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悪役令嬢は穏便に暮らしたい 5
しおりを挟む「まあ、そろそろ限界かな」
「御嬢様は豊満でいらしたから、まだ大丈夫そうではありますが」
月のモノが止まってから半年。そろそろ七ヶ月に入るエカテリーナ。悪阻が長く続いたのもあり、この世界では点滴や栄養剤なんて夢のまた夢なため増える腹部の体積が悪阻で痩せていくのと相殺され、未だにお腹は目立たない。
しかし最近食欲が増している。以前の体重に戻るのもすぐだろう。ってことは、お腹も目立つようになるわけで……
「じゃ、引っ込む用意でもしましょうかね」
さらりと笑うエカテリーナに、フーは畏まりましたと答えて何処かへ消えていく。
それを見送りつつ、彼女は一通の封筒を抽斗から取り出した。王家の封蝋がされた金縁の白い封筒。
……これも片付けておかないとね。
ふくりと笑みを深め、翌日、エカテリーナは王太子へと先触れの文をしたためる。その返事は速攻で戻ってきた。あまりの早さに驚きながらも中身を確認すると、短い文面だが快諾とある。
ふむ、と軽く思案し、彼女は父親の執務室へと足を向けた。
「うあぁぁぁっ、誰かあるーぅぅっ!」
絶叫にも近い王太子の声を耳にし、執務室にいた側近達が飛び込んでくる。何事かと眼を見張る彼等を見つめ、王太子は頭を掻きむしりながら情けない顔で口を開いた。
「明日…… いや、明後日か。時間は作れるな? 三時間は空けておけっ、あと、御茶と菓子と……」
オロオロしつつ右往左往する王太子の手にしている手紙。
あれが元凶かと、ウォルターは然りげ無くナイトハルトの手から手紙を取り上げる。そして、その差出人に眼を剥いた。
「……これはまた。恥も外聞もないようで」
例の売女からの先触れ。面会を求める書面に、ウォルターは目尻をひくつかせる。
「何を言っておるのだっ! 私から何度も要請したのだぞっ? ようやく体調が整ったらしい。良かった」
満面の笑みな王太子。その無邪気さにウォルターは呆れ果てた。元はといえば弟王子の策略に嵌められただけではないかと。こんな女に良い顔をすれば、何を望まれるか分りゃしないと。
だが恋は盲目とはよく言ったもので、王太子は世間の風評など、どこ吹く風。身分的に釣り合いも取れる彼女に傾倒していく一方で手に負えない。逢えない時間が、その熱病をさらに拗らせてくれたようだ。
……こんなことなら、とっとと伯爵に話を持ちかけて、裏で精算しておくのだった。
思わず握り潰しそうになる手を理性で抑えつけ、ウォルターは忌々しげな眼差しで件の手紙をにらみ続けた。
そうこうするうちに仕度が整い、エカテリーナが王宮にやってくる日が訪れる。
それを今や遅しと待ちわび、冬眠前の熊のように王宮正面でウロウロしていた王太子がエスコートした。
「歓待いただき畏れ入ります、王太子殿下」
「何を仰いますか。一夜とはいえ睦んだ仲でございましょう。……未だに忘れられぬ記憶です」
頬に朱を走らせ、耳元で囁く王太子に唖然とし、エカテリーナは脳内の算盤を弾き直す。
無駄に顔面偏差値の高い美形の甘い声。普通の御令嬢であれば赤面ものだが、中身還暦近かった主婦には効果が薄い。
……おかしいわ。アレはエカテリーナとその兄の協力による弟王子の陥穽じゃなかったの? 怒りこそすれ、こんな甘やかに語られる話じゃないはずなのに。
……ああ、やっとだ。やっと貴女に逢えました。あの夜と変わりなくお美しい。
明らかな温度差の違い。
どうやら彼女の想像を上回る何かが起きているようだ。慎重に事を進めないと不具合が起きかねない。そう心を引き締め、薫はテーブルに着いた。
部屋には予め御茶は用意がされており、人払いも済んでいるようで、ここには王太子と側近筆頭のみ。軽く指先でメガネをなおし、側近筆頭のウォルターが書類の束を差し出した。
それらに眼を通しつつ、薫は説明を聞く。
「この書類に異存がなくばサインを御願いいたします。最大限の謝意をこめ、金額は上限スレスレまで用意させました」
