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 野生の悪役令嬢 7

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「ひ…っ! 御嬢様っ! 足元っ! 足元が危のうございますっ!!」

 素足にサンダルという格好で川沿いを歩くエカテリーナに、リィーアが青ざめて絶叫する。
 どうやら彼女は、妊娠した女性といるのは始めてのようだ。しかもホイットニーからあらゆる知識を伝授されており、知識が先行してあれやこれやとエカテリーナの世話を焼こうとする。

『妊婦は身体を冷やしてはいけないのでは? え? 走って……? あああ、走ってはーっ! お子にさわりますぅぅーっ!!』

 軽く駆け足しただけなのに、絶叫するリュート。こちらも妊婦という生き物を知らないらしい。
 ホイットニーも知識のみで、妊婦とかかわったことはあれど、その詳細までは理解していない。自身の知識と照らし合わせて、妊婦らしくないエカテリーナの行動に目を丸くしていた。

「妊婦とは疲れやすく、安静が必要なのではないのですかな?」

「たしかに疲れやすくはなりましたわね。でも、動かないのは悪手と存じますわ。休み休みでも、動いたほうが体調も良いのです」

「ほほう……」

 ここは異世界だ。それも中世観の強い。

 医学は薬学くらいで、手術だのの外科的なモノは存在しない。そういった目に見える損傷は魔法で治せるためだ。
 病は神の領域。人の手でどうかなるモノではなく、痛みなどの不調を緩和する薬学のみが発達している。

 ……地球の過去でもそうだったしね。ほんの数百年も前には、漢方とかの医師しかいなくて、怪我を治療する外科は、床屋なんかの刃物を扱うところが兼業してたんだっけか。日本でも切ったり縫ったりする医者が外道とか呼ばれる語源になったんだよね。

 今でも有るのか分からないが、床屋を示す縦長なトリコロール。くるくる回るアレは、青が静脈、赤が動脈。そして白は包帯の色を表しているという。
 つまり、ここでは怪我の手当てをしますよという目印だった名残りだ。
 こうして考えると、進んで見える地球の発展した医学も、実は始まったばかりで歴史が浅かったりする。

 そんな前時代真っ盛りなこの世界。

 ホイットニーも本でしか知らないアレコレと、薫から聞く実際の妊婦との乖離を興味深げに擦り合わせていた。

「わたくしが思うに、今の王侯貴族らの妊娠、出産が酷く危険なのは、妊婦を動かさないためだとも思いますわ。食べて横になるだけでは、どんどんふくよかになってしまいますもの。血の巡りも悪くなりますし、増えたお肉が子供の通る胎内の道を狭めてしまうと思いますの」

 地球でなら常識の妊娠中毒や、よろしくない体重増加。ここは、それが当たり前に蔓延する世界なのだ。
 ただでさえ牛の歩みみたいにしか動かない王侯貴族の夫人なら、些細な体調不良でも安静にしてしまう。結果、筋力が衰えて身重な身体を動かせなくなり、さらなる体調不良を喚ぶという悪循環。
 当然のように体重も増加の一途をたどり、いざ出産となった時、非常に危険な難産となる。

 論理立てて、とつとつと語るエカテリーナの話に、ホイットニーは目から鱗の気分だった。

「なるほど…… いやっ、それは有りえますな。身重と言われるくらいです。ただでさえ動けない身体が、余計に動けなくなってしまう。人の筋力が衰えるのは早いですから。……寝たきりな暮らしは楽ですが、むしろ妊婦を弱らせてしまうかもしれないということか。それが出産にも悪影響を及ぼすと…… ある。有りえますぞ?」

 ふむふむ頷きつつ、勝手に妄想を膨らませて正解に辿り着くホイットニー。
 どこの世界でも識者とはこういう生き物なんだなあと、しばし感心していた薫は、ふと思いついたことを口にする。
 股関節を広げるや、出産を楽にするため産院などで指導を受けた妊婦体操だ。他にもカエル歩きの雑巾がけなど、この世界でやれそうなことは幾らでもあった。
 無理のない程度に身体を動かす方法。産んだ後、子宮の収縮を助ける産褥体操など、出産経験を持つ薫は知っている。
 しかし、それを個人的にやるのは問題ないが、世間に広めるとなるとどうだろうか。異端の烙印を押されて、村八分になりかねないのではないか。

 ……そんな危険を冒す必要はないわよね。アタシはチビと幸せになるためだけにやってきたんだし?

