朝がくるまで待ってて

夏波ミチル

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12 衝動

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 酒を買いに行くだけにしては、ずいぶんと時間がかかってしまった。
 おそらく赤みが残っているであろう目元をよるに指摘されないだろうかと気にしながら俯き気味に部屋に戻ったところ、「ただいま」という声に応える声はなかった。

 よく見ると、よるは机の上の参考書に突っ伏すかたちで眠っていた。
 いつもきちんとしているよるが寝落ちしているのは珍しいことだった。
 山道を長い時間歩いた帰りに雨にまで降られ、精神的にも体力的にも消耗していたのだろう。

 コンビニのビニール袋を置いた俺は、よるを布団まで移動させてやろうと思い、顔を覗き込む。
 男のような格好をしているが、男にしては幼すぎる寝顔だ。
 幼い頃に見た玲司の寝顔によく似ている。

「…………」
 おそるおそる唇を寄せて口づけようとして、やっぱりやめた。
 ここにいるのは玲司じゃない。

 よると自分はいま、一応付き合っている、ということになっている。
 キスだってたまにしている。寝ているところを口づけたって、本人も誰も咎めはしないだろう。
 それでも、さっきまで思い描いていた記憶の中の幼なじみに申し訳ない気がして、できなかった。

 気を取り直して抱き上げると、見かけによらずやわらかな体がささやかな重みとなって、俺に食い込んでくる。
 女の体だ。
 さっきまでとは別種の、そわそわと落ち着かない気持ちがこみ上げてきた。

 俺は、女には性的興奮を抱かないタイプの人種である。むしろ肉体的接触を迫られるのは苦手ですらある。
 だからこれは、慣れないものに触れてしまった時の落ち着きのなさというやつだ、多分。

 布団の上に仰向けに寝かせて、肩までしっかり毛布をかけてやる。
 よるは苦しそうに眉根を寄せて、布団の中で身じろぎをした。
 そういえば、胸をつぶす用の下着というのは、寝る時に取らなくていいのだろうか。

「小夜子……よる」
 気になって声をかけてみたが、起きる気配はない。
 そのままでもいいかと思って様子を見ていたが、苦しそうな表情が穏やかになることはなく、息苦しそうな寝息までこぼしているので、やむを得ず、布団をはいでみた。

 浴衣の前をくつろげさせると、タンクトップに似たぴっちりとした下着に包まれた上半身があらわになる。
 よるがこんなものを身につけるようになったのは、俺のせいだ。
 本当はもっと、女の子らしい可愛い下着を身につけたかったかもしれない。

 罪悪感に苛まれながら、少しでも楽にしてやろうという一心で、おそるおそる、前側のチャックをおろす。
 締め付けから解放された乳房が、ふわりと揺れた。

 黒い下着に隠されていたのは、真っ白な肌と、やわらかそうな少女の体だった。
「……っ」
 慌てて浴衣の襟元を直して、布団もかけ直す。

 心臓が馬鹿みたいに激しく脈打っていた。
 見てはいけないものを見てしまったせいだ。そうに違いない。

 綺麗だ、なんて俺が思うのは、変だろう?
 ましてや、触れたらどんな感触がするのだろうなんて、考えてはいけない。

 嫌悪していたはずのものに高揚感を覚えている自分が理解できず、俺はよるから視線をそむけると、震える手で缶のプルトップをあけ、慣れない酒を喉に流し込んだ。


          *


「あ、あたまが……いたい……」
「二日酔いだね」
 ミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出してくるよるの声は冷ややかだった。

「焼酎なんて飲んでたの?」
 布団から起き上がれない俺に呆れた様子で、よるはテーブルの上に転がった酒瓶にちらりと目をやる。
 年季の入った掛け軸のかけられた床の間の前には、空になったチューハイの缶も二つ並べられていた。

 俺が最初に買ってきたのは、そのチューハイ二本だけだった。
 二本飲み終わってもいまいち酔えなくて、布団に入っても眠れず、仕方なしにまたコンビニに行って、飲み慣れない酒を勢いだけで買ってきた。
 その結果がこれである。

「もう朝食の時間だよ」
「悪い……よるだけで行ってくれるか……?」
「ふーん。じゃあ、僕も食べなくてもいいや」
「え……?」
「もともと、朝は軽くしか食べない方だし」

「いや、だめだ……成長期なのに朝食を抜いたら……待ってろ、あともうちょっとで起き上がるから……三十分だけまってくれ……」
 へろへろの声で布団に這いつくばりながら言う俺に、よるはクスリと笑った。
「いいよ。待ってる」
 そして、自分の着替えを持って洗面所に行こうとして――ふと振り返ってくる。

「ところで志岐、僕の下着のチャックを外したのは、君?」
 からかいまじりの声。怒ってはいなさそうだが、ウッと俺は詰まる。
 そうだった。忘れていた。罪悪感がぶり返してきて、頭痛に苛まれる。

「すまない……そのまま寝かせるのは苦しそうだったから、つい……」
「僕の胸、見た?」
「…………」
「気持ち悪くならなかった?」
「…………」
 とっさに答えることができなかったのは、それが予想外の質問だったからだ。

 綺麗だったよ、と答えるのも気持ち悪いだろう。
 言葉に詰まる俺に、よるはどこか悲しそうに微笑んだ。
「兄さんじゃなくてごめんね」

 よる、いや小夜子が好きなのは、いつだって玲司だけだった。玲司との二人だけの時間を奪う俺を、恨んですらいたと思う。
 玲司が死んだあとも、小夜子の興味が俺に向けられることはなかった。
 いつも一緒にいたのは、罪の意識と、喪失感を確かめるためだったと思う。

 俺たちの間にはいつも玲司がいた。だけど今の言葉は、純粋に俺だけに向けられた言葉のように思えた。

「……もし、玲司と俺だけで旅館に泊まっていたら、小夜子はきっと、怒り狂ってたと思うよ」
「確かに」
 笑って、よるは今度こそ着替えにいった。

 酔いがだんだん醒めてきた。
 起き上がって、水を口に含む。昨日買って冷蔵庫に入れておいた水はひんやりと心地よく喉を潤してくれた。

 すっかり男らしい格好になって出てきたよると交代で洗面所に行ったら、鏡に映った自分の目元は、赤く腫れ上がっていた。

 あまりよく覚えていないのだが、焼酎を飲みながらまた泣いていたのかもしれない。もしかしたら、この顔のせいでよるに気を遣われたのかも。

「しっかりしないとなぁ……」
 気づけば、あと一週間もすれば二十五歳の誕生日を迎えてしまう。いつまでもふにゃふにゃしているわけにはいかなかった。

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