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 最悪から始まる転生

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「やっゔぁい……」

 ベッドの上で身体を起こし、少女は顔面蒼白なままひきつり笑いを浮かべた。

 彼女の名前はエカテリーナ・ラ・アンダーソン。王国中堅の伯爵令嬢で選民主義に凝り固まった高飛車女である。
 過去には散々身分の低い者を虐げ、時には実力行使をも辞さない徹底した烈女。凄まじい苛烈さが抜きん出ていたが、ある意味とても貴族らしい御令嬢だった。

 ここは異世界ラステル。剣と魔法が生きる世界で、それゆえに文明の発達が遅れ、地球でいう中世観満載な世界である。

 昨今の風潮から特権階級もゆるやかな変革を受けて正しき為政者の姿が重要視され始め、人々の意識も高まってきた今日この頃。
 しかし、まだまだ触りなあたりで、多くの貴族は従来のしきたりから抜け出せず、平民を虫けらのように扱い特権階級の序列を重んじた。

 本格的な変革にはほど遠い。

 エカテリーナは寝台に身体を起こしたまま、無意識に手触りの良い掛布を握りしめた。

「そんな時にやらかしたわけだ、この御嬢さん」

 乾いた笑みを張り付かせてまるで他人事のように呟き、彼女は先程まで見ていた夢を思い出す。





『はあっ? アタシ、死んだのっ?』

 驚愕に眼を見張るのは黒髪黒目の女性。橘薫という名前の主婦である。

 子育ても一段落した彼女は、若い頃に飼っていた愛犬の忘れ形見を連れて散歩をしていた。今は亡き母親犬の名前はチビ。
 ひょんなことから保健所送りにされたチビを引き取り、長く幸せな暮らしをしてきた薫は、そのチビの引合せで伴侶となる男性とも出会い、さらに幸せな暮らしを送ってきたのだが、やはり犬の寿命は短い。
 薫の子供らが中学生になったあたりでチビは亡くなり、その子供犬や孫犬らが彼女を慰めてくれていた。

 そんな中で突然起きた交通事故。

 輪廻の環に溶けようとしていた薫の魂は、いきなり別の世界へと引っ張られたのだ。

 地球の神は承諾済みとかで、拉致した薫の魂に別世界の神は懇願する。金髪碧眼で線の細い美丈夫。こんな時でなければ、それなりの眼福を覚える麗人だっただろう。
 何が起きたのかと狼狽する薫に申し訳なさげな顔をした彼は、名前をヒューズと名乗り、今回の説明を始めた。

《地球の神は、貴女が望むのなら私の世界に招待しても構わないとおっしゃいました。なので御願いなのです。貴女のチビを助けて下さい》 

『チビっ?』

 別世界の神から飛び出した思わぬ名前に驚き、薫は事のしだいを聞く。

 チビは薫と過ごした生涯で多くの徳を詰み、今回、人間として生まれ変わる試練を受けたらしい。その生まれ変わる先が彼の世界ラステルだと言うのだ。
 そこで人間として愛し愛され、再び生まれ変わる時に地球へ戻される予定だったとか。

《……なのに、こちらの手違いで、とんでもない状況になりまして》

『とんでもない状況?』

 訝りつつも話を促して聞いたところ、ある傲慢な少女が、ある男性と既成事実を作り、その胎内に宿った命にチビの魂が入ってしまったという。
 ヒューズは辛辣に顔を歪め、唾棄するかのように言葉を紡いだ。

《非常に悪辣な女性でした。王太子に薬を盛り、前後不覚な酩酊状態にさせて事に及んだのです》

 ……あ~、そういうね。

 意識が混濁していたなら、されるがまま快楽に溺れただろう。身体の本能は正直だ。理性がなくば容易く吹っ飛ぶ。男の性など脆いモノである。で、事を成就した女性の中にチビの魂を持った命がいると……

 得心顔の薫。そんな彼女をチラ見しつつ、ヒューズは情けなさげに眉を下げた。

《ところが、その…… 王太子は酩酊状態だったわけで。翌朝、隣に寝ていた御令嬢を刺客と勘違いし、攻撃してしまったのです》

 ……なんですとーっっ!!

『攻撃ってっ? え? 殺されちゃたの?!』

《かろうじて息はありましたが…… あ~、中身が昇天してしまいまして》

 か弱い貴族令嬢だ。王太子が放った雷の魔法で一度死んでしまったのだとか。だが場所が王宮だったため、優秀な医師団の努力により一命は取りとめた。でも死んでしまった魂は戻らない。母体は昏睡状態で生死の境を彷徨っているらしい。

 ……そりゃ分からなくもないよ? 目覚めて隣に覚えのない誰かいれば驚きもするだろうさ。けど、せめて相手を確かめるくらいはしないの? それとも、そんな行動が日常茶飯時なくらい、王太子とやらの周囲は物騒なのかい?