 そう自問自答で納得し、薫は多くを語らない。

 この世界は、この世界のスピードで進化してゆけば良いのだと。この時の薫は、そう思った。

 ホイットニーは、弟子らに別邸の教育を丸投げしてエカテリーナと楽しく談笑する。それに苦笑いしながら、エカテリーナも祖父と孫のように彼と仲睦まじくなり、日々が穏やかに過ぎていく。

 そして、十日も経った頃。

 次の刺客がやってきた。




「王太子殿下の使者ぁぁーーーーっ?!」

 青天の霹靂で思わず淑女の仮面をかなぐり捨てるエカテリーナ。
 のんべんだらりと暮らす彼女は、ホイットニーの前でだけ猫を喚んでいた。そりゃあもう、見事なくらい何匹も。
 それらがぴゃっと逃げだし、素に戻ったエカテリーナを訝しげに眺めつつ、スチュアートは簡潔に話を進める。

「……私が追い払いましょうか? お命じくださいませ」

 うっそりと深まったスチュアートの笑みに感じる警鐘。けたたましく鳴り響くそれは、エカテリーナの胸に妙なざわめきを巻き起こす。

 ……この顔。あの時と同じね。……フーがおかしくなった、あの日と。

 フーの様子が変わったのを見て、薫はあらゆる思考を巡らせた。そして思いだしたのだ。あの時、スチュアートに悪徳商人を徹底的に成敗するよう命じたことを。
 その後起きた猟奇的事件の被害者が、その悪徳商人であったことも後で知った。
 因果応報だわと、その時は思ったが、そこからおかしくなったフー。時折、凍えた眼差しでスチュアートを見る少年。

 点と点が線で繋がり、薫はスチュアートに疑いを持った。

 あの猟奇的事件の犯人がスチュアートではないのかと。そしてフーは、それを知っているのではと。

 そう思えば、二人の関係に納得もする。

 常に厳しくフーを教育するスチュアート。そこに垣間見える、そこはかとない圧や恐怖。フーは完全に怯えきっていた。
 だから、薫も声をかけたのだ。無理をしていないかと。嫌ならスチュアートに従わなくてもいいと。

 ……が、少年の答えは違った。いや、違わないが、気持ちが違ったのだ。

『……怖い人だと思います。ついつい竦んでしまうくらい。でも、強い人だとも思うのです。ああいった優れた力を身につけたい。僕は、それを望んで、スチュアート様に教えを請うています。……キツいこともありますけど。やりたくてやっているんです』

『……そう。でも、絶対に無理はしないでね?』

 少年がスチュアートに怯えているのは間違いないが、それを納得したうえでスチュアートに学んでいるのだ。本人の自由意志で。
 そう言われてしまっては薫も余計な口出しは出来ない。しかし、薄く笑うフーは絶対に無理をしている。

 ……口出しはしないけど、ケアはするわ。スチュアートに扱かれている分、労わないと。
 
 そしてそこから、薫はスチュアートに疑問を持ち、彼に完全な権限を与えないようになった。

 基本的な邸のことは任せていた。彼は優秀な執事だ。だが、彼が命じてくれと宣う時。
 その目に浮かぶ鋭利な光。ソレが切れるかのように深まるのを見て、ぞわっと薫の背筋が震える。びしばし感じる、言語に尽くし難い何か。
 言葉に表すなら恐怖。純粋な本能の警鐘。
 前世でもアウトドアまみれで野山を駆け回っていた薫だ。娘たちを巻き込み、サバゲーに興じる母親だ。その長年磨かれた野生の勘が言うのだ。

 ……この男はヤバい。……と。

 だから、こういう時はホイットニーに頼るに限る。高名な識者である老人には、スチュアートも一目置いているので、話がややこしくならなくて済むからだった。

「いいえ、先生を呼んでちょうだい? 事を荒立ててはダメよ?」

 にっこり微笑むエカテリーナに軽く目を見張り、スチュアートは畏まりましたと頭を下げて部屋を辞した。

 ……ああ。なんでこう、厄介事ばかり舞い込むかなあ?

《半分は君の自業自得じゃ? 奴隷少年に憐憫を寄せ、迷い込んだ異世界人を匿い、押しかけてきた執事を突き放せもしない。ホイットニー老は役に立つし受け入れても良かったけど、他は自ら招き入れた厄介事だよね?》

 ……ひさしぶりね、ヒューズ。開口一番がそれなの? まあ、理解するけどさあっ?

 あらためて言われると心にクるものがあった。

 そうか自業自得かとよろめきつつ、スチュアートの知らせでやってきたらしいホイットニー老の声を耳にし、応じるエカテリーナ。

《……でも、私はその甘さを心から愛しているよ?》

 照れ臭げな呟きが脳裏を過ぎり、ふと薫は窓から空を見上げた。
 尽きない揉め事に翻弄されながらも、必死に異世界を生きる薫である。
 
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