こちらも中々の美形。伴侶を厳選する王侯貴族は美醜にもこだわりが高いため、眉目秀麗な者が多い。
しかし、薫から見たら誰もが子供のようなもの。目先の美しさより、その態度などの中身が気にかかる。
……慇懃無礼とまでは言わないが、どことなく突き放した感じを受ける男性だ。だがまあ、エカテリーナのやらかしたことを考えれば致し方あるまい。
小さく頷いて薫は書類を確認する。
そこには今回の件を大事にしないよう多額の金子を払うとあった。慰謝料に今後の賠償。そして書類の片隅に小さく記された一文。
『ここより一切、王太子殿下と関係を持たぬこと。面会、及び謁見などを申し込まぬこと』
ふむ。と、薫はウォルターに視線を流した。しかし彼はしれっとしたもの。なので彼女は少し揺さぶってみる。
「この文面で宜しいのね? 相違はございませんね?」
チラッと王太子を見て、ウォルターは大仰に頷いた。
「相違ございません。……金子は足りますか?」
その言葉で王太子も気がついたのか、しきりに書類の金額を確認している。
薫は金額そのものに不服はない。数字だけが目立つように記載された書類の片隅の一文に、王太子は気づいているのだろうか。
まあ、こんな書類を王太子が眼を通していないとも思えないし、薫にとっては渡りに舟。
だが彼女はウォルターからペンを借り、少々加筆したいと申し出る。
「……どこを変更なさると?」
訝しげなウォルターにほくそ笑み、薫は優美に口角を上げた。その妖艶な姿に眼を射られ、思わず固まるウォルター。
……くっそ、無駄に色気を振り撒きやがって。確かに見目だけは極上なんだよな、この女。
男の劣情を煽る美しさ。そういったことにべらぼうな忍耐力のあるウォルターですら、一瞬、くらりとさせる毒婦の艶やかな笑みに、彼は心の中でだけ苦虫を噛み潰した。
しかも、今日のエカテリーナはいつもと違う。
今まで見てきた彼女は扇情的な衣装ばかりを身にまとっていた。あられもない衣装なのに、それを非常に上手く着こなし、上品にまとめて。
そんな慎みもない姿であれば、ウォルターは何も感じなかっただろう。むしろ、唾棄するほどの悍ましさを覚えたに違いない。
……が、今日のエカテリーナは清楚で柔らかな衣装を身に着けている。
髪型や小物もシンプルで、大輪の黒薔薇などではなく、匂い優しい白百合のごとき佇まい。
己の嗜好ドストライクな彼女の変貌に、さすがのウォルターも少し動揺した。男の情欲は正直だ。毒婦の外見詐欺だと思いつつ、ウォルターは努めて冷静な声で応対する。
「王太子と記載されている部分を両名に直したいのです。よろしいでしょう?」
ペンを渡そうとしたウォルターの手がビクっと震えた。
………こんな書類の束の一文に気づいたのか。
書類を確認した王太子ですら、その控えめな一文に眼もくれなかったのに。……と、ウォルターは忌々しげな眼差しをエカテリーナに向ける。
「書き直してまいります。書類に不備を残すのはよろしくないので。こちらが改竄したと疑われるのも困りますし」
そう言い、彼は踵を返して別の紙に書類を書き写した。
それを眺めつつ、王太子はエカテリーナを見つめる。
……ようやく事を終わらせられるな。そして、彼女と正しく婚約し、これから親しくなろう。……受け入れてもらえるだろうか。酷い目に遭わせてしまったし、まずは誠心誠意謝罪しないと。
じっと己を凝視するナイトハルトの熱視線にも気づかず、薫は余所事を考えていた。
……ようやく事が終わるわね。これで王太子との問題も解決したし、さくっと切り替えて逃亡の算段をたてないと。あとは両親の説得かあ。あの馬鹿兄貴は放っておいて、御父様だけでも騙くらかさないとね。
そんな二人を執務机からチラ見し、ウォルターも胸を撫で下ろす。
……ようやく事が終わるな。長々と王太子の戯言を聞かされることもなくなるし、もう煩わされないで済むな。
三種三様の思惑が絡む応接室。
この後、全力で空回りする王太子の阿鼻叫喚が王宮に響き渡るのだが、そんなことは薫の知ったことではなかった。
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