朝がくるまで待ってて

夏波ミチル

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9 雨あがりの夜に

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 ついさっきまでざあざあという雨の音が窓の外から響いてきていたはずだが、食堂で夕食を食べて部屋に戻ってきてみると、部屋は静かになっていた。
 障子をあけて外を覗くと、いつのまにか雨がやんで、月が出ている。

「明日帰るって、おばさんには連絡したか?」
「うん。志岐と一緒にいるって言ったら、『それなら安心ね』だって」
 よるは、数学の参考書を開きながら答えた。

 年頃の娘が二十すぎの男と泊まると言ったら普通の親なら心配すると思うのだが、その反応はどうなのだろう。
 まあ、長い付き合いだし、よるの親からしたら俺は『親戚の子』なので、信用されているということだろうか。

「綺麗な三日月だね」
 ちらりとだけ顔をあげて窓の外を視線を投げたよるが言った。
 雨があがったことにほっとしている様子でもあった。さっきよりも顔色がいい。
「うん。玲司に、花と一緒に団子も供えてやればよかったかな」
「ふふ、十五夜は来月だよ」
 ペンを動かしながら、よるは言う。

「だったら、来月の十五夜の日に、お墓の方に団子を供えにいくか?」
「いいね……兄さんもきっと喜ぶ」
 穏やかな顔で、よるは微笑んでいた。

 俺の自己満足のためによるに男装をさせたことに、最初はひどく罪悪感に苛まれていたが、男装をするようになってから、よるはよく笑うようになった。
 美しい人形のような無表情を張りつかせていた以前よりも今の方がいい、と思う。

 俺はそっと障子を閉めて、二人分のお茶を淹れた。
 テレビはつけない。
 命日の夜は毎年、静かにすごすことにしている。
 少し手狭で古いが、綺麗に整えられた旅館の一室には、よるが動かすペンの音だけがかすかに響いていた。

 手を止めて湯飲みに口をつけようとしたよるがふと、こちらを見た。
「志岐、お酒は飲まないの?」
「え?」
「飲んだところ、見たことないけど、飲めないの?」
 意外な質問に、俺は目を瞬かせる。

「……大人になったんだから飲まなきゃだめ、ってよるも思うか?」
「駄目ということはないと思うけど……」
「たぶん俺は、体質的には飲めるんだと、思う」

 二十歳になったばかりの頃の友人たちとの食事会。それから、就職してすぐの頃にほぼ強制的に参加させられた飲み会で、何度か酒を口にする機会はあった。
 特に美味しいとも不味いとも感じなかった。
 酔うという感覚は味わえなかったから、きっと酒に強い方だとは思う。
 だけど、酔えないのに飲む必要性はないと思ったから、自ら好んで口にしたことはない。

「兄さんはお酒を飲めない年齢のまま死んだのに、自分だけ大人になってお酒を飲むのは嫌?」
 よるがズバリと斬り込んでくる。
 なんとなくもやもやとした感情に言葉での説明を与えられて、俺は苦笑する。
「そうだな、きっと」
 コーヒーと一緒だ。

 本当はずっと、永遠に子供のままでいたかったのだ。
 玲司とすごしたあの最後の夏が、永遠に続けばいいと願っていたのだ。

「兄さんは大人になっていたら、日本酒好きになっていたと思うよ」
「確かに。親戚の集まりで酒が出てきたら、よくどこの銘柄か確認してたもんな」
 思い出して、俺は笑ってしまった。
 玲司は幼い頃から『知識を集める』ということが好きで、よくいろんなことを大人に聞いていた。酒についての知識もそのうちのひとつだ。

「いや、見た目的には、ワインが好きそうな顔だったけど」
「それ、高級ホテルのレストランで食事してるのが似合いそうな美形、ってだけの理由でしょ」
「まあそうかも」
 願望からくるイメージという方が近かったかもしれない。

「志岐も飲めるならさ、飲んでよ。それで、志岐が『美味しい』と感じたお酒をお墓に供えられたら、兄さんもきっと喜ぶと思う」
「うん、そっか……」
 そういう考えも、あるのか。今まで、思いつきもしなかった。
 大人になった玲司と酒を飲み交わす妄想を頭の中で繰り広げてみたら、ちょっと楽しくなってきた。

「せっかくの機会だし、ちょっとコンビニで酒でも買ってくるか……」
「今から?」
 からかうようによるが口端の片方を上げる。
「よるはアイスでいいか?」
「いらない。夜は食べない」
 そうか、と呟いて、俺はお茶を一気に飲み干したあと立ち上がった。

 上着を羽織り、財布をポケットに突っ込んで、部屋を出る。
 旅館に来て夜に外出するというのは、存外わくわくするものだった。

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