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 最悪から始まる転生 3

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 そんなこんなで数日が過ぎ、薫は、あまりの問題の多さに頭を抱えた。
 
 フーの事を筆頭に、次々とやってくる難問達。日替わりで訪れるエカテリーナの情人ら。逆にエカテリーナの節操のなさに苦情を捲し立てる御婦人の一団。彼女の一挙一動に怯え、平伏する使用人達。特に平民がエカテリーナを見る眼差しは恐怖一色。
 他にもあれやこれや問題が舞い込み、ついでとばかりにやってくるのは王太子からの召喚状。忘れ病だとか、完全に言い訳に思われているようで埒があかない。

 ……まあ、疑心暗鬼も通り越してるわよね。情事のあとの残る寝台で、御相手の女性を殺しかけたわけだし?

 そうなのだ。薫はエカテリーナの記憶を継承しているため内部事情を理解しているが、王宮側は青天の霹靂。いくら王太子が知らないと叫んだところで、明らかな情交の痕跡が残るリネンや、エカテリーナがか弱い女性であることがモノを言い、さらには殺害未遂である。
 見ようによっては事の露見を恐れた王太子が証拠の隠滅を図ろうとしたようにもみえなくはない。未婚の婦女子を褥に引き摺り込み、無体を強要したと勘繰る者も出ているとか。ゆえに何としてもエカテリーナを回復させ、言質を取り、断罪したい。この三ヶ月、腸が煮え繰り返っているに違いない王太子殿下が薫には想像出来た。
 だがまあ、悪名高いエカテリーナだ。彼女の奔放さや情の多さも有名で、王太子が被害者に間違いはなかろうという見方が有力である。

 ……日頃の行いよね、まったく。

 ぶっちゃけ薫にとって、そんな事はどうでも良い。それより彼女に必要なのは、これからの算段である。
 エカテリーナは王子の妃の座を狙って事に及んだ。それに協力した馬鹿野郎様が実兄なのだ。そして兄が仕える弟殿下。
 彼等は利害の一致から今回の謀を目論む。エカテリーナの兄は己の地位と出世を。弟殿下は兄殿下を不祥事で蹴落とし、王太子の地位を得ることを。弟殿下が国王となれば、その側近筆頭も出世するし、エカテリーナは純粋に王太子殿下が好きだった。
 ただの王子でもかまわない。彼と結婚出来るなら何でもすると豪語し、他の二人を唆したのである。こんな事がバレようものなら、自分の兄も伯爵家も無事には済まないだろうに。

 ……あったま痛ぁ。これって謀叛だよ? 下手を打ったら連座で御家取り潰しだよ?

 若気のいたりと申しましょうか、二十歳そこそこな三人の計画は穴だらけ。その先に待ち受ける坩堝な落とし穴すら想像していない。今回成功したのが奇跡に思える杜撰さだ。
 しかし、これの成功の元は王太子のしくじりだった。
 彼が冷静にエカテリーナを捕縛し、事をちゃんと詮議したならば、こんなハメに陥ってはいなかった。……その場合、愚兄らの目論見がバレて、御家に泥を塗ることにはなるが、お取り潰しよりはマシだろう。
 王太子がエカテリーナを殺しかけたがために、話がややこしくなってしまったのだ。迂闊にも程がある。
 
 ……そしてアタシことエカテリーナは忘れ病。真実は永遠に闇の中。

 王宮とて、いつまでもこの醜聞に付き合ってはおられまいし、こうしてエカテリーナも目覚めたのだ。幸い、記憶以外に障害も残らず、伯爵家がゴネなくば、たぶん適正な慰謝料で片がつくはず。
 元々中堅貴族の一令嬢に過ぎないのだし、本来なら王家の御威光一つで口をつぐまされるような家系である。王太子と既成事実があろうがなかろうが、天上人の不興を買えば簡単に潰される家なのだから。
 そのへんは両親も心得ているだろう。娘の名誉のために家の進退をかけるような馬鹿はやらかすまい。

「……となれば。あとはアタシとチビのこれからが問題だなぁ」

 薫はあらゆる問題を書きとめ、その先を予想しつつ、コンコンとペン先で机を叩いた。
 ヒューズの世界には魔法があるためだろうか。けっこうな産業が万遍無く起こされ、広まり、取り敢えず不自由のない暮らしが維持されている。

「助かるよねぇ。ゴツいけどちゃんとしたペンだし、なんて言うんだっけかコレ。かぶらペン? ゼブラペン? いちいちインクつけるのはメンドイけど、羽ペンみたいなのを想像してたから、ラッキーだったよね」

 他にもガラスペンなど、エカテリーナの机には何不自由ない文具が取り揃えてあった。ちょいとノスタルジックな気持ちに浸りながら、薫はチビとのこれからを考える。

「伯爵家で暮らすのも手だけど、未婚の娘をそのままにはしないよねぇ。どっかで縁談を持ちかけられかねないし、何より、結婚のためにチビと離される可能性もあるし」

 薫はこの世界の知識を全く持たないが、エカテリーナから継承した記憶が、ありとあらゆる事象を彼女に想定させた。次々と湧き上がる不穏な未来を全て圧し折り、どうにかしてチビと幸せになりたい薫。
 未婚でチビを産み、それを育てるには身分が邪魔である。伯爵夫妻とて醜聞の種に良い顔はすまい。愚兄にいたっては、万一生まれたチビが王太子に似ていたりした場合、狂喜乱舞して王宮に乗り込むだろう。
 元々、それを目論んで妹を王太子のベットに送り込んだ馬鹿野郎様である。

