛い番だ。
 育まれたこの想いは偽物でない。マーキングしたあの瞬間。全身に駆け巡った満足感は本物だ。

 ぶるっと背筋を震わせ、ラウルは獰猛な眼差しで教皇を睨めつける。
 その気持ちが伝播したのか、ヒューはもちろん、あの茶目っ気一杯なショーンすら、挑戦的な面持ちを崩さず、鋭い眼光で教皇を射貫いていた。

 ……一端の男の顔をするようになったな。

 妻を通して固まる兄弟の絆。

 それを察した教皇は、深々と溜息をつくほかなかった。



「ふうん? アタシの匂いを消す道具か。なるほど?」

 自分達の匂いまで消され、憤慨しつつも、ラウルは仕方なさげに頷く。

「雌の匂いは特殊でな。今のチイは体の良い獲物でしかない。暴動すら起きかねないから、こうして匂いを消すらしいんだ」

 そう。これは嫁を持つ獣人全ての義務だった。

 番は家に閉じ込めて出さない獣人だが、中には出さざるをえない場合もある。
 結婚式や御披露目、社交界デビューなどだ。平民ならともかく、上流階級ほど、このしきたりからは逃れられない。
 だから造られた道具だ。衆人環視であっても盛る時は盛るケダモノ達を興奮させないために。
 このチャームのおかげで、女性らは夜会や茶会にも参加出来る。無論、女性というだけで淫猥な劣情を抱く男達に、舐るがごとく視姦されるのは拒めないが。
 番に善からぬ視線を向けられ、激怒した夫が刃傷沙汰を起こすまでが御約束なのだと聞き、千里は呆れた。

「そこまでして出さなくても良いじゃない。アタシは閉じ込められていても平気よ?」

 そう。ラウル達が探してくれた新居は深い森の中。この森一帯を買い占めたというから驚きだった。
 千里が家の中だけでなく自由に森を歩き回れるよう、彼等は大枚はたいてこの家を購入する。
 元々、御貴族様の別宅だったという新居は、それに相応しく広い。一階は応接間とホールと食堂。それに客間が二つと浴室や台所。サンルームまである充実ぶり。ちなみに客間の一つはスライムの飼育室にされていた。
 二階の半分は大きな主寝室。地球でいうキングサイズのベッドより何倍も大きなベッドが置かれ、専用の浴室や簡易キッチンもあった。
 冷蔵庫に食糧を詰め込み、何日でも番と睦み、籠もれる仕様。
 そういうことにだけは抜かりのない獣人の閨事情に、千里は乾いた笑いをもらした。

 残り半分には個人の私室。

 それぞれ、地球でいう畳二十畳くらいなスペースの部屋を好きなように使っている。
 ラウルは重厚な書斎机を置いて、部屋の半分が本棚で埋まっているし、ヒューは狩りが好きだとかで、それ用の装備や道具が所狭しと並んでいた。
 ショーンの部屋は意外なことにカントリー調。寛ぎやすいカウチやソファーなどに、彼お手製のカバーやクッションが飾られている。
 並べられた棚にもひしめくように入れられた布や糸。いくつものトルソーが並ぶその様は、どこぞのテーラーのようだった。

「兄貴達の服も俺が作っているからね。チイにも作ってあげるね」

 にまっと笑う末っ子様。これも妻の嗜みらしい。

 ……うわあ。アタシ、裁縫苦手なんだけどなぁ。

 ワイルドで大雑把な獣人らに不似合いな繊細さ。これも、草食や雑食な獣人らならではの特徴なのかもしれない。
 ショーンは、二人も妻がいるのだし千里は何もしなくて良いと言うが、いたたまれなくなった彼女が、ショーンに手ほどきを願うのも人情だ。
 とりあえず小さなものからと、ベタだがハンカチに挑む千里。四方をかがり、一枚のハンカチにしたモノに刺繍を施す。

「とりあえず名前と…… チイの好きな物を刺してみたら? 花とか、鳥とか」

 懇切丁寧に教えてくれるショーンに頼りながら、千里は小さな林檎を刺した。これなら分かり易いだろうと。
 いびつな林檎だったが、もらった三人は感無量。裁縫をしたこともないという妻の力作、それも最初の作品だ。これに涙せずおらりょうか。

「大切にするっ! ありがとうな、チイっ!」

「……素晴らしい。これに似合う返礼をしないと。欲しいものはあるかい?」

「上手に出来てるよ。初めてとは思えないね。すごいよ、チイ」

 口々に褒めまくられて、千里も悪い気分はしない。また、なにか小さいモノに挑戦してみようと奮起する。

 そんなこんなで楽しい我が家。

 誰かの同行があれば森の散策も出来、ショーンと二人で家に生ける花を摘んだり、森の恵みを分けてもらったり。とても充実した生活を千里は送っていた。

 ……自由に森を歩き回れる彼女は気づかなかったのだ。

 なぜにラウル達が丸々森を買ったのか。なぜに新居が森の奥深くにあったのか。
 その新居に、なぜ地球の核シェルター顔負けな地下施設があったのか。

 どれもが、妻たる女性を守るためな夫達の努力だと知らない千里。

 知らない彼女は、やらかした。

 これを軽んじた千里によって、彼女達を招いた教会は阿鼻叫喚に陥る。 
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