 唖然とする薫に、別世界の神は言いづらそうな顔で言葉を続けた。

《かれこれ三ヶ月ほど昏睡状態が続いています。このままではチビの命も風前の灯火》

『ふざけんじゃないわよーーーっ!!』

《大丈夫っ! 今はまだ大丈夫ですっ! 私の世界には魔法がありますっ、飲まず食わずでも医師が直接胃の中に糧を流し込めますからっ! ……一年くらいなら、なんとか生かせます》

 薫の恫喝に怯え、慌てて捕捉説明をするヒューズ。聞けば、彼の世界は地球でいう発展途上な中世。特権階級の横暴が罷り通り、人の命など塵芥。未だにエカテリーナが生きていられるのも、被害者が伯爵令嬢で加害者が王太子なおかげだ。
 さすがに王宮は王太子を殺人犯にしたくないらしい。御令嬢の過失であれど、せめて形だけでも裁判を受けさせ正しく断罪せねば、せっかく進めてきた特権階級への変革が水泡に帰す。独善や独断を犯してはならないと、王宮側も躍起になってエカテリーナの治癒に奔走しているようだ。

 しかし動けない人間が衰えるのは早い。流動食や胃ろう的な処置は出来るみたいだけど、ただそれだけなのだろう。地球のように長期に亘り人間を生かせる技術は無いに違いない。

 ……でも、そんなんチビには関係ないよねっ! 子供は親を選べないんだからさあっ!

 激昂する薫に出された提案が、その御令嬢の身体への転生だった。今は空っぽな肉体だけなのだ。薫の魂を入れるのに何の問題もない。
 こうして薫が事故死したのを幸いに、別世界の神はチビの母親になって欲しくて彼女を自分の世界に招いたのだという。
 
《本来チビは裕福な農家の子供になる予定でした。なのに…… 私がちゃんと出来なかったため、入れる魂の順番が入れ替わってしまったのです》

 さめざめと涙を零す金髪の男性。

 浄化された魂は無垢な赤子同然。注意していても勝手に動き回り、遊びだす。そんな魂らが大人しく順番どおりに並ぶはずもなく、喧嘩を始めた魂がチビの魂を跳ね飛ばし、チビはそのまま外界に落ちてしまった。

 ……その先には件の御令嬢。

 怒りを通り越して呆れ顔な薫にすがりつき、ヒューズは必死な面持ちで彼女を見上げた。

《私の失態なれど、このままではチビの魂が……っ! 御願いいたしますっ、チビの母親となり、彼を守ってくださいっ!》

 ……たしかに。放置してしまったらチビは御令嬢と共に死ぬだろう。運良く生まれたとしても、謀の騙し討ちで出来た子供だ。幽閉や虐待。ひょっとしたら、暗殺などで闇から闇に葬り去られる悲惨な未来しか待ち受けておるまい。

 キッと剣呑に眼をすがめ、薫は足元にすがりつく神を恫喝する。

『泣いてる暇があるんなら、さっさとアタシをチビんとこに送れーーーーっ!!』

 ぱあっと輝く美丈夫の笑顔が忌々しい。のせられた感はあるが、薫にチビを見捨てる選択肢は用意されていない。

 ……待ってなよ、チビっ! すぐにお母ちゃんが行くからねっ!!

 こうして彼女は空っぽになっていたエカテリーナの身体に憑依し、今、目覚めたのである。





「……記憶も継承してんのな。なに、この記憶。やらかしまくりもいいとこじゃん、この女」

 濁流のように流れ込むエカテリーナの記憶。それは幼く些細なことから今回の大事に至るまで、この身体の持ち主が犯した悪事を事細かに薫へ伝えてくれた。
 身分をかさに着た横暴、専横。男癖も悪く、深窓の御令嬢とも思えない奔放さ。あえて民を苦しめることに愉悦を覚え、抵抗出来ない者をいたぶることに心血を注ぐ悍しさ。
 だが、大小の差はあれ、この世界の貴族とは、そういった生き物のようだった。

 ……まあ、この女は飛び抜けてるけどね。

 今までの悪事の殆どは父親である伯爵が片をつけている。人道的にはアレだが、貴族であれば許される行為が大半なため問題もなかったのだろう。しかし今回の大事は揉み消せまい。
 相手は王太子だ。どのように事を運んだのか、エカテリーナの記憶を継承する薫には丸分かりである。これが露見したらタダでは済まない。チビのこの先も絶望的だ。

 まだ膨らんでもいないお腹をさすり、薫は満面の笑みを浮かべた。

「安心しなよ、チビ。お母ちゃんが絶対にアンタを守るからね」

 神の失態により転生先を選べなかったチビと、択一でしか用意されなかった薫。理不尽と不条理の汚濁に投げ込まれた二人だが、この二人には何より強い絆があった。

 ニヤリと不敵に口角を歪め、エカテリーナこと橘薫の異世界奮闘記が、ここから始まる。
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