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1 物語は再びここからはじまる
しおりを挟むこぼれ落ちた水滴がひとつ、水面に波紋をつくった。
最初は小さかった波紋はやがて大きくなり、さまざまなものを浮かび上がらせてくる。
水、水、みず……くるしい。
息ができない。
気がついたら水の中にいた。
かろうじてうっすらと目を開けたら、遠くに見える水面で、光がゆらゆら揺れているのが見えた。
――このまま、死んじゃうのかな?
こんなふうに、水の中で諦めに似た確信を感じて指先から力が抜けていくことが、以前にもあった。
いつだっけ?
五歳ぐらいの時、家のお風呂で溺れそうになった時?
いや、違う気がする。
もっとずっと前。
ずっと前って――いつだっけ?
『リンネ!』
不意に、懐かしい声が耳に蘇ってくる。
それが引き金になったかのように、怒濤のようにたくさんの思い出が頭の中に溢れてくる。
まだ、『金色の髪をした女の子だった頃』の自分の記憶が。
「きみ! 大丈夫か!?」
ハッと目を見開くと、明るい光と、まわりの景色が一気に視界に入ってくる。
ゲホゲホと咳き込むと、口に入った水がいくらか出てくる。
しばらくは、はぁはぁと荒い息を吐いていた。
頭は痛いし胸は苦しいし、気分はあまりよくない。
でも、ちゃんと呼吸できてるし、生きてる。
体も、水の中にふわふわ浮いてたりしない。
どうやら、固い床の上に寝かされているようだ。
白い天井。コースごとにラインの入った大きなプール。
心配そうに覗き込んでくる、おばあちゃんや、見知らぬ子供たち。
市民プールに遊びにきて、泳いでいるうちにおぼれて引き上げられたのだ、とようやく認識できた。
少し気分が落ち着いたので、目の前にある顔を改めて見る。
二十歳ぐらいの、大人の男の人。
お父さんでもなければ兄でもない。いや、そもそも自分に兄はいない。
知らない人。
ううん。でも、目元に面影が残っている。
「シュウちゃん……?」
おそるおそる呼びかけると、男の人は目を見開いた。
「確かにオレの名前は愁だけど……えっと、スイミングスクールの子、じゃないよな?」
精悍な顔立ちに、戸惑いが浮かんでいる。
僕――凛音は、改めて自分の体を見下ろした。
ひょろっとした白い肌に、男子用の紺色の水着を一枚纏っているだけの姿。
ああ、そうか。これじゃあ、わからないか。
凛音はのろのろと体を起こして立ち上がった。
まだふらつく体を、愁が支えてくれる。
「黒崎凛音。それが、今の僕の名前だよ」
まだ小学一年生の凛音の背は百二十センチぐらいしかなく、おそらく平均身長よりも高いであろう愁を見上げるのは大変だった。
(そっか、シュウちゃん、こんなに大きくなったんだ。昔は『私』と同じぐらい小さかったのに)
「りんね……?」
声も、昔に比べるとずいぶん低い。
だけど、懐かしさで、胸がいっぱいになった。
「よかった。ちゃんと約束通り、また会えたね」
にっこり笑って、凛音は告げる。
――リンネが死んでも、また新しく生まれることができる。あの時の言葉は嘘じゃなかったって、これで証明できたかな?
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