 あの日の王太子を薫は忘れない。

 エカテリーナの記憶ではあるが、あの夜、王太子は不仲な弟の来訪を心から喜んでくれたのだ。仲直りがしたいという提案に快く頷き、眼を潤ませて歓喜した。無用心にも自室へ弟を迎え入れ、止める護衛や毒見らを炯眼な視線で黙らせて、彼は弟の持ってきた酒を疑いもなく飲み干した。
 これで後顧の憂いはないと。力を合わせて国をより良くしようと。涙ながらに語った王太子。
 よほど嬉しかったのだろう。王太子は酔い潰され、護衛らに寝室へと運ばれていく。
 それを忌々しげな眼差しで見送り、弟殿下は使用人の出入りを利用して片付け用のワゴンにエカテリーナを潜ませ、護衛の眼を欺いた。

 ……あとはお察しだ。酒には遅効性の媚薬が仕込まれていて、夢現な情欲に翻弄される王太子の熱く猛った劣情を、エカテリーナは思う存分貪ったのである。

 ……あんなに喜んでいた兄を騙し討ちするとか。王太子も王太子だわ。よくもまあ、あんな弟を信用出来るものだわ。
 ……姑息で狡賢い弟もアレだけど、弟だからって信用したあげくハメられる王太子もどうよ? この国って、行く末に不安しかなくね?
 ……しかも、その弟の側近が愚兄である。どこかに賢弟はいないのか、賢弟は。弟プリーズ。

《いや~、弟の予定はないなぁ。用意もしてあげられなかった。ごめんね?》

 ……人の思考に勝手に割り込むなしっ!

 脳内に響くヒューズの声で、さらに頭痛の酷くなる薫。

 昏睡が目覚めてからというもの、この神さん、ことあるごとに彼女の思考に割り込んできた。

《……そいつは君の情人だよ。お盛んだったからねぇ、エカテリーナ》

《待って、そこで頷いたら駄目だ。もうしばらく間をとって。そう、優美に柔らかく笑う。良いよ、綺麗だ。相手も動揺してるよ》

 などなど。窮地を救うモノからいらん御節介まで、とにかく絡んでくる。

「あのさぁ? 神様って暇なのかい? 数多にひしめく人間一人に張り付くほどさあ?」

《…………………》

 そして黙りだ。答えたくないのか、都合が悪い話なのか。だが、今回の沈黙はいつもと少し違い、しばらくしてヒューズはボソボソと呟きだした。

《……余所様からの預り物の魂を。私のヘマで……人生が危うくなるなんて申し訳なさすぎるのです》
 
 声にこもる万感の想い。種類は違えど、これもまた愛情なのだろう。

「苦労性だね、アンタ」

 くすっと小さく笑い、薫は己の脳内の居候に少し庇を貸してやろうと思った。こうして薫がチビの母親になったように、ヒューズもまたチビの幸福を願い、なにくれと世話を焼きたいに違いない。

「でもまどろっこしいねぇ。そんなに心配なら降臨でもして、ばばっとアタシごとチビを平和な土地にでも移動してくれたら良いのに」

 貴族をやめるにしろ、続けるにしろ、薫には問題が山積みである。そんな荊棘の路で妊娠、出産、育児とこなしていかねばならぬのだ。何というプレイヤー殺しのハードモード。これがゲームなら初見で投げている自信がある薫だ。

 貴族を続けるなら、両親の説得、愚兄の妄想撲滅、どこかに小さな邸をもらって、実家から離れた場所で静かに子育てをし、たぶん訪れるだろう王太子の刺客を返り討ちにせねばならない。いや、王太子だけではない。チビが王家の血を引くと知られれば、夢見がちな愚兄モドキもわらわら現れるだろう。
 夢想に耽けている暇があんなら働けやと言いたいが、こういう輩に正論は通じない。チビが王太子の血を引いていることは覆せないのだ。ならば、是が非でも権力者の悪意を叩き潰しまくらねば。

 身分を捨てられるなら是非もない。さくっと捨てて伯爵家と縁を切り、親子二人で遠くに逃げ出す算段が立てられる。
 そのためにも、今は金子を貯めて情報を集めないと。どこが安全か、王家の手はどのくらいの長さなのか。なんなら国外脱出しても良い。子供を育てるのに適した国を探して永住しよう。

 幾つもの選択肢を脳裡に浮かべ、それに必要なモノを脳内の算盤で弾く薫。

 真剣な彼女の横顔を天上界から見下ろしつつ、ヒューズは切なげに口を開いた。

《私は外界に降りられない制約があるのです。だから直接的に助けることが出来ないんです》

 ……ああ、そうなんだ。

 言われてみれば納得である。地球でだって神々の降臨を見た者はいない。天上界には天上界の理があるのだろう。

《でもっ! 私とて神の端くれ。知識だけであれば、その世界の誰にも負けませんっ! きっと二人のお力になれますっ!》  

 使命感に燃えるヒューズの声。その力強い声で、薫の顔が思わず緩む。

「期待してるわ、相棒」

《はいっ!》

 ここに突如発生した、チビを守り隊。

 たった二人の零細グルーピー。これからの近い未来、この守り隊が世界を救うとは、今の薫達すら知らなかった。
 
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