15 / 22
野生の悪役令嬢
しおりを挟む「……でも、んまいわ、これ」
「美味しいっすよね? 玉ねぎの辛みと甘さが絶妙で。トマトソースだけなら子供でも食べられそうだ」
「ほんと。普通、挟むっていったらベーコンやチキンなんだけど、腸詰めかぁ…… 少し贅沢だね」
エカテリーナに作ったのと同じ物を試食しつつ、厨房は大賑わい。賄いなど安く済ませるのが主流ではあるがまがりなりにも伯爵家の別邸だ。これぐらいの贅沢は許される。
美味い、美味いと口々に褒める人々を余所に、ラグザは複雑な顔をした。
……こんな食べ方を、なぜ知っているんだ? あの様子を見た限り、これを普段から食べていたわけではないと分かる。
エカテリーナがバゲットやドッグという言葉を説明に使わなかったあたりで、ラグザは聡くそれを感じた。
だが、従者がその言葉を口にした途端、彼女の態度が変わる。ドッグを知っているような口調に。そして、これを作るよう命じられた。
……知ってるのに知らないふりをしていた? いや、最初の様子では、ドッグがあるのを知らなかったとしか思えない。
謎めいたエカテリーナの言動。
そんなこんなでラグザが悩んでいた頃。
当の本人は別邸周りの深い森で野生に還っている。
「御嬢様っ! はしたのうございますっ!!」
「いーから、いーから。フーしかいないじゃん? あ~、気持ち良い」
ドレスの裾を太腿の中ほどにたくし上げ、膝まで川に浸かるエカテリーナ。ときおり掠める魚がこそばく、彼女は冷たい水を堪能する。
「もう初夏の様相で暑かったのよ。ふわあ、生き返るわ」
川にスカーフを浸して固く絞り、それを首に巻き付けつつ、エカテリーナは深い森の木漏れ日を浴びた。
深い森に囲まれた湖の畔。恐ろしく透明な水は湧き水らしい。森を通って濾過された水もまじり、水底まで見渡せる美しさだ。
しかも、この森そのものが私有地。アンダーソン伯爵家の持ち物で、麓の街まで我が家の荘園だというから開いた口が塞がらない。
……お金ってのは、あるとこにはあるって知ってるけど。半端ないな、うちの両親。
これだって、もっと上の貴族家と比べたら慎ましやかなものなのだろうが。一億総中流と呼ばれる平和な国からやってきた薫には溜め息しか出てこない。
……と、何かが音を立てる。
ぱきっと小枝の爆ぜるような小気味良い音。
はっと顔を上げた薫の前に、フーが滑り込み、庇うように両手を広げた。
「何者だっ!」
「……え? 誰……?」
木立の隙間を、ふらふら歩いてきたのはフーより若干年上っぽい少女。
艷やかな黒髪が絡まったぐしゃくしゃな頭を振り乱し、胡乱げな眼差しでカクンっ、カクンっと覚束ない足取りのまま、一心不乱な早歩き。
明らかに様子がおかしい。
「ちょ……っ! 大丈夫なのっ?!」
「御嬢様っ! 危のうございますっ!」
思わず手を伸ばそうとしたエカテリーナを体当たりで止めるフー。その声に驚いたのか、少女が、ばっとこちらを振り返った。
その目は血走り、ギョロリと動く眼球だけが妙に生々しく、薫の背に悪寒を走らせる。
「御嬢様……? え? エカテリーナ? なんでこんなとこにっ?! 野生の御嬢様とエンカウントするなんて知らないわよっ?!」
……野生の御嬢様て。
言われてみたら、ドレスを膝上までたくし上げて後ろで一纏めに結び、袖も捲って水で濡らしたスカーフを百性結びしている、あられもない姿。
……うん、たしかに。
少しは気まずげに苦笑いをするエカテリーナを凝視し、少女はわなわなと震える手で頭を掻きむしる。
「もう、やだ……、なんで、こんな目にぃぃ……っ」
ぐらりと大きく傾いだ彼女は半べそをかきつつ、そのまま草むらにパタリと倒れた。
「ちょっとおぉぉっ、なにこれっ、行き倒れっ? フー、誰か呼んできてーっ!」
あわあわする薫を仕方なさげに一瞥し、フーが肩を貸して少女を抱え上げる。だらりと力ない少女を軽々引きずる少年。
「このくらい、僕が運びます。御嬢様をお一人に出来るわけないじゃないですかっ!」
しれっと宣い、フーは邸に向って歩き出す。
「かぁっこ良いぃ…… しっかりして来たねぇ、フー」
……男子三日会わざれば刮目して見よとはいうけど……この半年で逞しくなったもんだわ。背も大分伸びたし? にょきにょき筍だねぇ。
ふふっと母親目線な薫。
その呟きを、しっかり耳で拾っていたフーは、面映ゆいような照れくさいような、何とも表現し難い顔で赤面していた。
「過労と空腹で倒れたみたいですね。身体のそものに異常はありません」
「……良かったわ。レグザ、悪いけど面倒をみてあげてね?」
「かしこまりました。……ところで、その格好は?」
エカテリーナは、シンプルなワンピースに麦わら帽子。その肩に竿を担ぎ、フーには籠を抱えさせている。他にもタオルや飲み物など準備万端で。
「森に大きな湖があったからさ。川や沢もあったし、食材稼ごうかなって」
にっと笑う御令嬢。
……なんで御嬢様が食材調達。
またもや唖然とさせられるレグザ。フーは鉄面皮を覚えて無感動な顔のまま、素直に籠を持っていた。
意気揚々と出かけるエカテリーナを見送りながら、レグザは信じられない現実のオンパレードに困惑する、
「御嬢様……」
「ん~?」
「……いえ、なにも」
「なによぉ。変な子ねぇ」
くすくす笑うエカテリーナに、フーも笑って見せた。伯爵家本宅では見せなかった無邪気な笑みを。
……なんか楽しい。なんだろうこれ。記憶を失われてからの御嬢様は、酷く変わられた。ここに来て、さらにまた。まるで水を得た魚のように溌剌としておられる。
本来、子供であるべき時間を悪女の慰み者にされていたフーは、遅ればせながらその感覚を取り戻し始めていた。
……わくわくが止まらない。釣り? あの綺麗な湖や川で? ああ、僕も足を入れてみたいな。冷たそうだったし。
きらきら眼を輝かせる少年を見て、エカテリーナがふくりと眼を細める。
……せっかくだし、色んな経験させてあげなくちゃね。街に買い物とか、森でピクニックとか。あ~、王都じゃ何にもしてやれなかったからなぁ。
伯爵家本宅を離れたのを良いことに、子供の正しい育成を企む薫。
だが彼女は、別宅に新たな刺客がやってきたことを今は知らない。
309
お気に入りに追加
801
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜
白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます!
➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる